”友と” | 自分らしくしなやかに

自分らしくしなやかに

自分の人生をいきたいと願いつつ還暦になってしまいました
母の縛りはますます強固に、介護という名で重くのしかかっています

またまた、振り返るブログが出てきました。

 

3連発ですがアップします

 

こうやって母の態度に、母の言葉に操られて

動けなくなってしまってたんだなぁと

つくづく思います

 

この頃はまだ母も杖歩行で

家の中では何も持たずに移動していましたし

自分の食事くらいできたはずでした

 

でも人の世話は焼きたがるものの

自分のことはしてもらうのが当たり前になり

一人で時間をつぶすということさえ

だんだんできなくなっていました

 

そしてこれは介護が始まるずっと以前からで、

どうしても母を一人寂しく・・・というより

退屈な思いさせたまま

自分が出かけたり食事に行くことに

罪悪感がありました

 

子供の学校行事や「ねばならない」ということはなんとか行けましたが

友人やましてや自分の家族と出かけることは

とてもとても難しいことでした

 

10年以上前は母も、自分で自分の友人や親戚とランチやしょっちゅう旅行に行っていましたし

なんとか通院も一人でこなしていました

 

その予定にあわせて、私自身が予定を立てて

約束を入れていたのでした

 

自然とそうしていたことに

母が私以外とは全く出なくなってから

自由な時間が何も無かったことに気がついたのでした

 

多分母自身には私を縛っている自覚なんて無いと思います

 

行ったらええやん

なんぼでも行ったらいい。あかんなんて言ってない

 

そう言いながら行きやすいように段取りや言葉がけをするわけでも無く

これがダブルバインドだと

気がついた私さえ、そこから抜け出せば良いのだと

そうすれば母を悪く思う必要も無く

淡々と好きにすれば良いのだ

 

気持ちよく1日出るために

週に2度も3度も母を連れて出かけても、

結局はそれはそれ、これはこれ

という感じで

当たり前になっていっただけで

何の意味もありませんでした

 

いくらそう考えても、

結局何年かかってもくるくるくるくる

回っていました

 

この春には、一歩踏み出すために海外へ

出かけたけど

結局戻ったら元の木阿弥でした

 

戻れない方法、それがこのたびの病気にだったのかなと

思います