神の導きの中で【2】~確かに水子はいた~ | 神様と共に

神様と共に

統一教会の元シックです。
統一教会では私の神様に出会いまいた。
神はいつも私と共におられます。


(以下の文章は、私が統一教会へ導かれる前の出来事を回想したものであり、統一教会へ導かれるための序章的内容です。

 恐ろしくつまらない個人的な話です)


朝夕が肌寒くなってきました。

茹だるような日々はどこへ…。

 

 

さて、

前回の記事から5年が過ぎてしまいました。

高校生の時の不思議な体験のお話でしたね。

↓↓↓
神の導きの中で【1】~心霊体験~生まれてこなかった妹(or弟)に出会う~

 

 

気ままなblog故に

前回の記事を書いた時に私の頭の中にあったはずの

大まかなプロット案は綺麗さっぱり消え去っています。

 

が、ぼちぼち記憶を辿ってみます。

 

では、始めます。

 

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電車で出会った男性の言葉が忘れられませんでした。

 

自宅へ帰って何日かして、母に問いただしました。

「母の水子のせいで、私の人生を台無しにされるかもしれないのだ。

 どうしてくれるのだ!

 そもそも水子は本当にいたのか?」

と。

 

母は

「仕方が無かった。

 妊娠していることを知らず、

 病院で放射線を浴びてしまった。

 確実に胎児に悪影響があるという理由で

 医者から堕胎を勧められた」

と言いました。

母が子供をおろしたのは昭和40年代の前半です。

それから十数年が過ぎていました。

 

生まれてくる子供が一生苦しむこととなるかもしれない。

母の母、即ち私の祖母は産むことに大反対。

泣く泣く母は中絶したのでした。

 

母は父には妊娠したことは言わず、

実の母親だけにこのことを話し、

子供を葬りました。

この時点で世に母の中絶を知っているのは母と母の実の母のみ。

 

中絶は母の心に消えない傷として残っていました。

私の詰問により泣きじゃくる母。

そんな母を見て

十代の小娘でしたが、

私にも母の痛みが少しは分かるような気がしました。

だから、この話はこれで おしまい と決めました。

 

その後 お寺に水子供養に行きました。

住職に言われたように

一年の間、母は毎朝仏壇にミルクを供えました。

その一年間は、母にとってどんな日々だったのでしょうか。

仏壇の前で手を合わせて誰かと対話している母をよく見掛けました。

私は生まれて来れなかった妹か弟を

葵ちゃん と名付けました。

その後も十数年に渡って

事あるごとに 葵ちゃん に語り掛けるようになりました。

誰に言われた訳でもなく、

その子のことを覚えていることが姉としての務めで、

忘れないことが供養になると強く感じていました。

 



◇◇◇ 続く ◇◇◇

 

 

 

 


第一話
神の導きの中で【1】~心霊体験~生まれてこなかった妹(or弟)に出会う~

 

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