私とケガ | 目指せテッペン! 登れPEAK!!

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山に登っていつも思うこと・・・
この先には何かあるのではないか?
山頂に立つと今まで見えなかったことが見えるのではないか?
しかしいつもその何かが見つからない。
たぶんその何かを見つけるまで私は登り続けるでしょう。

今までケガと戦い続け

そして何度も泣いてきました。

捻挫、腰痛、肩痛、肘痛、骨折、etc



子供の頃、国道や県道以外の市道とか脇道は

まだまだ整備されておらずガタボコ道でした。

雨が降ると水溜りになったり

下校途中にはビチャビチャと遊んだり

そういう道は遊ぶときは歩くのではなく

走っていたのでよく足首を捻っていました。

その頃から捻挫グセはありました。



小学校6年生になった頃

硬式ボールでプレーするボーイズリーグのチームに所属

投手兼外野手で当時は変化球OKだったため

カーブなど普通に投げていました。

すると当然のように発育途上の体なので

肘や肩が痛くなります。

投手の連投はNGというのは当時からありました。

ボーイズリーグ最後の大会

春の大会前に肩を痛めてしまいました。

あんまさんなどで治療をしながら

最後だからということで投げましたが

決勝戦で敗れ全国大会へは行けなかったです。

でも夏の全国大会には出場出来て

大阪球場で入場行進したことは良い想い出として残ってます。

1回戦コールド負けだったけど^_^;

全国の壁はめちゃくちゃ高いというのを

6年生ながら思い知らされました。






中学の部活動はもちろん野球部

2年生の時の練習中、ファーストを守っておりランナーもいました。

打者のセカンドライナーでランナーは飛び出し

直ぐに一塁へスライディングしながら戻って来た瞬間

私と交錯

スパイクの刃(金具)で私の太ももをスッパーーーン

3針縫いました。

今でもその時の傷は残ってます。



3年生の時、練習中にぎっくり腰やらかし

数日間安静にしてたこともあります。

それ以来私は腰痛と長いお友達です(^_^;)



春の豊橋大会では危なげなく優勝を勝ち取り

私は全ての試合を完投して優勝投手となりました。

地元の私立高校や名古屋の強豪校からも注目され

挑んだ最後の夏の大会も大活躍して・・・



というのは自分だけの妄想で(笑)

試合の数日前に肩痛に見舞われ

夏の大会は投げられず初戦敗退≧∇≦

それもノーヒットノーランされてしまったという汚点まで残した。

東三河の私立高校である豊○高校

名古屋の私学4強のひとつ名○屋電○高校(現愛○大名○)

岐阜の中○高校(当時は○京商業)

は遠い存在となってしまいました( p_q)




高校ももちろん迷わず野球部に入部したが

中学時代とは段違いに先輩後輩の厳しさに驚いたw(゚o゚)w

そりゃあ県内の県立高校でも一応強豪校とゆわれていたから!!

というのは実は知らなかったのですが(笑)

甲子園に出場する高校は知ってても

地元の強豪校は知らなかったという・・・お恥ずかしい限りで^_^;



高2の春の県大会では決勝戦まで駒を進め

対戦相手は・・・今年からソ○トバ○クの監督を務める

工○公○投手率いる名○屋電○高校(現愛○大名○)

結果は準優勝でしたが、愛知、三重、岐阜、静岡の

東海四県で戦う東海大会に出場しました。

そして嬉しいことに控えの選手2人増員出来るってことで

私は背番号16番をいただき大喜び\(^o^)/

しかし、体育の授業でバレーボールをやり

スパイクを決めたは良いが、着地した足は相手の足の上で

思いっきり捻挫

松葉杖生活を余儀なくされ、そして背番号も取り上げられ

撃沈(ToT)/~~~

真剣に泣きました。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

その後、練習中にぎっくり腰再発

整体に何日も通いました。

この時監督は私を投手にと考えていたのを

断念したそうだ(その話は最近知ったのである)



高3の最後の夏の大会の1週間前

調整のための練習試合を

近所の農業高校と毎年行っておりました。

その時、打席に立った私めがけて投げられたボールは

無情にも左手首にボコッ

そして骨折(実際は骨にヒビ)

最後の夏の大会は背番号「5」を背負いながら

試合に出られず敗戦後ベンチでただただ号泣

ケガに始まりケガで終わった高校時代の想い出はこうして終わったのです。










ケガはコレだけに終わらず

時は流れ

時代は平成

32歳の夏のあるグランドにて

草野球の試合中にアキレス腱断裂ヽ(*'0'*)ツ

2週間の入院生活を余儀なくされ

でも田舎の病院のため白衣の天使はおらず(:_;)

病室で仲良しになった入院患者さんとそっと抜け出して遊んだりwww

それは楽しかったですが退院後のリハビリは大変でした(゚_゚i)



36歳の時の仕事中での落下事故

ケガではないけど自分の不注意でもあるし

頭蓋骨骨折、外傷性クモ膜下出血、脳挫傷という

人生最大の危機を乗り越えました。

詳しくは11月のブログでアップしておりますので

割愛させていただます。

詳しい内容はコチラをどうぞご覧くださいクリック 私の命日




そしてお山に心奪われてからは

幾度となく足首を捻りました。

登りよりも下りでよくやらかします。

中でも2014年9月21日の天狗岳下山中での捻挫

泣きはしなかったけど、真剣にそんな気持ちで歩いてました。

でも心の中では泣いてました。





まだ記憶の新しい北横岳での膝痛

現在は一応順調に回復傾向(?)に向かっております。

ただ、痛めていないお皿部分が

びっこ引きながら歩いたせいで痛くなってます(ノ#´Д`)イタイ

先生いわく「コレはゲバさんが過保護にしてるせいで出来た二次被害の痛みだよ!普通に平坦な所を歩く分には何ともないハズなのに、大袈裟にかばって歩くから余計な所まで痛くなったんです」

アララ┐(´~`;)┌

びっこ引きながら歩く姿をスミコが真似しやがって・・・

追いかけようとするも

「今だったら逃げれるも~ん!こっちまでおいで!!」だって・・・



「ぶっ殺す(`ε´) 」




スミコネタはテーマにも追加されているので、どんなおばさんなのか知らない方はコチラをポチっとなクリック 楽しいエレベーター 

  スミコの創作和菓子  

 クレーム処理の対応・・・スミコの場合


嫁にも真似されて・・・大袈裟ってゆわれてる( ´(ェ)`)




明日の赤岳に向けて毎日頑張って治療しました。

でも今の状態から考えると

赤岳の山頂まではムリだって事は自分でも分かってる( ̄^ ̄)

しかし、今回の山会議 in 赤岳鉱泉に参加されるみなさんに会いたい気持ちでイッパイ

だから・・・赤岳鉱泉までは行く気満々ですが!何か??









今回パートナーとなるあみさんと協議した結果

無理はしない方が良いとのことで



断念_| ̄|○ il||li



あみさん、本当に申し訳ありませんm(_ _)m

お山は逃げないとは言うけれど

それでも・・・

自分の不注意で・・・

今までのケガもそうだったように

今回のケガも

細心の注意を払っていれば

絶対に防げてた(o´Д`)=зフゥ…

石橋を叩いて渡ろうとしても

途中で叩かなくなる集中力のない自分が

情けない↓↓↓








もう今冬の雪山はムリだ!



気持ちが萎えてしまい

テンションが下がりっ放しで

同僚からも

「最近元気がないね?」

とゆわれ・・・




でも目標持たなきゃいけなーい(^O^)/

そこはノー天気な気分も宿ってるわたしΨ( Φ∀Φ)Ψィヒヒ



しゃー!!

決めたぜぇ~≧∇≦




リベンジ八ヶ岳&リハビリ





膝の状態を見ながら先生の登山OKサインが出たら天狗岳にアタックします(。ì​ _ í。)

目標は2月下旬~3月中旬を定めました(@^O^@)

そしてご一緒させていただくのは、北横岳での命の恩人である←ちょっとオーバーだけどwww

ドルスイさんと(* ˘ ³˘)♡*

今度こそ天候の良い日を選んでドルスイさんに素敵な写真を撮っていただこうと思います( *´艸`)

楽しみで仕方ないぜぇ~~~Ψ| ̄ω ̄|Ψブヒャヒャヒャ!!



 
必ず復活してやるわよ~コノヤロー!!