8月23日に救急車で近くの病院に運ばれて、ずっと入院しています。

食べられるようになるため、胃と小腸を繋ぐ手術をしたのに、食欲はずっと無くて痩せる一方。
そして困ったのが、
手術後から、がんの痛みが急激に増した事。

入院前は、そんなに痛くなかったのに。
といっても、1日3回ロキソプロ フェンとオキシコンチン朝晩10ミリずつは飲んでいたけど。

オキシコンチンやめて、フェントステープ2ミリに変更しても痛みは取れず、2ミリ→3ミリ→4ミリ→6ミリまで短期間で増えましたえーん
それでも夜中に痛くて目がさめるので、ロキソプロフェン一錠追加で飲んでました。
オキノームも5ミリから10ミリになったり。
でも、オキノームよりロキソプロフェンが良く効きました。

ダンナにも夜中に背中をさすってもらったり、家族のみんなも私が痛がるので見るのが辛かったと思いますえーん

がん治療も何もしないのは不安なので、9月25日からTS1を飲みました。
これがまた、副作用なのか食欲が更に低下して食べ物を見るだけでも嫌で、わがままな入院患者となってました。

それと並行して、ダンナが放射線治療が出来るか、ここの先生に紹介状もらって一人であちこちに診察に行ってくれました。
私はとても動ける状態ではなかったので、ダンナが行ってくれたんです。

長くなるので続く。

※1ヶ月いろいろあって、治療のおかげで今は痛みも感じてないです。痛みを感じないって病気が治ったって錯覚してしまう〜笑い泣き
8月23日に救急車で運ばれて緊急入院した時
8月31日にバイパス手術をした時

家族は集まって側にいてくれました。

緊急入院後の土日、手術後の土日には、
長男が神戸から帰って来てくれて、次男も帰って来てくれて夜は病院に泊まってくれました。
二人が夜中、交代で仮眠しながら、一人はベットの側にいてくれて、
30分から1時間ごとに目覚める私に、足をマッサージしてくれて、私の気を紛らわせてくれました。
痛みやベットで動けない辛さで唸っている時、足や手をマッサージしてもらって、かなり気が紛れて助かりました😊

他の日には、ずっとダンナか夜泊まってくれています。私のベットの横にゴザを敷いて、母が持って来てくれた幅の狭いお昼寝布団を敷いて寝ています。痛いと言えば背中をさすってくれます。

娘が休みの日には来てくれます。娘は顔を見るだけでいいです。足揉んで〜とかして欲しい事は頼むとしてくれる。

そして母、毎日毎日病院に来てくれます。足湯をしてくれたり、足をマッサージしてくれたり、背中をさすってくれたり。
父も一度、母の代わりに来てくれて、用事がないので寝てました(笑)

近くに住む姉は、実家や我が家の食事のサポートから、私の入院に必要なものを全て揃えてくれて、夜遅くまで付き添ってくれたり、顔のマッサージしてくれたり、本当に頼りになります。
仕事をしているのに私のためにかなり休んだみたいだし、仕事が終わって来てくれたり頼りっぱなし。
姉にはずっと元気でいてほしい。
両親のサポートは姉に頼むしかないし、感謝しかないです。

その他にも姉のダンナさんや姉の子供たち。
稲刈りの手伝いまでしてくれて、いろいろ助けてくれています。

私の妹も遠いので、心配してくれて。メールで励ましてくれる。

とにかく病院で私が一人にならないよう、誰かがいてくれるようみんなで話しているようです。

病気になって、家族の暖かさは充分感じていましたが。今回は更に私を大事に思っていてくれることが、ヒシヒシと感じられ、もうありがたくて感謝しかありません。

元気になった姿を見せるのが、お返しだと思うのに、泣きごと言ったり、諦めたような事を言ったり、ダメダメな私です💦反省。
2017年8月31日に、人生二度目の手術を受けました。

(ポートの埋め込み手術は除いて)

午後一時半からの手術だったので、午前中はのんびりしていて、まずは浣腸がありました。

そして、ナースステーション近くの個室に部屋替え。

それから、シャワーに行ってきてと言われ、
久々のシャワーをして、手術着に着替えました。

それから麻酔科医師の説明。

弾性ソックス履いて、準備オッケー👌

時間通りにに呼ばれ、手術室も同じ階のすぐ近くにあり、行くともう先生方は待っていました。

まずは背中への麻酔。看護師さんが頭を足を持ってくれて身体を丸めます。
麻酔注射が痛かった💦
割とゆっくりと針を刺しているようで、途中で痛くなり、麻酔を追加してくれました。

それからは上を向いたと思った途端、意識なし。
気づいたら部屋のベットに戻ったところでした。

喉が痛い!
でも痛くて咳込めないし、水も飲んじゃだめだし😰
次の日の朝まで酸素を吸わないといけなくて、それがしんどかったな〜。

夜に何度も痛み止め追加してもらって、長ーい夜をすごしました。
次の日の土曜日も、身動き取れず熱はて出るし、シンドイ1日。でも水分はオッケーでした。
母が昼間にはいてくれて、あちこちさすってくれて気を紛らわせたけど、次の日母が調子悪くなり、病院で点滴してもらったそうです。申し訳ない😱
私が辛そうにしている姿を見るのは、かなりしんどかったようです😨

日曜日には、かなり調子良くなり、身体を起こしたり立ち上がったり。

月曜日には、元の個室に戻れて、食事も再開。重湯でしたが。

それから、まあまあ過ごしていましたが、木曜日の朝、背中の麻酔が終わり、抜いてもらったら、
お昼から調子悪い。
ご飯が食べられない。
気持ち悪い。
お腹も背中も痛い。
辛い1日を過ごしています。

辛い中、テレビをつけてます。
北海道の地震の被害の大きさに驚いています。
北海道の皆様も辛い日を過ごされいいる事でしょう。
一日も早く、ライフラインが復旧して平穏な日が過ごせますように。
余震が起こりませんように。
大雨が降りませんように。



8月13日に、抗がん剤を受けた時のヘモグロビンは9.7あったんです。

そしてその時に造影剤のCTをとり、すい臓も肝臓も増大って言われ💦十二指腸に浸潤してる可能性って書いてありましたが、その後10日間で、ヘモグロビンが3.4に減るまで、たぶん腫瘍か大きくなったんだと思う😱

十二指腸に顔を出したガンが、悪さをしたようで、食べ物が通るたび傷つき出血していたようです。

私が痔だと思っていたのは、十二指腸からの出血だったようです。

そういえば、トイレの後のニラのようさ臭い😰
普通じゃなかったな😰

入院してから、そんな説明を聞き
こちらの小さな病院ですが、一般外科の主治医となった先生より、手術の提案がありました。

今のままでは、出血を繰り返すから、食べた物が十二指腸を通らないよう、胃と小腸を繋ぐバイパス手術をしましょう‼️
簡単な手術です‼️
爽やかに言われました。

手術をしないとご飯が食べられない😱
体力も回復しない😰
治療も出来ない😰
って言われ、手術しか選択肢はないようでした。

入院してから、ずっと絶食していて、点滴だけで栄養をとっていたので、ご飯を食べるためには手術しかない‼️
でも、こんな小さな病院で、しかも救急車で運ばれて初めてきた病院で手術受けていいの?
迷いはあったけど、主治医が一生懸命診てくださるので、信頼出来そうだったし即決しました。

さすが小さい病院、月曜日に説明受けて、木曜日か金曜日には手術できるよ👍って事で、入院から1週間後の8月31日、手術となりました。

それにしても、6月のCTでは若干縮小と言われて、今の抗がん剤が効いたのかなって喜んでいたのに、短期間でまたまた大きくなるとは、もう出来ることはないのか?

覚悟はしているつもりだけど、まだ早い?
諦めちゃダメとは思うけど、いろいろと終活準備も必要だし‥💦
少しずつ、どうしてほしいか、伝えとかなきゃ、困るよね

つづく
8月23日木曜日、夜9時過ぎごろ救急車に乗せられてから、どこに運ぶか検討されたようで、
かかりつけの病院は車では1時間以上かかる💦
とりあえず近くの病院に運びます。との事で、一番近い‥と言っても15キロ先、20分はかかる😰

受け入れオッケーという事ですぐ運んでいただきました。
本当に救急隊の皆様にお世話になったようですが、私は意識が朦朧としていたので、お礼も言えてません💦
病院に到着して、採血をしたところ、極度の貧血になっていたようで、ヘモグロビンが3.4でした。

私もダンナもかかりつけの病院に行きたいと思っていたので、救急車で運んでくれるよう手配をしてくれていましたが、その病院まで1時間はかかる。台風が通過中で渋滞してたらどうする?
体調不良の私を動かすのもどうかと。
輸血パックは1時間あればこの病院に運ばれてくるよって事で、運ばれてきた病院に入院し、輸血を受けることにしました。
とにかく、止血と輸血が最優先でした。


私はただただしんどいだけでしたが、慌てたのは家族です。
ダンナ、娘、近くに住む両親。姉夫婦。
次男。みんなすぐに集まってくれていました。
神戸にいる長男は、タクシーでくるって言ってたけど、台風通過中ですぐに動けずに次の日の朝1番の新幹線で来てくれました。

本当に家族ってありがたいです。

ダンナには、止血が出来なければ万が一の時は‥って説明もあったようです。

おかげさまで、病院に着いてすぐに止血剤を投与いただいて、生還しました。

その夜は総勢8人の家族が付き添ってくれました😄

つづく