常識を素粒子の性質から見る | フラクタルの森 玄明 陰陽学  

フラクタルの森 玄明 陰陽学  

陶芸を生業として独自の陰陽学で情報を発信しています

常識を素粒子の性質から見る

物の最小単位である量子(素粒子)には、波と粒の性質がある
その性質は、おそらく、私たちの周りを覆っている


今まで当たり前のように思っていたことも粒と波という翻訳で見るなら違ったモノのように見える

一番思うことは、動植物の成長の過程には、化学的な事が起きているのだろうが、その化学的ということにも粒と波のことが関わっているだろう

私たちが食べた物質(粒)を分解消化しエネルギー(波)として取り込むことで成長に使っている
植物も光という粒子を受け取り、その波動(エネルギー)を受けて成長している
その複雑な過程を省いて単純に見るならば、私たちも動物も植物も、基本は光の波動(エネルギー)が変化してできたものにしかすぎない
その光の波動が粒となって私たちの周りを覆い、その粒から発せられる波が新たな粒を生み出す

この光の粒と波の性質が変化してこの宇宙の全てを生み出しているのかもしれない
太陽からは核融合とかで核の莫大なエネルギーを発している
そのエネルギーを太陽光パネルで電気に変換したり、熱エネルギーでお湯を沸かしたりしているけれど、その粒子の波の変換方法は無限に有るのかもしれない

この波と粒の性質は、全ての素粒子が光子と深く関わるようだが、全ての原理である可能性が有る

私たちの人生そのものが、思いと行いの連鎖でできているとも学んでいるけれど、これなども思い(波)と行い(粒)と翻訳できる
もっと突拍子もない表現になるかもしれないが「ことだま」ということがある
言葉には力が宿っているとも言われ、汚い言葉には、汚い波動がありその力を発揮してしまう
逆に、力づけたり勇気づける言葉にはその力が宿る
紙に書いた言葉でも同じであり、例えば同じく炊いたコメの上に「ばかやろう」と「ありがとう」というお札を置いているとその二つには違った現象が起きるようだ

もちろん、言葉には波があり強弱も有る
言葉にして口から出さなくても、強く心の中で思いを発するだけでも波(エネルギー)が出ている
言葉や文章は目に見えるけれど、思いは見えないけれど、全ての始まりには思いがあることには違いが無い

この思い(波)の重要さは、全てに関わってくる
だから、宗教の教えにはこの部分が最重要課題なのだろう
思いは、心から出てくる
全ての思いは、心から出てくる以上、心の教育
心の教えが不可欠であり、心はどこから生まれたのか、心がどこに置かれているのか、どこに向かうべきなのか、それらを探求する必要が有る