哲学や心理学を持ち出すまでもなく、
「認識」ということに関して時に考察することには
深い意味があると思います。
ここの所、ロゴやパッケージについて好奇心をそそられ、
フィールドワーク(小売店を調査)したり、
関連する本を読んできました。
そうこうするにつれて日常の風景がずいぶん変わってきました。
否、正確に言いますと、
周りの世界は客観的には変わっていないけれど、
自らの主観的な視点が変わることで、
世界を異なる視点で、深く観察するようになったということです。
以前であれば、コンビニなどでロゴやパッケージを見ても、
「あっカルビーのポテトチップスか。となりのより美味しそう。」
という程度の反応だったのが、
最近は
「カルビーのパッケージはオレンジ地にピンクの文字だな~。隣の競合品は◯◯で、比較するとやっぱりカルビーが美味しそうに見えるな。字体も違うのを使っているな。」
などと比較したり、分析して楽しみます(ちょっと面倒くさい人ですが笑)。
といったように、
たった一つの買い物をする際にでも、
より深い物の見方ができるようになります。
この意味はとっても重要だと思うのです。
「新しい認識を持つことで、
目の前に新しい世界が広がる」
と言えるでしょう。
これはパッケージだけの範疇にとどまらずに、
あらゆることに当てはまるでしょう。
スポーツであれ、音楽であれ、学問であれ、仕事であれ、
「新しい知識を得ることで、
今までとは違った新しい視点で周りを見るために、
目の前に新しい世界が広がる」
ということが時にあります。
これは逆も真なりで
「既存の知識のみで、
今までと同じ視点で周りを見るために、
同じ世界が見える」
ということも真実だと思うのです。
ということに思いを至らせますと、
「最近面白くないな。」
とか
「同じことの繰り返しやな。」
と感じているときは、実は
「(本当は豊饒な)世界からの学びを止めている」
時なのだと言ってもいいかもしれません。
倦怠期を感じる時も好奇心でワクワクしているときも
ともに重要だと思うのですが、
時に自らに
「最近周りの世界が新しく見ているか?」
ということを自問自答して
「新しい認識を得るべく、新しいことを学んでいるか?」
ということをセルフチェックしてみたいと思うのです。
今日も有難うございました。
【今日の気づき】
洞察力は、ただ見るだけでなく、必要な知識があってこそ発揮できる。新しい知識体系を手に入れることで、今までの世界が新しくなる。「変わらない。変わらない。」と思い込んでいるときは、実は自分自身の認識が変わっていないのかもしれない。