自分も相手も大事にするってこと。 | 代替医療師Vanillaのブログ

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健康でいるのも、きれいでいるのもあきらめたくない! シンガポールにて、日々精進。

先日のラブ記事に続きまして。。

こっちから読んでくださいまし

これ→ 愛と嫉妬 裏腹かなぁ 

LOVE& 記事に アーカイブしましたが これも

考え方 というか あくまでも私の思想です

過去から得た自分の人生のための智慧であるに

過ぎませぬ。。。参考までに だょ 


いくつか コメントをいただきましたが 実際ね

自分に自尊心が欠けていたり

自分を大事に愛することをできていなかったり

って こういうことは 気がつかないままの人

多いと思います


かくいう私も なんとなく いつも愛の欠如感は

腹の底のどこかで 感じてはいたものの 

それが 私の恋愛の傾向に 影を落としているとは 

みじんも考えもしなかったってのが 本音ですわ。。。


自己愛が確立し 自分を大事に出来ている人は

人付き合いで あまり 悩みがないのだょ

自分を大事にするように 

どんな相手のことも大事にしようと思うので 

それが たとえ

自分と相容れないキャラクターを持っているとしても

うまく距離感を保つことが できるのだね

自分の持つ 理想や生き方感があるように

相手にも それらがあるのだと きっちり認識

し それを思いやり 大事にできるからね


つまり すごくわかりやすい言い方をすると

私のことを大嫌い っと思う人がいたとしても

私は その人のことを まぁ あまり嫌だとも

思わないし

そのことで 傷つくこともない ということです

そっか 残念だなぁ に過ぎないのです


人の嗜好は 100人いれば 100あるのだもの

イチゴ大好きのひともいれば 

イチゴにはアレルギーがある人もいますわ

みんなが 自分とピンとくるわけありませぬ



彼が 釣りが好きだ それでいい

私は好きじゃないなぁ も それでいい

私が釣りを好きになれないことで 彼が

私を嫌いになるのだとしたら はてなマーク

今の私なら そんな彼は選ばないだけのこと

だって そこには 私の好きなもの大事なもの

私の嗜好に対する 彼の敬意や思いやりがないんだもの

私を 一人の人として 尊重せずして 愛はなし

と 今なら 考えられるんだなぁ


でもさ 自分の好きな人が 大好きな「それ」を 

理解したいな、と思うだろうし 

理解したら 好きになったよ ってことも

あっていいよね


彼が釣りに行きたい日があったなら 

自分の大事な彼が 楽しむその日を

にっこり 送ってあげるのが 愛のある関係性でおこること


釣りに自分は行きたくないのだ だから この私をおいて

一人で 楽しむなんて 許せない となるのは

こうやって 客観的に 考えれば ちょいと奇異だと

気がつけるはず


だ~けど 昔は 私はこれができなかった 叫び
 
自分のために 彼は釣りを諦めるのが なぜか当たり前だと

信じて疑わなかったし それができないのは 私を愛していないからだ

と 詰め寄っておりましたのですわ

あたたた ですよねぇ ガーン 


「愛されるためには何かしなくてはならない・・・。」

その幻想が ベースにあったからね。

自分がそこに 囚われていると 

相手は 自分から愛されるためには 当然何かを

しなくちゃならないのだとね


ここでは 私に愛される為に 釣りを諦めなくちゃだし

それで 私の愛を獲得出来るのよ 

それが欲しくないなんて

それは 私を愛していない証拠だわ と いうことかなあせる


その頃の私は 自分で いろいろとがんばっていると

思っていたし そのことをねぎらわれて当然だとも

いつも思っていたかもです。。。

その自己犠牲感が やっぱりいつも あったのだと思います

頼まれてもないのにっ ビックリマーク ここ 重要~ ガクリ

まぁ 頼まれて 強要されて 自己犠牲に陥るひとも

たくさんいますわ



誰かに 何かをしてあげよう

積極的に何かを しよう と思うとき

積極的でないなら 強要されてでも しようと決めたとき

そこで自問してみるのです

『なぜ これをしようと 思っているのかな?』ってね

やってみて欲しいな



今の私の答えは これまた よく私の生き方感などで

綴っておりますように

「私が したいと思うから」 しか ないのだな

私の何か 目指すものの 途中で した方がいいなと

自分で勝手に判断して 勝手にやってみようと 思うこと

まぁ そんなところだろうか

または 相手を思いやって こうしてあげたら 喜ぶかな 

って 純粋に 相手の喜ぶ顔が見れたらいいなと 思うきもち

で 動くことが ほとんどです

ここで大事なのは そこで相手が 喜ばなかったら ビックリマーク

「あれれ そうか 彼(彼女)はこういうことを 喜ぶ

人では ないのだね」 と 認識しかありませぬ

学習ですわ 

以後 その手のことはしないようになりますよね


「せっかくしてあげたのに」 は まさにエゴ だねぇ

強いては「喜んでよ」 に なってくる ドクロ

こうなると はっきりしてるよね

「私は なぜ これをしたいのかな?」の 答えは

「自分が感謝されたいから よく思われたいから

そして 愛されたいから 」ですわね

こうやって 文字にすると 明らかだけど

ここには 相手への想いは 見つからないよっ


誰だって 『愛されたい』 という気持ちを持っていると思うし

特に 大切な人からの愛情を感じられたときには すっごく嬉しいし

そこで 生きている実感や 自信を 感じるのではないかな




さて では私には いったい何が欠如しているのか

例の蟻地獄の渦中にいるとき ものすごく 自問したのです

(だってさすがに バツイチだしねぇ また 同じ問題だしねぇ

わはは。。。ここについては 過去のLOVE記事を どうぞ)


自己愛はもう 疑う余地なく 問題だったのだけど

もうひとつっ

私の愛は 上で触れたように いつも自己犠牲の上に

成り立つものだと 思い込んでいたのだね


そうなるとねぇ


自分が 自分だけの世界を持つことや 

自分だけの楽しみの為の 時間を持つこと


これが なかったっっっ

自分一人で 何かを 楽しむときにはなぜか

ものすごく 後ろめたい気持ちになっていたこと

思い出します。。。。

なぜか 一人で楽しいのは 罪悪感 ドクロ

そうなると 相手にも 当然 一人で楽しむことを 

諦めさせる訳 だよね。。。 

だって 自分はそれをできていないんだも~ん

あなたの為に それを 諦めているんだもん っていう

潜在意識が あるのですもの ワラ



まぁ 地獄の時代に 私が自分のために もがいて

もがいて 模索していたこと といえば

自分だけの楽しみをまずは見つけること

一人で 楽しい時間を 罪悪感なく過ごせるようになること


ただし これは 自己愛欠如で自己犠牲タイプの

パターンのみの 対策だと 思っています

これは あくまでも 私の過去にうまくいった

対処法に過ぎませぬ。。。

そこを お忘れないようにね

何度も言うように 100人いれば 100人の

問題の在り方があると思いますわ


逆に 自己愛には満ち足りていて 思いやり欠如タイプ

ってのも ありますから そういうタイプの人は 

比較的 男性に多いというか ドライといいますか

自分はこう思う だから 相手もそう思え 

私には敬意を示してちょうだい

でもあなたは 間違えてる ってな感じ。。。

自分のものでない考え方は 理解しないし 知ろうも思わない 

って 極端に言うと そんな感じかな 


相手が 何を求めているのか 知ろうともしない点は

どちらも 同じ問題ですわね

つまりところ やっぱり

『わたくし病』ですなぁ DASH!

思いやりが ないのだな


ラブセミナーでは ここを ウェットタイプと ドライタイプ

で 一度 ぱっと軽く まとめてしまいますが

それも絶対的なのではなくて 自分やパートナーが

どっちの傾向が強いのかって 大体知っておくと 付き合い

やすくなることは 間違いないので 目安にしてから

問題に向かった方が 楽だと思うからです。。。。。 


自分の自己愛の確立 と 相手の自己愛の尊重 は 

セットになってはじめて 人間関係はうまくいくのです


無価値感
自己犠牲
補償行為(愛されるため好かれるための行為)


これは 私の陥っていた自己愛欠如の罠でしたわ

ここに 『本来の自分』は存在しないの


上3つには ピンとこない人で 

でもどうしても 愛がうまくいかないという人は 

傍若無人
他者犠牲
自由放任

気がつかないうちに ここに陥っているかもです

ここには 『他者』が存在しませぬ



ここらへんまで セミナーなんかでしゃべると

あっという間なのに 書くとどうしてこんなに

時間がかかるのでしょうかね。。。汗


この地獄から 抜け出した 私が 試行錯誤で

やってきたこと 参考までに シェアします

photo:01




次回につづきますっ


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