薬局にくる患者さんと話しをさせてもらうと、考えさせられる事が色々ある。

同じように、旦那さんをなくした方と話しができたり、自分のパートナーを介護されている方、親や、義理の親を介護されている方など、介護をしている方が、薬局にかかっている場合もあるし、介護している方が代理でお薬をとりにきて、そのご本人の様子をきく事もあるけど、いずれにしても、する側もされる側も大変だなぁって感じる。中でも、介護されている方が辛い、辛い、ならば、こうしたほうがいいよと家族が言ってもきかない、そして辛い辛いと…
辛いと言ったからとて…でも辛いんだよね、でも家族も辛いんだよね、自分だけじゃないって事をわかっているといないとでは、家族の負担も違うのかと思う。お互いに辛くなっている状態をきくのは、切ない。

うれしい事もある。

90代の親の介護をしている方なんかは、亡くなった時、お礼にきてくれる事が多々あって、さみしさもあるけど、見送れた事に安堵しながら、介護中は、話しをきいてもらったり、こうしたほうがいいと、薬局で言われてきたよ〜って言うとそのようにしてくれたりと、お世話になりましたと、報告しにきてくれたりもする。

家族の形もさまざまだし、家族同士の関係もあるから、対応も難しい。

私の家もがんの父、認知の母、高次機能障害のケイちゃんと、今だに学生のメイと…
仕事をして、家の中の事お風呂介助や病院の通院、8箇所、時間も、お金も費やし、ほんとに今の自分をほめたくなるくらい大変。

それでも、家族が、自分のできる事は自分でして、高齢の両親も寝たきりになっていないのが幸い。昴がなくなった時と家の状況はだいぶ変わったけど、変わったなりに、それぞれが協力してくれるおかげで、今回、5年ぶりのがん哲学外来コーディネーター養成講座を受けに埼玉まで行く事ができた。

参加するにあたって、不安がよぎっていた。

1回目の時は、自分は昴を亡くした直後だったので、クリアなボックスに入ってしまった自分がそこから、世の中をみている感じがあった。外の世界の音は私の耳には入ってこなくて、私自身も音をききたくなかったのがあった。クリアなボックスから出られる事はこの先なく、この小さなボックスの中で誰かと、交わる事もなく、孤独を感じながら生きていくんだと強く感じていた。それは、今まで生きていて、笑ったり、楽しい事を喜んだり、泣いたり、怒ったりそんな世界には無縁になってしまった自分をなにかしらをする事で、これが、今の自分、今まで知らない世界が存在してるんだから、そこで、昴の事を思い生きていけばいい。そうすれば、昴にいつか会える、自分はもう戻る事ができない世界をうらやましいとか戻りたいとかすら思わなかった。昴がどんな気持ちでいたんだろう、昴は、昴は…
昴が経験した事を知りたかった、ただそれだけだった。

昴の思いを感じるためにがん哲学外来に参加した。コーディネーターとか、そんな事を考える頭もなく参加した。
当時は、何も知らなすぎて参加する事にさえ、不安は、何もなかったけど、こうして、年月がたち、何時のまにかクリアボックスがなくなり、元の世界に戻ってこれた、私には、がん哲学外来、じたい場違いじゃないかと思うように感じたけど、昴を思ってでた講座だったので、急がなくてもいいから、やりとげたい、そしていつかRFLでがんカフェをひらいて、ひの先生に講演してもらいたいと言う、大きすぎる思いが自分にある。

不安でいたら、友達が昴がついてるって言ってくれて、久しぶりに昴が一緒にいるんだから、大丈夫、一緒に楽しもう、そんな気分にさせてくれた。


とにかく楽しもう。

そんな思いででかけた。