ひとつに還る旅(サンタマリアの島の観音さま) | Yurielのミラクルな毎日のためのスピリチュアルレッスン☆ 
 
 
冬至。
 
日照時間がいちばん短く、太陽の力がいちばん弱まる日。
 
 
思えばこの日がわたしのお正月のようなものかもしれません。
冬が極まり、春へと向かう。
立春よりずっと前に、春はもうはじまっている、わたしはそう強くかんじるからです。
 
古代の人もそう考えたのか、冬至の日の出が聖地に特徴的な差し方をすることはよくあるようで、
そんな聖地に訪れることはよくありました。
明治神宮も冬至の頃の朝日は、表参道からまっすぐ上がります。
 
例年は冬至は意識しているはずなのに、今年はうっかりしていましたが、
お相手の方のご都合にただあわせたら、不思議な流れで、ちゃんと加計呂麻(かけろま)にきていました。
 
しかもその方とのお約束は当日になって流れてしまい、別にこの日にこなくてもよかったよね、
という確認まであって。
 
でも、この日にここにいる意味があったみたいです。
iphoneにあらわれた10年前の「この日」の写真。
 
最初に加計呂麻島に来たのは、ちょうど10年前の今日でした。
まだおつきあいする前のパートナーのしろくまさんと。
ちょうど10年前、彼が大好きなホッキョクグマのいる北極圏に行き、わたしのルーツの加計呂麻島に行きました。
そして、今わたしは同じ場所にひとりできています。
 
 

マングローブの森。

水と空気はここで作られています。

 

山の木を切って、更地にし、施設を誘致しようという計画もあったそうです。

 

都会の便利な暮らしをしているわたしたちは、ここで暮らす人たちの

純粋に自然を愛する思いの恩恵を受けて生きています。

 

10年前はもっともっと緑が濃かったのです。その緑の濃さに驚き、

この場所は木々の力が人よりも強いんだなと感じました。

 

 

 

この島もトンネルが増え、トンネルができるたびに緑の色が薄くなっていきました。

トンネルは人々の暮らしをかえていきます。

便利にするし、またそこにある村が消えていくことにもなります。

人の行き来の流れが変わり、隣の集落との関係が変わるからです。

 

新しいトンネルができるたび、昔通りがかった集落や景色を見ることはなくなっていきました。

加計呂麻島は近くなりましたが、他の場所にいくことは難しくなったのです。

そんなとき、その村の暮らしは、大丈夫なのかなと気になります。

 

経済はひとの交流の中でしかうまれないからです。

島で暮らすだけならお金はいらないかもしれませんが、健康保険料も税金も、お金で払わねばなりませんから。

 

最初に、加計呂麻島に行ったとき、訪ねた親族は、わたしたちが移住希望だと思ったようで、

 

「税金、ガス、電気、島の暮らしにはお金がかかるから、仕事を持ってきなさいよ」

 

とアドバイスされたのを思い出します。

そんなことすら、10年前のわたしは考えたことがなかったのでした。

 

 

 

何度も何度もここにきたけれど、一度も自分で運転したことはなかったし、

レンタカーの予約も宿の予約も自分でしたことはなかったので、なにもかもがはじめての体験です。

 

慣れているはずのひとり旅。

 

でもすっかりふたり旅に慣れてしまって、すっかり自分の力を投げ出していました。

そういう意味では、またひとりで旅するようになったことで、

わたしは一旦手放していた旅の力を取り戻しているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

今回は、西阿室にあるカトリック教会のマリア観音さまのもとでお祈りをする予定で訪ねました。

ご一緒してくださるはずだった方はご予定がつかず来られませんでしたが、一人で来ることに意味があるのでしょう。

このマリア様は、もともとはイエス様を抱いておられましたが、破損してイエス様はいらっしゃいません。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、冬至のこの日、ひとりでまたこの場所に戻ってきたことで、

ふたりに分かれていた魂がひとつにかえったような、不思議な感覚がするのです。

 

彼は目にはみえないけれど、それはわたしの中にあるからなのかな、

そんな気さえしています。

もうすぐ新月。新しい季節へ動き始めます。