全体を観る | チェルシーな日々

チェルシーな日々

フラメンコに魅せられ40でフラメンコを始めたチェルシーです。
アラフォーの悪戦苦闘する姿をお届けします。
まぁ、大半の記事は日常のグチで、不快な表現も多々あり。
好き嫌いがハッキリ分かれるブログですが、
何故か気になるブログになるかもしれません。(笑)

グランド・マスターを観て、

今の私はやけに全体に拘ったなと感じた。

昔、合気道やっている時って、

それこそ身体の個々の動きの研究なんかをやってたんだけど・・・(笑)。



全体というキーワードからどんどん自分の内側に入っていた。

それで、気付いたのは、

一人暮らしを始めるきっかけから現在に至るまで、

ホントに沢山の試練を乗り越えてきた。

こんな辛い思いをするなら、

地震が来て、そのまま死んでも悔いはないと思ってたくらい。

自暴自棄になっていた。

その当時の私は、それこそスピ的に何のカルマだ?

なんてずっと考えてたんだけど、

今思えば、それは気付きや行動をおこす起爆剤であって

それ自体にはさほど意味は無かったのではないかという考えに至っている。



事が起こっている時は、その事にフォーカスし過ぎて

そこから意味を読み解こうとして、

余計に負のループに巻き込まれてた気がする。

その当時友人だった人達にいろんなアドバイスを貰ったんだけど

私の中で「そうじゃない」という漠然とした感覚があった。

もちろん、その問題解決にはそのアドバイスは有効だったのかもしれないけど、

今思えば、それを解決する事が目的ではなくて、

私が何をすべきか?という気付きの材料だったんだと。

それを経験しないと気付かず行動を起こせなかったのかもしれない。

だから、数々起こった問題自体にはさほど意味がなかったと今は感じてる。



よく、自分の中で問いが出てきた時、

既に自分の中で答えが出てるなんて言うけど、

その当時の自分の感覚を振り返ると、

きっと、そうだったのかもと思えてくる。

事が起こってる最中には不思議とそこには気付かないんだけどね(笑)。



全体というキーワードが気になったのは、

今は過去の出来事に対して全体で見渡せるようになれた

という事なんじゃないかな。と感じてます。



そんなこんなで気付けば一人暮らしを始めてもう直ぐ1年になる

という事に気付いた(笑)。

はえー!という正直な気持ち。

もう、そんな月日が流れてしまったのかい?という驚きと

最初は無理だと思っていた派遣の一人暮らしも

習い事をしながらでも出来るようになれたというちょこっとの成長と

全体で見渡せるようになるまでこんなに時間がかかっちまった

という残念さと・・・(笑)



私がもがいていた1年の間に、

たくさんの知人が大きく羽ばたいて行きました。

つい最近も、圭さん が満を持してさなぎから蝶に羽ばたきました!

(なぜか母親のような気持ちのわたし(笑))

あまり人の幸せを喜べない性質なんだけど、

圭さんの羽ばたきには何故か無性に嬉しく感じたの。

私も少し大人になったかな?(笑)



私も羽ばたきたいなーなんて思いつつ

○○になりたい!という欲求がないのが悩みのタネだった。

踊るのももちろん好きなんだけど、他になんか欲求があるような・・・

で、ふと気づいた。ひらめき電球



あたし、彼氏が欲しいらしい・・・(爆)

いつの間にか、女性としての幸せを封印していたみたい。

こう見えて、昔はモテました(笑)。

でもね、30過ぎてから好きな人が出来て

自分からアプローチしてもフラれっ放しで

いつしか、諦めモードになって、

会社の若手からはおばさん扱いされるようになってから

自分探しに没頭していたのかもしれない。

それは、単なる諦めでしかなく、

傷つかないように封印していただけなのかもしれない。

ラストシンデレラを観て、あんなストーリーはないと思うけど

でもでも、まだ女性として愛される可能性はあるかもと

思えてきたのは事実。



積極的に恋愛してみようと思ったら、

昨日体験で行った教室に男性の姿があった(爆)

タイプではなかったんだけど、

でも、今まで習い事で男性がいる事はホントに少なかったから

これはちょっと流れが変わって来たかな?

なんて妄想を抱いてるチェルシーでした(笑)。



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