風のかたちⅡ -22ページ目

眉つばなるもの/大竹文雄他「解雇規制は雇用機会を減らし格差を拡げる」のアヤシサ Ⅱ

大竹文雄氏は、正直なところ評価に迷う人だ。単なる勘違い「学者」(規制改革会議福井委員)とは違い、立派な経済学理論を身につけた当世まぎれもない学識者のひとりだ(という扱いを大手新聞・出版では勝ち取っている)。


しかし、大竹文雄・奥平寛子「解雇規制は雇用機会を減らし格差を拡大させる」(福井・大竹編著「脱格差社会と解雇規制」)は実にいただけない。


その最たる理由は直下に書いた通りだが、同論文でもうひとつ許し難いのは「労働裁判変数」のもとになった都道府県別の労働寄・使用者寄度の実データを示さずに、日本地図上の濃淡でごまかしたことだ。


50年間という長期間で、260例しかない解雇事件判例だ。単純に47都道府県で割っても、5.5件/都道府県、これだけでも変数の信頼性を疑いたくなる。しかも、解雇事件の6割は東京、大阪、名古屋、広島、福岡、仙台、札幌、高松の8地裁に集中していること(1984~2004最高裁データ、直下のブログ記事の今井他論文、労働政策研究・研修機構報告書)を考えると、260件という決して多いと言えないデータのうち156件は8地裁・都道府県のものという推測になる。


では、260-156=104が残る39道県のデータということだが、これは、1道県に平均したら2.7件にすぎない。しかも、大竹・奥平が拾った判例の期間は50年の長期。大竹先生は、にもかかわらず日本地図上の残る39道県にも、労働寄りか・使用者寄りかの濃淡の色分けをしたのだ。50年間で平均2.7件しか裁判例がない道県にも、むりやり労働寄・使用者寄の色分けをしたのは承認されるやり方なのだろうか。わたしは、承伏できない。


論文には、47都道府県別の判例数を明記し、そのうえで判例が労働寄・使用者寄のいずれだったのかの実点数を示すべきなのだ。それを日本地図の色分けとは・・・。私にはごまかしとみえる。


眉つばなるもの/大竹文雄他「解雇規制は雇用機会を減らし格差を拡げる」のアヤシサ Ⅰ

大竹文雄・奥平寛子「解雇規制は雇用機会を減らし格差を拡大させる」(福井・大竹編著「脱格差社会と解雇規制」)


いろいろと言いたいことはあるが、眉唾の最たるものは、この論文のツボである「都道府県別の労働判決変数」だろう。一見してアヤシイが、よく見ると間違いなくアヤシイ。インチキに近いとさえ思う。大竹・奥平は、「解雇規制は雇用を縮減する」という結論を急ぐ余りに、安直な方法を使ったのではないか。こういう分析を一人歩きさせるのではなく、より綿密なデータ収集と分析の対置を急ぐべきだ。


大竹先生だけあって、流石に組み立ては周到で、あり得る批判点について自問自答風に説明している。「労働判決変数」についてもそうだ。しかし、聴かれもしないのに言い訳をするのは、ヤマシイところがあるからではないのか。以下の比較をしてみると、そう邪推したくなる。


論文は、都道府県別の労働判決変数の表を示さず、日本地図上に網掛けの濃淡で労働者よりか経営者よりかを示しているが、これ自体が、より綿密な判決・決定情報に基づく他の分析結果と違っているのだ。http://jlea.jp/ZR06-0062.pdf (以下、今井他論文という。)


今井他論文は、1984年から2004年の最高裁事務局事件票に記載された2073件の分析をしているが、その12頁には地裁別の労働側勝訴率が出ている。これと大竹・奥田論文の労働側勝訴率を比べると、下のような明確な違いがある。今井他論文に拠れば、解雇事件の6割は東京、大阪のほか高裁が併設されている名古屋、広島、福岡、仙台、札幌、高松に集中しているから、8裁判所と同裁判所を含む大竹論文の8都道府県を比較すれば十分だろう。


地裁・都道府県 今井論文労働勝訴率  大竹論文労働者寄度(3~-3)

札幌・北海道      61.1       -1(=使用者寄度1) 不一致

仙台・宮城県      52.9       +1  

東京・東京都      40.9       -2(=使用者寄度2)

名古屋・愛知県     50.9 +1            やや不一致

大阪            57.4       +3

高松・香川県      47.6       +1or2          不一致

広島・広島県      42.3+2                   不一致

福岡・福岡県      57.2       -1(=使用者寄度1) 不一致   


上のとおり、両者が一致するのは8地裁・都道府県のうち3地裁・都道府県のみだ。データとしての信頼性は、今井他論文の最高裁事件表が包括的で2000件を越えるデータであること、判決だけでなく仮処分命令を含むことからして、掲載基準が曖昧または不明な判例雑誌の僅か260件の判決に依拠した大竹・奥平論文より遙かに高いことは明確である。大竹・奥平は、「解雇規制は労働者の雇用率を低下させる」というそれ自体は実に見事な分析結果を出しているのだが、元になる変数自体がアヤシイのでは分析結果そのものを言う以前の問題なのだ。


実は、大竹・奥平の労働判例変数地図を今井他論文の地裁別と詳しく比較すると、不一致はさらに広がる。一致している方が少ないといえる。一例を挙げれば、大竹・奥平が労働者よりと色分けしている中国の例でも明々白々だ。


地裁・都道府県 今井論文労働勝訴率  大竹論文労働者寄度(3~-3)

岡山・岡山     45.6           +3   不一致大

鳥取・鳥取     54.5           +2   一致

松江・島根     37.5           +2   不一致大

山口・山口     61.9           +2   労働者より過小評価


重ねて言うが、大竹・奥平は、安直な方法を使ってとんでもない結論を引き出したと言わざるを得ない。

解雇規制と労働市場(続き) 目覚まし気付け薬

月曜納品の気が進まない仕事を抱えて、土日は、PCに向かっては席を立つの繰り返し。ついに月曜未明までかかって午前2時に床に飛び込んだが、悪いことは続くもの。朝5時過ぎには、息子の部屋の目覚まし時計で目が覚めてしまった。息子は耳元で目覚ましが鳴り続けるのに太平楽。ぐぅぐぅ 逆に中年性?初老性?早起き癖のあるオヤジの方が目覚めてしまった。しょぼん 


仕方なく机で一服していると、目の前には3時間前に無理矢理ケリを付けた仕事がそのまま。寝ぼけ眼でみても、できの悪さに改めて気分が悪くなり、寝不足も手伝って、最悪の月曜モーニングだ。叫び


一日頭真っ白状態のママだったが、なにげに覗いた労弁・水口先生(http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/ )のちょっと前の書き込みに目がとまり ようやくすこし目が覚めた気分になった。目


大竹文雄・奥平寛子「解雇規制は雇用機会を減らし格差を拡大させる」(福井・大竹編著「脱格差社会と雇用法制」)への水口さんのコメントと、それに対する通りすがりさん、社会学さん、経済学さんとかのコメントが連作風になっていて面白い。


福井・大竹編の中では唯一と言っていい実証のある論文だった。手元にないので水口さんの要約をたよりに思い出してみると、結論は、「労働者寄りの判決(解雇無効判決)は就業率を切り下げる」「1単位の労働者りの判決ショックは就業率を約0.16%低下させる」というもの。過去50年余りの裁判例から「解雇無効判決」が出たら「1」、解雇有効判決が出たら「-1」として地域別に足し上げた数字を出し、判決で労働者有利と出た地域の方が労働者不利と出た地域に比べて就業率が低いという事実を提示していた。


著者達は、ちゃんと「他の条件を一定としたときに」という前提をおいたうえで1単位の労働者寄りの判決ショックが就業率をどれほど変化させるかを「実証」してみせたわけで、標準的な「経済学の考え方」を展開している他の先生方の論文とはひと味違っていた記憶はある。でも、読んだときの印象は、正直なところ「眉につば」だったなぁ。

「他の条件を一定としたときに」という前提には、地域の雇用情勢(例えば有効求人倍率の違いとか)は当然に調整しているんだと思うが、1950年代から2000年の間のその他の条件の調整ってのをどうしたのだろう??はてなマーク なんてつまんないことも気になるが、解雇無効判決がより多いほど、経営者は解雇の難しさを身にしみて、人を雇うのに慎重になる・・というストーリーがどうも気になる。より解約自由な雇用形態(有期契約)への選好は強くなるだろうが、雇用率、就業率まで引き下げ効果ってあるのかなぁ。


「雇用率」「就業率」を筆者達がどう書いていたか、家に戻ってからみてみるべし。

補論 解雇規制/くだらない学者 くだらない官僚組織 そして言うに値しないマスコミ

下の通り引用をするのは、日本の社会で政策立案前のしっかりした議論がなされないことを言いたいためです。


解雇規制のような、1人1人の生活に関わる問題を国レベルで議論するなら、江口さんのような理論的なツメ、そこから求められてくる実証と解明の作業が欠かせません。今の日本の政策決定プロセスで最もかけているのがこれです。


政治家は権力ほしさに、官僚はビューロクラシーの中での上昇を欲するために、それをしないのです。研究者は、真の意味で政策論争がない国の中では人が育ちづらい。


前政権は、官邸の周辺に、しっぽを振りたいだけの「研究者」を幾何級数的に増やしたのではないのかと思います。福井先生は、自分ではしっぽをふったつもりはなくとも、典型的な御用学者・勘違い権力志向をみせました。(後者は、官僚時代のゆがんだしっぽでしょうか)。


本来は、きっちりとした組織がベースになって、実証的なデータを出して議論することでしょう。そうした議論に値する論考を提出出来る人材は居ないわけではないのです。下の江口先生のような。


これからの政策決定のスキームこそ、国民的な議論に値するのではないでしょうか。先進国と思いながら、お寒い立法府や行政府の現状がそこで同時に批判的検討の対象になるはずです。--マスコミが3度の飯より好きな飯の種、政治批判や行政批判とは違う、質の高い議論になるだろうと私は思っています。

解雇規制の撤廃は人々の幸福を増大するか。

福井先生、八田先生、草刈日本郵船会長謹呈 もちろん親玉へも謹呈。

「裁判所における解雇事件―調査中間報告―」第4章http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2007/documents/029_02.pdf


要するに、折り目正しい新古典派的経済学にもとづいた緻密な検討です。

「解雇などが契約自由原則の下でなされれば、若者、高齢者、女性、フリーター、低学歴者、コネのない者などに確実に就業機会は拡大する。」などといった、おおざっぱだけれど、政治的なスローガンにはなりやすい話を学術書風の体裁の中でされている「公共経済学研究者」や、政治権力の下部組織で名を上げたい(?)、それでいて脱税は平気な老舗企業のトップ等ににお勧めします。


著者は、江口 匡太 (えぐち きょうた) さん。筑波大学 システム情報工学研究科 社会システム・マネイジメント専攻 准教授。


問題意識は以下の通り。いま、労働立法的にも、経済学・労働法学的にもホットイシューになっている「解雇規制の効果」です。これまでの論議を踏まえた上で、明確な方法論的な立場が表明されています。


>解雇法制の在り方はすべての労働者に影響を与えるため、学識に基づいた慎重な議論が必要なことは言うまでもないが、これまでの議論から解雇規制について肯定的な論者、否定的な論者の主張の根拠はかなり明らかになったものの、結局のところ信念の違いが明確になった以上の成果があったとは思えない。

>解雇規制を撤廃、もしくは緩和することを主張する論者の多くは経済学者である。彼らの主張の多くは、自由な市場取引と自発的な労使交渉の結果にゆだねるべきであり、強行法規的な規制は資源配分を歪めるだけだというものである。

>否定的な見解にたつのは概ね法学者である。生身の人間は弱い存在であるため、自由な経済取引に労働者をさらすのは望ましくないという前提から、さまざまな保護や規制の必要性を説くことが多い。

>経済学者が語る前提に対する批判として、実際には労働者は弱者であり、企業と対等に契約、交渉できない、生存権のように必ず保障されなければならないものがある、労働者は必ずしも合理的ではない、などが挙げられる。

>こうした明らかに肯定できない環境を前提として解雇規制の意義を考えるのではなく、労働者が合理的な意思決定ができ、交渉や契約の席上でも十分力のあるような環境においても、解雇規制の有効性を示すことができるかどうかをまず考えるべきであろう。以下はこうした観点から解雇規制の効果を再考したい。


法学者と経済学者のイデオロギー対立に巻き込まれず、経済学者らしい推論の王道をいこうとしているのです。経済学的推論だからと言って、福井先生他が喜ぶような「単純な」結論、「契約自由の原則の下で解雇規制を緩和すれば、若者、高齢者、女性、フリーター、低学歴者、コネのない者などに確実に就業機会は拡大する。」にならないのは、お読みいただければ分かります。こういうのをみると、福井先生や八代先生の「学問」とは何なのかと思いますし、尻馬に乗ったか、役所にくすぐられて喜んでいる(?)某会長さんは一体・・・。と、無駄口でした。


以下、結語とそれにいたる推論のポイントです。


>結語

>従来の価格理論が分析するのに適しているのは、労働者の入れ替えや転職がしやすく、業務内容や報酬が就業前に明確になっている場合である。このような仕事の例として、ファースト・フードやコンビニエンス・ストアのアルバイトや美容師やコンピューター・プログラマーなどの専門職を挙げることができる。このような仕事では、自由な労働市場による取引が効率性を達成しやすい。
一方で、業務内容が複雑で事前に明確にできない仕事や転職に時間や費用がかかる場合は、規制の有効性がでてくることをミクロ、マクロの両面から分析した。とくに賃金の硬直性と賃金格差が規制を有効にならしめる要因として重要であることを述べた。もし、賃金が伸縮的に調整することが可能であれば、効率的に離職や雇用関係の継続が行われるため、強制的な解雇は起こらない。それゆえ、解雇規制の有効性も生まれないことを指摘した。賃金の硬直性と賃金格差の下では、解雇規制がまったく存在しない場合、社会厚生を改善する余地が残るという意味で、解雇規制の役割が存在する一方、規制が過剰な雇用保障をもたらす可能性もあるため、規制の効果を測るのは慎重を要する。上記の結論はサーチ理論の枠組みでマクロ的に分析しても成立し、規制のもたらす効果は複雑である。そのため、解雇規制の議論は理論的に結論を出せる類のものではなく、実証的な作業に委ねられるべきものである。

>ポイント1

市場の自由な取引が望ましい労働とは、労働者の入れ替えや転職が容易で、かつ業務内容が明確な仕事である。

>ポイント2

雇用契約を結ぶ際に、様々な理由から業務内容や報酬を詳細に決められないことが多い。これを契約の不完備性とよぶ。

>ポイント3

業務内容が明確な仕事は、業務請負契約(市場取引)が行われる。業務内容が不明確な仕事は、雇用契約(組織内取引)が行われる。

>ポイント4
業務遂行に関して使用者の指示・命令を受けることを労働者性と呼ぶが、契約上明記されていない指示・命令を受けるという点で、労働者性と不完備性とは親和的な概念である。

>ポイント5
市場の失敗とは市場や契約の不完備性によってもたらされる。

>ポイント6
解雇規制が有効となるのは賃金の硬直性と賃金格差が存在する場合である。

>ポイント7
賃金が伸縮的に調整されるなら強制的な解雇は起こらない。解雇が起こるのは賃金が十分伸縮的に調整されないためだ。

>ポイント8
売上金額のような客観的な成果基準がない場合、労働者の評価システムは企業内の制度的なインフラであり、評価システムの実行と定着には時間がかかる。このような場合、伸縮的に賃金を調整するのは限定的になる。

>ポイント9
賃金格差は業務遂行に必要な努力費用と労働者の転職費用の存在からもたらされる。

>ポイント10
解雇規制によって労働者の交渉力が高まり、労働者の利得が上昇すれば、労働者の努力のインセンティブを高める可能性もある。また、解雇規制が労働者のインセンティブに負の影響を与えても、規制が社会厚生を改善する可能性がある。つまり、規制によって労働者のモラル・ハザードや社会厚生の悪化が必ずもたらされるわけではない。

>ポイント11
効率的な労使交渉が行われる場合、解雇規制は労働者の分配を高めても雇用量は効率的な水準で決められる。一方、効率的な労使交渉が行われない場合、規制の効果はポイント10と同様に複雑になる。

>ポイント12
サーチ理論は転職や職探しに時間や費用がかかる現実的な経済を分析するモデルとして経済学で広く普及した理論である。

>ポイント13
サーチ理論においても、賃金が適正な水準に伸縮的に調整されるならば、雇用契約の解消は効率的に行われるので、解雇規制の役割は存在しない。

>ポイント14
賃金が伸縮的に調整されても、サーチ理論が想定する労働市場では効率性が必ずしも達成されない。効率性を実現する最適な労働者の分配率(交渉力)の水準が存在する。

>ポイント15
労働者の分配率(交渉力)の上昇は雇用創出を抑制するので失業率を上昇させるが、成立した雇用契約が解消されやすくなるかどうかは不明確である。また、解雇規制によって解雇の発生頻度は小さくなり失業率は減少する。

>ポイント16
労働者の分配率(交渉力)の増大や解雇規制が社会厚生に与える影響は、労働者の分配率の水準が社会的に見て適正水準にあるかどうかに依存する。労働者の分配率が低すぎるとき、賃金が伸縮的な経済でも解雇規制によって、失業率が上昇するが経済厚生は改善する。

>ポイント17
労働者のインセンティブの問題を考える場合、解雇規制の効果は不明確である。

>ポイント18
解雇規制が賃金をより伸縮的に調整させる可能性があるため、賃金の伸縮性を単純に観察して規制に効果を判断することはできない。