近況 | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

すっかりご無沙汰しています

 

ずっと書きたいことはたまっていくし、

自分のためにも記録しておきたいのだけど

どうしてもPCに向かう時間も気力もわかず

日が経ってしまいました

 

母との生活は相変わらずで

夜中のトイレ介助は減り、洪水も、

う○こまみれも

このところは減少気味です

 

それでも朝起きた瞬間からおやすみと言うまでの1日の管理を

母の顔色を見ながら段取りし

水分摂取、室温管理、排便のコントロール、通院、

その他にも

お出かけに付き合い

少し(用事であれ)出ようと思っても

ぐじゃぐじゃと嫌なことを言われ

 

もう本当にへとへとでした

 

春からの家族のもう一つの困りごとも

一段落進んだものの

まだ、解決には至ってないし

 

家の仕事、主人の仕事

色んなことが全部私にかぶっていました

 

 

自室に戻るとちょっと10分と

タイマーをかけて横になるのですが

寝られるはずも無く

 

思うように動けない自分にいらだちながら

そして心療内科にかかりながら

少し元気の出るお薬をもらい

なんとか奮い立たせての毎日でした

 

何がと言うこと無くしんどいという言葉がぴったりの私は

そんな自分が情けなくて

 

「がんばれ、がんばれ私」

自分のほっぺをたたいて暮らしていました

 

休憩が欲しい

 

しんどいねん

 

と訴えても

 

「夜中も起こしてないし、たまに介助してもらうくらいで

何も世話なんかかけてない」

「お出かけかて病院の帰りにちょっと寄るだけ」

「好きなように出かけたり毎週ご飯食べに行ってるやん」

「自分が親を見たときは横に寝てずっと寄り添ってた。あんたは何もしてない」

 

いつもそう言われ、レスパイトの必要性も

リフレッシュの必要性も

何も伝わらなかった

 

私はずっと

穏やかに母と一緒にできるだけ最後まで在宅介護をしたかったし

笑顔で見送りたかった

 

そのためにどうすれば良いか考えてたけど

私の努力だけでは限界だよね

 

この頃は本当にしんどくてしんどくて

 

心身ともに疲弊していた

 

去年の秋に入院したのが

一つ目の警告だったのかもしれない

 

母が入院してもちっとも楽にならない私は

 

自分が病気になってでも母から離れたいと

願ってしまっていた

 

そして叶った

 

19日に顔面麻痺が発症し

20日の夜に脳外科受診

21日大きい病院の耳鼻科受診

22日から入院そして1週間経ちました

 

母はとりあえずSさんとヘルパーさんで何とかなっています

 

ついついスマホで母の部屋のカメラを覗いてみますが

元気そうです

 

母とこんなに連絡を取らなかったのは

多分初めてのことだと思います

 

あと1週間の間に、今後の母との生活を考えたいと

思っています

 

闘病記はまた落ち着いてからまとめてアップするつまりです

 

命には別状ありませんが、しばらくは自分をケアしてあげないと

いけなくなりました

 

今回の病気は、そんなことを願った罰が当たったのかと思いましたが

今は神様が

「いい加減にしろよ、後の人生自分や自分の家族を大事に考えろよ」と

くださった贈り物として受け取ろうと思っています

 

ブログを書き始めた頃から続く母との生活を読み返して

ここまでならないと離れられなかったんだろうなと

 

気づいてから10年かかりましたが

本当のラストチャンスだとおもい

最後は笑って母を送れる関係になるために

離れようと思っています