フラクタルの森 玄明 陰陽学  

フラクタルの森 玄明 陰陽学  

陶芸を生業として独自の陰陽学で情報を発信しています

「フラクタルの森 玄明 陰陽学」

「大切なことは目に見えない」という言葉が有る
大切なことを見逃すと、求めているものが得られないばかりでなく
求めているものと正反対のものを引き寄せる可能性がある

「全ては、陰と陽で成り立っている」という言葉もある
「陰」とは見えにくいもの、「陽」とは見えやすいもの
これは、紙の裏と表の関係のごとく支えあっているもの
陰と陽の関係は、時間、空間、人間の三か所にある
 
   陰      陽
時間 原因があって 結果がある
空間 他者がいて  自己がある
人間 右脳的感覚が 左脳的知覚を支えている

善悪の判断が人、時、所の違いで左右されるように
見えにくい陰を見逃がすと、その認識は自己中で結果主義、利己的なものとなる


陰陽とは、右脳的なモノと左脳的なモノと言い切っているのが、この陰陽学の特徴かもしれない
右脳は左目と、左脳は右目と無限大マークのようにクロスしてつながっている
片目で立体的に見えないように思考も同じことだ


現代社会では、左脳的(知性・理性)にだけ優秀で、右脳的(悟性・感性)な所が未成熟な人が多く、その人たちが国家運営しているために立体的に社会を見れず蛇行させているのが現状だと思う
頭が良いだけで悟りから遠く離れている人たちに社会を委ねると蛇行するのは必然だ

タテ軸の左脳的思考(原因と結果)と
ヨコ軸の右脳的思考(他者と自己)の十字架で考える必要が有るだろう


書籍 「フラクタルの森 玄明 陰陽学」 幻冬舎 刊

考えるということ 2

考えるということを考えてみよう
前に、考えるという中に思うということも入っていると書いた
左脳的な思考と、右脳的な思考
知覚的な思考と、感覚的な思考とあると思うけれど
きちんと分かれているモノでも無いだろう


思うだけなら、今持っている情報や知識だけで反応しているだけかもしれない
考えるにしてもそのためには材料が要る
情報や知識を新たに取り入れなければ、その考えは薄っぺらなものになるだろう

幼少のころから比べて大人になると情報量も増え、その考えも深みが増してきて安定したものになって行く
情報量が増え、経験も加わり、固まってくるのだろうが、ただ、固まるということは安定はするけれど、柔軟性が無くなることでもある

なんであれ、常識と言われるものは変化する
日常的なことであれ、科学的なことであれ、変化するというか進化して行くはずだ
しかし、退化するものも有る
IT関連のことなど、集積できる情報が膨大になるにつれ、様々な信じ難いようなことも可能になっている
情報の集積だけなら、時間をかけて積み重ねれば理解できるけれど
そうでないモノも沢山ある

例えば、この世と言われる世界とは違った世界が有るという
あの世の存在にしても神の存在にしても、昔は常識に近かったろう
しかし、今は、違う
大半の人々があの世も神も否定している
ただ、確信しているような人は少ないようだ

その原因は、教育の世界では、あの世も神も扱われず、迷信的なモノとして扱われているからだろう
昔の儒教などでは、道徳として目には見えない世界のことを扱うことで教育の中にあの世も神の存在もあった

この日本では、結局、無宗教の人たちが増えてしまっている
その世界観が常識に近づいているのだろう

ただ、あのイスラエルとパレスチナの人々は、まだ、一神教の人たちが多いようだ
ユダヤ教とイスラム教、その時代をつないだキリスト教
無宗教も一種の一神教である
主なる神が存在する
自分自身であるか唯物論(お金など)であるか、何らかのコト、モノを主としている

しかし、これら宗教の違いで紛争が起きているわけではない
もちろん、その教えなどから端を発しているのだろうが、大きな原因は利害の対立である
大戦後、ユダヤ人がパレスチナの地にイスラエルを建国し、元々住んでいた人々を追い払うことをしてきた
その中で、大きな犠牲が生まれその怨念が今になっても広がりつつある

この解決方法は、強い方が弱い方をせん滅するか、融和するか、もしくは
元の状態に戻すしかない
この過程で積み重なった怨念という情報は消し難いものが有る以上、選ばれる解決法は限られてくる

ただ、南アフリカの人種差別、アパルトヘイトということが有ったけれど
マンデラという指導者の下で解決できたことに習うべきだろう
具体的にどのような方法で行われたのか知らないけれど、実績として残っている

利害の対立が宗教対立のようになって泥沼化しているのであれば、まず宗教の融和が必要だろう
南アフリカはどんな宗教対立が有ったのか知らないけれど、イスラエルの問題は宗教を含めて周辺国を巻き込み、世界大戦へと向かう方向に有るだろう
アメリカのバイデン政権の愚策は、日本の岸田政権を巻き込み、まさに、世界大戦に向かうべく舵を切っている

本当なら、利害対立も宗教対立も、少し深く考えるだけで解決可能のはずだ

多くの人々の中にある、凝り固まった宗教観、そして、本質的な利害の元にある善悪の基準、これらを教え諭すことのできる「法」が、今、この地上に降ろされている

世界宗教であるキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教の奥にある主なる存在が、呼び名は違い時代環境のために大きな違いがあるように見えるけれど、その根源にはエル・カンターレという存在が在る
天なる父もアラーもエロヒムも毘盧遮那仏も霊的世界に有るエル・カンターレという霊的存在であるという教え(情報)が降ろされている
日本神道の遥かな起源に存在した天御祖神もその意識である
世界の宗教の上流には、エルカンターレという至高神の存在が在るという
このことを知り、信じることが出来るなら宗教対立など起こりようが無い

後は、利害の対立だが、これら世界宗教に共通する普遍の法則を知り理解できるなら解決するのは簡単だ

繁栄、発展の法則も幸福の法則も全てつながっている
あらゆる価値の根源には、お役に立ちたいという思いがあり、その愛の思いが全ての存在の元に在る

 

タテ軸の思考図 

この図に有る七つの構成要素が何であるか
これらの要素が物事の情報を正しく伝えるために不可欠なものであるなら
この世で考えられ常識と思われていることの中に、非常に曖昧なものが含まれている可能性がある

 


例えば、この社会の中に様々な犯罪や出来事が起こるけれど、なぜ、それが起きたのか原因を探ることがある
「なぜ」「どうして」「なにゆえに」と、その動機や原因を探そうとするのだが、その根っことなる原因まで探せずに放置されることも多い
それは「なぜ」かと考えると、動機は人の心の中にあり、言葉で表現されたとしても、とても見えにくいからだ

そして、犯罪などで考えると、その何故を捕まえていないから起きることも多いのだ
犯罪も結果を得るために起きるのだが、他者の都合も考えず行動することによって起きる
他者の都合を考えず、他者の物を奪ったりするから犯罪なのだ
動機の中に「結果」ばかりを入れていて、その理由などが満たされていない為に歯止めがかからずに起きる
その思いの中身が見つめられること無くカラッポで「思い」の中に「結果」しか入っていない状態であり
要するに「結果至上主義」の状態である
「利己主義」と言っても良い

実は、このような状態があらゆるところに存在して、この社会を悪くしている
国際政治の中にも有る
紛争や戦争の中にも有る

そもそも、科学的な理解の中にも有る
そもそも、科学の発展の背景には「なぜ」を何度も繰り返し、その本質を見つけようとするところに有るのだろうが、それが中途半端で終わっている
「なぜ」まで至らず「どうして」「どのようにして」あたりで止まっている
深く探求されていないことが多いのだ
例を挙げようとするならキリがない

例としてダーウィンの進化論をあげてみよう

ダーウィンの進化論は、全ての生物種が共通の祖先から長い時間を経て、「自然選択」を通して進化しているというものです。 自然選択は「 自然淘汰(とうた) 」とも呼ばれ、 突然変異によって生まれた個体が、たまたま環境に適応したため生き残り、進化が起こる という考えです。

ここに記したものが進化論だというのなら、その進化論は不完全なものとしか言えない
整理してみると、「人間は共通の祖先から、環境の変化で突然変異自然淘汰を繰り返しながらたまたま、偶然に進化してきたということ」になる
これは論理上不完全であり、これを図表の中に入れるなら空白な部分がある
「どのようにして」には答えているが、「なぜ」に答えていない
要するに「動機」という人間的な所が無視されて、ここに「たまたま」とか「偶然」とかが入っているだけだ

この考え方は、無神論に繋がり唯物論の下地になっている
何らかの存在の意志の働きが有るのに、神も創造主も見えないために無視される
見えないから、分からないからと言って無視するのは知性としてはどうだろうか
無知の知」を認めることが出来ないということは探求を放棄している事である

たまたまとか偶然にという言葉は、犯罪の言訳でも便利な言葉である
犯罪でも自己責任能力の有る無しで裁判が行われることも有るが、これも同じことである
泥酔などで混濁して自己責任能力のないような状況下での犯行ならば罪に問えないというようなものだ
原因の背景にある原因は、どのようなものにも有り、思考停止もはなはだしい
犯罪の背景にも、必ず誰かの動機が存在し、動機の中身が必ずある
たまたまとか、偶然にとか起きる犯罪などあり得ない

この思考停止状態が、全ての犯罪に中にあり、すべての科学的背景にも有る
これが科学的発展を遅れさせている事にもつながっている

色んな未知のことを知るために科学的であろうとするのは良いとしても
科学的であるためには「論理的」である必要が有る
その論理性を満たすためには、この「タテ軸の思考図」の要素を埋める必要が有るだろう
論理性など無視して、方法論(どうやって)と結果(どうしたい)さえあれば良いとするなら問題が起きる

ある意味、諸悪の根源は非科学性にあるとも言えるだろう
どのような創造にも意志の力(思い)が働いている事
製品には設計図が必要であり、陶芸作品ができるにしても誰かのイメージが必要なのだ
この単純な科学的論理を無視するならば、
この社会に不都合な事が蔓延したとしても、それを修正することはできない

 

考えるということ 

考えると言っても二つの面がある
考えると言っても、そこには思うということも入っている
頭で考えることと、心で考えるようなものだろう
これは、目標と目的のように似ているものが有るようなものだ


そういうことを色々考えていると浮かび上がってくるのが
このフラクタルの森でいつも使っている図表だ

この「タテ軸の思考」の図表には、七つの要素があるが、大きく分ければ、「世界」の中で「思い」があり、「行い」で構成されている
別の分け方をすれば「悟性」があり「感性」があり「知性」があり「理性」がある

考えるということだけで表現するとすれば、完璧に考えているというならこの図表の中を全部埋める必要が有る
完璧に埋めようとすれば、思想家であり哲学者であり、宗教者であるべきなのだろうが、普段はそうもいかない

少なくても頭で考えると同時に心で思う事が無ければ、本当には考えているとは言えないだろう

 

左脳と右脳、両方を使って考えているかどうかだ
別の図を持ってくるなら次の思考の構造図だ

 

右脳的な考えは心で、左脳的な考えは頭でやっている
現代社会では、頭で考える人ばかりが増え
心で考える事がおろそかにされている
その為に犯罪が増えている

 

心で考えているふりをして同情的で優しくあろうと演じるけれど
それも頭で考えて、その方が好都合だと判断してのことだ
政治家などが典型的で、選挙で票が必要になるためにどうしてもそのような演出になる

要するに頭で考えることと心で考えることがバランスを崩し
国民の利己心に訴え、自身の利己心と合致する政策を選択してしまう
その結果は、神仏の視点からして理想的でないものになってしまうだろう

 

例えば、ベーシックインカムやIR法などがある
神仏の理想からかけ離れ過ぎていることに、なぜ、気が付かないのだろう
それも当然なのかもしれない
今の政治家たちに本当の信仰心は無いのだろう
有ったとしても拝金教などであり、無神論の思想宗教では自分自身が神の席に座っているからだ

分かり易く考えるなら
全ての人々を我が子や孫のようにイメージして、そのような環境を社会に残したいと思えるかどうかだ

知性や理性ばかり、頭で考えてばかりで
悟性や感性で、心で考えることを失っている
そして、悟性の奥にある悟りである宗教的知性が無視されているからだ
それは、真理知識とも言える

色んな宗教(無宗教も含む)に縁のある人に真理知識での話をしたいと思っても議論さえしてくれない傾向がある
要するに「世界」とはどんなところなのか
この知識が空白になると、頭で考えることも、心で考えることも
よって立つところが無くなり、浅薄な考えになってしまうからだ

常識を素粒子の性質から見る

物の最小単位である量子(素粒子)には、波と粒の性質がある
その性質は、おそらく、私たちの周りを覆っている


今まで当たり前のように思っていたことも粒と波という翻訳で見るなら違ったモノのように見える

一番思うことは、動植物の成長の過程には、化学的な事が起きているのだろうが、その化学的ということにも粒と波のことが関わっているだろう

私たちが食べた物質(粒)を分解消化しエネルギー(波)として取り込むことで成長に使っている
植物も光という粒子を受け取り、その波動(エネルギー)を受けて成長している
その複雑な過程を省いて単純に見るならば、私たちも動物も植物も、基本は光の波動(エネルギー)が変化してできたものにしかすぎない
その光の波動が粒となって私たちの周りを覆い、その粒から発せられる波が新たな粒を生み出す

この光の粒と波の性質が変化してこの宇宙の全てを生み出しているのかもしれない
太陽からは核融合とかで核の莫大なエネルギーを発している
そのエネルギーを太陽光パネルで電気に変換したり、熱エネルギーでお湯を沸かしたりしているけれど、その粒子の波の変換方法は無限に有るのかもしれない

この波と粒の性質は、全ての素粒子が光子と深く関わるようだが、全ての原理である可能性が有る

私たちの人生そのものが、思いと行いの連鎖でできているとも学んでいるけれど、これなども思い(波)と行い(粒)と翻訳できる
もっと突拍子もない表現になるかもしれないが「ことだま」ということがある
言葉には力が宿っているとも言われ、汚い言葉には、汚い波動がありその力を発揮してしまう
逆に、力づけたり勇気づける言葉にはその力が宿る
紙に書いた言葉でも同じであり、例えば同じく炊いたコメの上に「ばかやろう」と「ありがとう」というお札を置いているとその二つには違った現象が起きるようだ

もちろん、言葉には波があり強弱も有る
言葉にして口から出さなくても、強く心の中で思いを発するだけでも波(エネルギー)が出ている
言葉や文章は目に見えるけれど、思いは見えないけれど、全ての始まりには思いがあることには違いが無い

この思い(波)の重要さは、全てに関わってくる
だから、宗教の教えにはこの部分が最重要課題なのだろう
思いは、心から出てくる
全ての思いは、心から出てくる以上、心の教育
心の教えが不可欠であり、心はどこから生まれたのか、心がどこに置かれているのか、どこに向かうべきなのか、それらを探求する必要が有る

マイナススパイラルの先に有るブラックホール 

物質の最小単位である素粒子の持っている性質に、全ての存在は影響されている可能性が有る
これは、個人であれ国家であれ同じことで
波と粒の性質を持っている

物理学的な意味合いは難解だが
ただ、すべて粒子と波動の性質を持っているということを、拡大翻訳して、距離を置いてぼんやり眺めると
そのかすんだ光景の中に浮かび上がってくるモノがある
それは、見えないモノと見えるモノだ


粒の性質は何とか分かる
しかし、波の性質と言っても分かりにくい
これは、宇宙は全て因と陽の要素でできているとも言われることと関連するだろう

粒子とは、見えるモノであり
日常私たちが目にしている現実の光景だ
波動とは、私たちの周囲を取り巻いている波(情報)だ
見えないからイメージしにくいが、電波など信じがたいレベルの膨大な情報が私たちの周りを取り巻いていることは認めざるを得ない
人々の思いも目に見えないが、霊波として社会を覆っている

私は昔、ユリゲラーに触発され透視力や念力に興味があって、実際にそのようなことが存在することを経験もしている
なぜ、そのようなことが出来るのか、その理屈はいまだ分からないけれど、そのような情報というか、波動というか、エネルギーが私たちん周りには存在するのだろう

テレビやラジオ、携帯電話でそれらの情報を受信機が有れば取り出せるのと同じように、私たちの脳というか、思いの中に似たような送受信装置があり、波長を正確に合わすことが出来たなら、その中から情報やエネルギーを取り出したり入れたりもできる可能性が有る

生物の体、人間の体が出来あがる過程でみても、最初は卵から始まるのだろうが、その小さな卵の中に、私たちの体がこのように成長し、様々な本能の働き、種を保存し永らえるための行動情報が、卵の中に全て書き込まれているとは考え難い

おそらく、私たちが使っている携帯電話と同じように、私たちの周囲を取り巻いているモノから情報を得ているのかもしれない
スピリアルな世界で言われるアカシックレコードとかいうようなモノの中に私たちは浮かんでいて、そことつながっているのかもしれない
クラウドのようなもので、そこから情報を得たり保管しているのかもしれない

アインシュタインのE=mc²のように、目に見えないモノと見えるモノとは等価性が有り、ある一定の法則の元にエネルギー(波動・情報)は物質(現実)に変化して固定化しているのだろうか

最初に言いたかったことと離れてしまいそうだが、要するに、国の経済のことを言いたいのだ
人々の思いが波のように社会全体を覆いながら、その社会を現実化していく
個人も国家も同じであり、その渦が重なり合い創り出していく

個人でも国でも、稼ぐ力には一定のレベルがある
そのエネルギーをどこにどのように振り分けるかで未来は決まってくる
国家は、そのGDPの中から資金を集め仕事をしている
その仕事がダメだから赤字は増え続けているという現実を見るべきだ

極論でいうなら、本来、私たちの周りには、途方もないエネルギーがある
原爆や水爆の核エネルギーを見れば分かるけれど
本来持っているエネルギーを開放しさえすれば、その力は無限に近いのかもしれない
膨大なエネルギーを持たものに取り囲まれているのに活かせていないだけかもしれない

経済においても、その核(素粒子)のエネルギーを引き出すことが出来ず、ただ消耗させているだけかもしれない

もっとはっきり言うなら、経済の中で奪い合いが起きている
個人レベル、企業レベル以上に悪しき習慣が国レベルで起きている可能性が有る
政府組織を肥大化させ、それぞれの立場で奪い合いが起きている
その波動の集積が、マイナススパイラルを起こす経済も有れば
それとは逆のプラススパイラルを起こす経済も有るだろう

それがどちらに向かうのか、スタート点では分かりにくいけれど
そのラセンは、回転を繰り返し加速度的に向かう先を決める
核分裂で得られるエネルギーと核融合で得られるエネルギーの違いかもしれない
腐敗と発酵の違いなのか
スピンの方向を決める事なのか
そのポイントはどこに有るのか、どちらに向かうにしろ、核エネルギーを取り出すために必要なのは、「思い」の中身だと思う
その波動のエネルギー量なのかもしれない
愛と言ってもいい、全存在を創り出している創造主の思いに限りなく近づくことが出来るなら、奇跡は起きるということなのだろうか

今の政府(国民)は、その思いと反対の方向のモノをここに入れている
腐敗という方向にスピンさせようとしているのだろうか
全世界が、今、そのような状況になっているのだろう

本来すべての素粒子の持っている力は莫大だという
例えば、東京ドーム一杯の水を沸騰させるのに必要な物は、一円玉4個の核エネルギーで足りるという
物質(粒)は思い(波)とも等価性を持つならば、未来を拓くことは簡単なはずだ

ということは、この「思い」の中に、愛の不在がある
政府の思いの中には、お為ごかししか入っていないのだろう
神からその心の中を見透かされたなら、マイナススパイラルの渦どころかブラックホール化しているのかもしれない

ここに、「与える愛」が入るためには道徳が必要であり、その為には、本物の宗教が不可欠なのだ

 

光子(素粒子)には、波と粒の性質がある

これも陰と陽の関係だ

「思い」は、

陰であり、波動であり、エネルギーであり、愛であり、発展への思いが求められる
「行い」は、

陽であり、粒子であり、モノであり、知であり反省が求められる

そのエネルギーをどこに振り分けていくかで
私たちの未来が決まってくる

 

マイナススパイラルの先に有るブラックホール

物質の最小単位である素粒子の持っている性質に、全ての存在は影響されている可能性が有る
これは、個人であれ国家であれ同じことで
波と粒の性質を持っている

物理学的な意味合いは難解だが
ただ、すべて粒子と波動の性質を持っているということを、拡大翻訳して、距離を置いてぼんやり眺めると
そのかすんだ光景の中に浮かび上がってくるモノがある
それは、見えないモノと見えるモノだ


粒の性質は何とか分かる
しかし、波の性質と言っても分かりにくい
これは、宇宙は全て因と陽の要素でできているとも言われることと関連するだろう

粒子とは、見えるモノであり
日常私たちが目にしている現実の光景だ
波動とは、私たちの周囲を取り巻いている波(情報)だ
見えないからイメージしにくいが、電波など信じがたいレベルの膨大な情報が私たちの周りを取り巻いていることは認めざるを得ない
人々の思いも目に見えないが、霊波として社会を覆っている

私は昔、ユリゲラーに触発され透視力や念力に興味があって、実際にそのようなことが存在することを経験もしている
なぜ、そのようなことが出来るのか、その理屈はいまだ分からないけれど、そのような情報というか、波動というか、エネルギーが私たちん周りには存在するのだろう

テレビやラジオ、携帯電話でそれらの情報を受信機が有れば取り出せるのと同じように、私たちの脳というか、思いの中に似たような送受信装置があり、波長を正確に合わすことが出来たなら、その中から情報やエネルギーを取り出したり入れたりもできる可能性が有る

生物の体、人間の体が出来あがる過程でみても、最初は卵から始まるのだろうが、その小さな卵の中に、私たちの体がこのように成長し、様々な本能の働き、種を保存し永らえるための行動情報が、卵の中に全て書き込まれているとは考え難い

おそらく、私たちが使っている携帯電話と同じように、私たちの周囲を取り巻いているモノから情報を得ているのかもしれない
スピリアルな世界で言われるアカシックレコードとかいうようなモノの中に私たちは浮かんでいて、そことつながっているのかもしれない
クラウドのようなもので、そこから情報を得たり保管しているのかもしれない

アインシュタインのE=mc²のように、目に見えないモノと見えるモノとは等価性が有り、ある一定の法則の元にエネルギー(波動・情報)は物質(現実)に変化して固定化しているのだろうか

最初に言いたかったことと離れてしまいそうだが、要するに、国の経済のことを言いたいのだ
人々の思いが波のように社会全体を覆いながら、その社会を現実化していく
個人も国家も同じであり、その渦が重なり合い創り出していく

個人でも国でも、稼ぐ力には一定のレベルがある
そのエネルギーをどこにどのように振り分けるかで未来は決まってくる
国家は、そのGDPの中から資金を集め仕事をしている
その仕事がダメだから赤字は増え続けているという現実を見るべきだ

極論でいうなら、本来、私たちの周りには、途方もないエネルギーがある
原爆や水爆の核エネルギーを見れば分かるけれど
本来持っているエネルギーを開放しさえすれば、その力は無限に近いのかもしれない
膨大なエネルギーを持たものに取り囲まれているのに活かせていないだけかもしれない

経済においても、その核(素粒子)のエネルギーを引き出すことが出来ず、ただ消耗させているだけかもしれない

もっとはっきり言うなら、経済の中で奪い合いが起きている
個人レベル、企業レベル以上に悪しき習慣が国レベルで起きている可能性が有る
政府組織を肥大化させ、それぞれの立場で奪い合いが起きている
その波動の集積が、マイナススパイラルを起こす経済も有れば
それとは逆のプラススパイラルを起こす経済も有るだろう

それがどちらに向かうのか、スタート点では分かりにくいけれど
そのラセンは、回転を繰り返し加速度的に向かう先を決める
核分裂で得られるエネルギーと核融合で得られるエネルギーの違いかもしれない
腐敗と発酵の違いなのか
スピンの方向を決める事なのか
そのポイントはどこに有るのか、どちらに向かうにしろ、核エネルギーを取り出すために必要なのは、「思い」の中身だと思う
その波動のエネルギー量なのかもしれない
愛と言ってもいい、全存在を創り出している創造主の思いに限りなく近づくことが出来るなら、奇跡は起きるということなのだろうか

今の政府(国民)は、その思いと反対の方向のモノをここに入れている
腐敗という方向にスピンさせようとしているのだろうか
全世界が、今、そのような状況になっているのだろう

本来すべての素粒子の持っている力は莫大だという
例えば、東京ドーム一杯の水を沸騰させるのに必要な物は、一円玉4個の核エネルギーで足りるという
物質(粒)は思い(波)とも等価性を持つならば、未来を拓くことは簡単なはずだ

ということは、この「思い」の中に、愛の不在がある
政府の思いの中には、お為ごかししか入っていないのだろう
神からその心の中を見透かされたなら、マイナススパイラルの渦どころかブラックホール化しているのかもしれない

ここに、「与える愛」が入るためには道徳が必要であり、その為には、本物の宗教が不可欠なのだ

 

円安が起きている

その結果、何が起きているのか

輸入価格が上がる

ということは、

石油や天然ガスなど産業に欠かせないエネルギー価格が上がるということ

当然、エネルギーを必要とする産業なら商品価格を上げざるを得ない

物価上昇は必然であり、国民生活が追い詰められていく

 

円安で輸出が増える面も有るが、現実には貿易赤字は膨らんでいる

国内の輸出産業が伸びないということは、トータルで貧しくなっているということ

賃金が増えることなく、全体で貧しくなる方向に向かう

ムリに賃金を上げれば、更に投資は少なくなり、さらに企業の力は弱くなる

 

では、逆に、何故円安が起きているのか

為替相場のことは分からないけれど、円の金利が低く抑えられているからだという

では、円の金利をドル並みに上げればいいらしいけれど

円の金利が上げれば、国債の利払いが増えて悪循環が起きるからだという

政府の予算編成が難しくなり、さらなる借金を積み重ねなくてはならない

この悪循環を抑えるためには増税が止む無しだとなる

 

その結果、国民負担率が5割になろうとしている

所得の半分を国に納めさせられるということはどういうことかを考えなければならない

 

要するに、円安の原因、そのまた原因の原因とたどらない限り根本原因はつかめない

根本原因をつかんで改革しない限り、その行き着く先に何が待っているのか、理解したくないのだ

 

根本原因に二つある

政府の仕事が、仕事になっていない

国民が政府に依存しすぎている

 

政府が、企業でいえば赤字体質になっているというか、すでに倒産している

ということは、延命治療ばかりしていることになる

円の金利を上げて、国債の利払いが増えて、財政が破綻するなら破綻させればよいとも考えられる

国民への課税が増えて、それでも国民生活が良くならなければ、当然、革命が起きるだろう

要するに、今の政府組織や制度を壊すしかないのだ

 

今だけ、ここだけ、自分だけが無事ならそれで良いという考えの人たちには、退場していただくしかない

原因を探し解決しようとしない人が、一般国民だけでなく

政府閣僚官僚、経済人、マスコミ人にあまりにも多すぎる

現状変更をしたくないのだ

 

行くところまで行って、本当に困るとこまで行かない限り改革は難しい

政党政治には限界がきていて、大きな政府で組織を肥え太らせ、更に価値の無い仕事を増やし、悪循環を起こしている

単に頭の良いだけの人たちに任せておけば、上手に言い包められ誤魔化されてしまうだけだ

先見性を持っている人、悟った人にゆだねる必要が有る

ハンドルを任せれる人は、ある意味、一人だ

集団指導体制でハンドル操作しても難しい

 

大統領制にするというのも一つの手段だろう

 

その資格を持つものは、次の二つの図表を持って考え決断してほしい

 

タテ軸の思考図

 

ヨコ軸の思考

 

 

存在の原則

人間は、食料という物質(粒子)を取り入れ、消化という過程でエネルギー(波動)を取り入れている
その得ることのできたエネルギー(価値)を使い体を大きくし健康を保ち日々の活動エネルギー(波動)を得ている
そのエネルギー(波動)を何に使うかで未来が決まる


これが存在の原則であり、量子の性質を表現しているのではないだろうか
教えの中に「生々流転の法則」とか「エネルギー不変の法則」とかが有るけれど、おそらく、これも量子の持っている性質の顕れなのだろう

波動が様々に変化し、肉体という粒子(物)に変化したり、思いという波動エネルギーで、また新たな波動を起こし、また新たな物を作ったりする
おそらく、創造主たる神であってもこの思いという波動を投げかけてこの宇宙を創られているのだろう
波動が物質化したものとそうでないものが混在している

そう考えると、アインシュタインのE=mc²の意味も見えてきそうだ
「波動エネルギー=私たちの肉体と魂」とも言えるのかもしれない
この三次元社会は、単に波動エネルギーが粒子として固定化されているモノが多いだけであるとも言えるのではないだろうか

私たちの体自体、エネルギー(波動)の塊であり、その中には思いという波動エネルギーも詰まっている
そのエネルギーは限定されてはいるようだが、取り出しよう、変化させようによっては、莫大なエネルギーを放てるのではないだろうか

その波動エネルギで体を維持し、その思いという波動で様々なモノを作り、社会を国家を造り上げていく
この波動(エネルギー)と粒子(社会)は、イコールでつながっている
これをタテ軸の思考図で見ると見えてくるものが有る

波動は「思い」であり、粒子は「行い」である
陰陽学的に繰り返し訴えている事ではあるが、この思いがどれほど重要であるのかということに尽きる

「なぜ」という問いかけを何度もしない限り、その重要な本質はつかめない
その重要な本質(波動)をつかんでいないから世界は蛇行し、愚かな現象(粒子)を生み出している

それは、「愛」(与える愛)だと、私たちは学んでいる
全ての根源には、創造主たる愛(与える愛)に始まり全宇宙は創られ、私たちの小宇宙で、その愛の本質を学ばせていただいているのだろう

 

考えるということ

経済のこと、MMTのこと、財政のこと、政治のこと
様々な課題があり、色んな優秀な人達が考え議論が起きる
そして、人々は選挙を通して代表を選び
その中でハンドルを誰かにゆだねかじ取りを任す


そのハンドルやアクセル、ブレーキの操作で向かう先を決め前進している
全世界の国で行われている事
その成果が今世界中で起きている事

一国の経済にしても相当蛇行してその先に国家間の紛争や戦争がある
理想的な形とはなっていないだろう
色んなことが複雑に絡み合い分かりにくくなっている

しかし、しかしだ
どんなに複雑な事案でも、ことは簡単な理屈で流れているはずだ
全て個人の問題から始まる
個人から家族、地域社会、国家、そして地球世界
そこから先、宇宙世界と関係が繋がっていく
原点は個人だ

個人の経済が全てに関わってくる
個人の経済とは何か
命を長らえるために衣食住様々な要件を満たす必要が有る
最重要は、食料である
食料とは何か
それは、物(粒子)でありエネルギー(波動)でも有る
ここにも光子(素粒子)の性質が顕れている

これが人間を通して変換される
そのエネルギー(波動)を何に変換して何に使われるかということに尽きるようだ

思いという波動(エネルギー)を起点として、様々な物質(粒子)を活用し自らが食料を作り出すこともできる
もちろん住まいや衣服、様々な生活必需品を作り出せる
要するに価値の変換が思いという波動によってなされるわけだ
波動が様々な価値の生産をして、そこから生れた粒子を活用し、また、新たな波動を喚起して次の粒子(製品やサービス)を生み出す

この地球では波と粒子の変換の流れで価値が変化し、さらなる価値を高めようとしている
その価値が一人の人間の中でも高まるけれど
人と人とのかかわりで、その価値は倍増させることもできる
(もちろん、その価値を奪い合い潰しあうことも可能だ)
基本、それぞれの生み出した価値が人と人との間で交換されることで、その価値を高めようとする

例えば、米作りの得意な人と器づくりの得意な人が居る
それぞれの得意な仕事は効率が良いために、自分が必要とする以上に作ってしまう
そうであるなら、それぞれが余分なものを必要なものと交換できるならベターだ
これら以外に必要とするものは様々に有る
それらを交換できれば、それぞれに自分の得意な分野に専念できる
そこで効率の良い交換手段として貨幣経済が始まっている
その貨幣には信用価値というモノが不可欠だ
金や銀などの希少物質からはじまり今まで変化している
皆が認める信用さえあれば貨幣となりえることになる
ただ、この信用という曖昧なことは誤魔化しダマすことも可能だ

話がそれそうなので元に戻す

人が集まり家族が集まり社会が出来ていくと、この貨幣経済は大きくなる
良い循環をしているとその地域として必要なものに協力してその価値を集め構築していくことで、さらなる発展をすることになる
橋や道路など皆が必要なものは協力して作る必要が有る
その皆で力を集めることの恩恵から組織が出来て、その組織が継続することの恩恵から村や町や国家もできていく

ただ、その組織が大きくなると皆が産み出し集めた価値が無駄に使われたり効率が悪くなり、それぞれがやった方が良い場合も出来てくる
公営(国営)でやった方が良い場合と民間でやった方が良い場合とがある

大きな問題となるのは、国家組織に治安維持や国防のためのパワーを備えると、その使い道によっては暴走も起こす
司法とか立法とかもコントロールされるようになると、公的機関に従事する人たちの恣意的な行動で全体が牛耳られることになる

そこでハンドルを握る人たちやそれを選ぶ人たちの民度が落ちれば、その悪循環は最悪になって行くだろう
どうやら、世界中、おかしくなっている原因は単純に言うならば、一人一人の価値観が狂い、どこにその価値を振り向けるべきなのか、要するに善悪の基準が狂っているところに有る

価値観の狂いは、本当には「考えて」いない

考えていないとは、言い方を変えるなら、次の図が頭の中に無いせいだ
別の言い方をすれば「なぜ」「どうして」という問いかけをおろそかにしている
上の方の表面的な「結果」に関するところばかりを考えている
考えているのではなく反応してイメージしているだけだ
このタテ軸の思考図の中で、深く掘り下げて見る必要が有るということだ
原因のその奥の原因は、深く掘り下げたところに有る

どうやれば、いい目ができるか、得することが出来るかという「行い」レベルで浅く考えている人たちが増えている
左脳的な所にだけ優秀な人が増えている
その人たちにだけハンドルを任せておくべきではない
より深く考え議論するべきなのだ
結局は、信仰心に関わってくる
唯物論、無神論では、深く考えようとするのではなくて、要領よくあろうとするだけだ