あつはなついⅡ 今年の労務学会 | 風のかたちⅡ

あつはなついⅡ 今年の労務学会

去年の今日は、夏たけなわだった。晴れ晴れ晴れ

蔦のからまるチャペルのある学校で面白いお祭りをやっているよ・・・と家のお嬢に誘われたが、暑さに怖じけて面白いお話を幾つか聞き逃してしまった。http://ameblo.jp/hidamari2679/entry-10123626108.html


冷夏の今年は統一論題「高齢者の労務問題」@杜の街の学校。お嬢も報告するというけれど閑古鳥は必定⇒父兄参観的聴衆でも誰も居ないよりはマシかと、上野発の夜行列車音譜・・・ということになった。新幹線 


偶然だろうけれど、日本労働研究雑誌8月号の特集も「高齢者雇用」。合わせて読むとエライ勉強にもなるが、身につまされるテーマでもある。http://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2009/08/


特に身につまされたのは、学会シンポジウム

Aの高木朋代敬愛大准教授「高齢化の人事労務管理システムへのインパクト」

Bの岡本祐子広島大教授「高齢者の就労の心理的意義と課題―高齢期の心理社会的課題の達成における働くことの意味」。


高木報告(研究雑誌8月号にも同趣旨の詳しい分析を加えた論文が掲載)は、希望者全員の継続雇用が原則としながら、実際はそうじゃない現状(労使協定又は就業規則による対象者の選定基準の設定)において、

当該者たちは希望と実現の間にある壁を認識し、自己選別という行動を自ら始動させることによって、雇用と引退の決定に至っている・・・その壁は、実は定年時にあるのではなく、これまでの仕事経験や職業上の様々な経験の中で、徐々に雇用・不雇用の分岐点の根幹となる要素が自身の中で形成されている・・・したがって雇用と引退の分かれ目は、定年に到達するまでの長きにわたる職業人生をどれだけ計画的に堅実に歩んできているのか、あるいはそうした志向性を持っているかという問題に帰結している。

という。


確かに、「長きにわたる職業人生を・・・計画的に堅実に歩んできている」なら結構この上ないが、実際はそうではなかったのだなぁ、今になってそういわれても、と個人的な反省、慚愧の念を含めて思う。それは、おいらに限ったことではないだろう・・・と。


hamachan先生が新著で簡潔に言い切ったこと--雇用契約が一種のメンバーシップ契約となっていることが日本的システムの本質である。メンバーシップ契約に誠実であることを求められる構成員--おそらく勤労者大衆の多くはそうだろう--には、誠実義務を守りながら、企業とつかず離れずの立ち位置を取るのは難しい。尊厳ある向引退期を先読みしつつ職業人生を計画的に組み立てることは、意識面や生活時間配分からして容易なことではない。


トヨタの荻野さんが「六本木ヒルズ特区」と提案したような、日本的ではない企業、明確なジョブ契約で外部市場が存在しているところ、年収2000万円、3000万円も珍しくないなんてところの人だけは、メンバーシップ契約から自由な意識をもちつつ稼いだ上で、職業人生を計画的に組み立てることもありだろう。


しかし、白地のメンバーシップ契約で働く者は、愚痴をたれたりしながらも、組織との強い一体感・拘束性の下で過ごすことに自己実現と生活基盤を併せて置かざるを得ない。「定年後を見据えた計画的職業人生」というのは、よって立つ組織への機会主義的行動のススメ、日本的雇用システム離れという、実効性の乏しい説教をすることに過ぎない。エンプロイアビリティを高めましょうという(ちょっと前に流行った)説教もそれだった。雇用・労働市場の仕組みがそうなっていない中ではカイの無いことではないか。


高木先生も、議論の前提として、長期雇用慣行の合理性、メリットを評価して無理にそれを変える必要はないという立場から、

このことは、60歳以降の雇用促進のために企業の人的資源管理に求められる視点として、60歳以降の就業はこれまでの職業キャリアの延長線上にあることを認識し、定年前後の雇用管理だけではなく、入社から定年に至る従業員一人ひとりのキャリア全体に目配りをしていく必要がある・・・。

と、企業サイドの責任を強調している。この点は、


研究雑誌の座談会の6人の労使実務家(いずれも一流企業だが)もこの3年の経験を通して感じ取っていることが分かる。賃金等の労働条件を含めてどこまでできるかはこれからの労使の努力、国の支援の総合、プラス経済成長の在り方などだろうが、メンバーシップ型雇用契約社会である限り、これが唯一の現実性のある選択肢なのだろう。


シンポB、岡本先生の高齢者のアイデンティティ危機という報告は、聞いていると切ないお話。

○アイデンティティの中核(人生の中で、もっとも自分らしさを感じてきたところ)を中心にして生き方を再構築

 する。

 ・仕事をアイデンティティの中核としていたタイプは、心理的、社会的に可能な限り、自分の仕事世界と何ら

  かのつながりを維持する形の生活を。

 ・例)「後進の見守り」「恩返し」・・・現役時代に培ったキャリア、経験を次世代に継承する。主体は後進。自

  分は見守り役として。後進に「役立っている」という感覚


岡本先生は、引退後を想定して、臨床心理学者として提案されているのだが、継続雇用期間にも当てはまることじゃないか。研究雑誌座談会の実務家の皆さんも、仕事人間タイプの人が職業人としてのアイデンティティを壊すことのない場を用意するのに大変に苦心しているように見える。今でさえそうなのであって、これから、64歳、65歳と義務年齢が高くなっていくほどに工夫がいると。


「現役時代に培ったキャリア、経験を次世代に継承」というのは、個人にとってあらまほしいことだし、実際に役立つ再雇用パワーは企業にとって望ましい。しかし、そういう麗しい継続雇用期になるヒトがどれほどいるのだろう。最終的には、まぁ仕方ないか、食い扶持のためという合理化・諦めで我慢する場合も少なくないのでは。


シンポAの高木報告は、「ジェネラリスト型は現企業での継続就業希望は高いが、その実現可能性には悲観的」「スペシャリスト、職人型は、現企業での継続雇用に自信たっぷり」、といった趣旨の分析結果を示していた。これなど、おいら的には、胸にズキンとくる話だぜ全くと・・・何でも屋であって何者でもないおいらあたりは、さしずめ諦観的自己合理化で過ごす高齢期という予感。しょぼん


とまあ、書いてきながら、どんなに切ない話だろうと、組織にメンバーシップを持って、定年まで働くことができた人の悲哀に過ぎないと言うのも事実だなと思う。


希望に反してメンバーシップから排除された就業形態・状態にいる少なからぬ雇用者にとって、65歳までの雇用の獲得というのは、年金の受給年齢が引き上げられていく時代、生き甲斐だのアイデンティティだのと言うどころの話でないことになるのだ。その辺に何も言及がなかったところは、いかがなものかと思ったりしている。学会としては、65歳定年に向けた正社員層の労務管理の在り方が主題だというのは百も承知しているつもり。


個人的な関心としては、やはり、山あり谷ありとはいってもメンバーシップ契約が切れずにこれた世代の心配より、将来、棄民にすらなりかねない20年、30年先の世代の問題が重たい。やはり忘れ物はないですかの気分わんわんわんわん


閑話休題

会員1000人近い学会だけに、自由論題は50以上、分科会は延べ17会場。なのに体は一つ。聞けるものに限りはあったけど

○竹内規彦・倫和ご兄弟の「戦略的人的資源管理研究におけるブラックボックス議論へ」は、20分そこらの

 プレゼンで、SHRMの概略を分かったような気にさせてくれるのは、さすがにこの分野の専門家。

○平野先生@神戸のところのお二人の院生が報告した「女性活躍推進施策とキャリア自己効力感」も、12歳

 以下の子供がいる女性の場合、均等推進施策が昇進効力感にマイナス方向に働くといった興味深い分析

 結果が出ていたり、「独身期の結婚・出産前の均等推進施策こそが就業継続効力感に利くのではないか」

 といったフィールドからの質問が何れもツボを押さえていて面白かった。

 ・・・などなど、夜行列車に乗ってはるばる来たカイはあったな。

○肝心の家のお嬢の発表は、会場閑古鳥という予想(予定)に反して盛況。しかも学会理事クラスが片手に

 余るほどで、これで発表バッチリならばいうことも無かったのだが、超重量級の聴衆の一種圧迫面接的な

 状況もあった。いずれも適切かつ親切な指摘でもあるけれど、小学校の父兄参観とは桁違いのハラハラ

 どきどきで心臓にも悪いことこのうえなかったな。ご期待下さった?MH先生すみません。御師匠様、不肖

 の弟子で申し訳ございません、次は間違いなく・・・etcは、お嬢の言葉。

○なんというか、育ったディシプリンと通底はしていても微妙に言葉・作法の違う国に移住したみたいなとこ

 ろもあるようだ。母国語的になじんだ理論を別の国語に翻案しつつ実証するというのは大変なんだろうと、

 素人ながら思う。今回は時間、データ等諸般の制約の下でガンバッタ努力賞・・・といのが父兄的な思いな

 り。わんわんわんわんわんわん