職場で今まで使っていたパソコンが会長の考えだけで変わる事になり、今までのものと違うのもありそれを使うために業務を行いながら、30分、10回くらいのレッスンを受ける事に抵抗を感じて、転職も有りかなぁと思った。でもこの仕事しかしたことがないから…と考えていた時に、母がお世話なった介護タクシーの事や、昴が亡くなった当日に使ったストレチャーの介護タクシーの事にふと頭がよぎった。


できるかどうかじゃなくて、やってみたいとただの思いつきで、普通二種の免許をとることにした。それが終わると同時くらいに介護ヘルパーの資格をとる事を思いついてしまった5月。


どんなに大変かなんて考えもせずに、教習所にいきはじめた。

どれだけ職場の同僚に無理とか言われたかわからないけど、久しぶりの外の世界は新鮮で、その事だけを考えながらも、技能、学科試験に受からないといけないので毎日吐きそうな6月を過ごしていた。クラウドの薬歴のパソコンのレッスン何かどーでもいいことであんなに拒否反応をしめしていたけど、仕事で使わないといけないんだから、何とかなるか…


家族の病院の付き添いがないと思ってた時期だったけど、具合いが悪くなったりしたのと、仕事の兼ね合いもあったので、ほんとに時間をやりくりしながらの1ヶ月だったけど、とる事ができて、やれやれ。


職場や友達は無理と言う中で、娘は、言い出したらやるからと合格祈願の御守りを買ってくれて、母は、頑張れと応援してくれた。

昴もそう思っただろうな。


これからヘルパーの資格をとって、そのあと法令試験を受けると起業できるんだけど、先は長い。


きっとその頃には新たなパソコンにも慣れて、何でこんな事してるのかなぁと思うかもしれないけど、何か少し前向きと言うか。


介護をしているから、介護が終わってから○○しようとか介護が終わらないととかずっと思ってたいたけど、それって親が亡くなるの待ってる?とかわけもわからない感情がでてきたりして、悲しくなったりしていたけど、ながーい時間をかけながら、すすんでいけばいいんだなぁと思うようにした。


介護タクシーをできるかどうかわからないけど起業して母を最初に乗せたいと思ってる。


ほんとにそう思っているんだけど、職場で根掘り葉掘りきかれたので冗談ぽく、母が車イスになったから、乗せたいんだーと言ったら、まじめなラインがきて、そんな事する必要ないよ。私の家に車イスのせられる車あるから、貸すよ、やめときな〜と


そーいう事じゃなくて😅笑ってしまった。

今のおかれてる私の状況でも、何かできるって事が何より嬉しかった。