昔から人を羨んで生きてきた。



親に愛されて育った人を羨み

経済的に私から見て努力してなさそうなのに

比較的自由にしてる人を羨み

パートナーから愛され尽くされている人を羨み

美しい人を羨み

自分にないものを持ってる人を

羨んで生きてきた。



0からスタートして何か成果を出す才能を持つ人のことも羨んできたし

人間関係に恵まれてる人を見て羨んだ。



とにかく私は嫉妬の塊で

羨ましくて仕方ない真っ黒な心を持って

今に至る。



この嫉妬心はわたしを成長欲求へと駆り立てた。

もっと頑張れば

もっと努力すれば

必ず私もああなれるはずだ、と。



自己啓発系やコーチング系の講師をする人たちの多くは

自分の生活や成果を披露し

そこに憧れる人たちが多いことで

集客として成り立つ。

要するにキラキラしてる姿を見せることで

人は憧れるし、そうなりたいと思わせる。

またそうなれるかも!と幻想を抱かせる。

そう言うキラキラしてるように見える人のことも

嫉妬した。



けれど…長く嫉妬しつづけてきて

そしてそのために努力しつづけてきて

わかってしまったんだ。




「前提が違う…」と。




オーガニックなものを食べ

サステナブルに気をつけ

地球環境を大切にし

周りの人も大切にし… 

みたいなピュアな人で

虐待を受けた経験があったり

性的被害を受けたり

要するに心が真っ黒になる経験を

幼少期から重ねてきた人を見たことがない。

なんやかんやと苦労はしてきてるとは言うものの

そんなものは可愛い経験だなぁと思ってしまう。



反対に幼少期から

毒親に育てられたとか

性的被害を受けてきたとか

自分はまったく悪くないのに

自己価値を削がれる経験を重ねた人は

ピュアになりようがないのだ。

だって自分を守るためには

どこかに黒い影を持たざるを得ないから。



わたしは嫉妬心から

自分の黒い影を否定してきた。

この黒い影がなくなれば

あんな風にピュアになれるのではないか、と

必死に自分に鞭打ち努力した。

そして黒い自分を見せまいと頑張った。

(でも毛穴から、黒いのが滲んでたと思うけれど)



そして今ようやく思えるのは

どんな努力しても前提が違うのだから

あのピュアな世界にはいけないってこと。

愛されて育った人には絶対わからない世界に住んでいる。

そもそもスタート地点が違うのだから

あんな風になれっこないのだ。




どんなに憧れても

どんなに羨ましくても 

スタートが違うのだ。



嫉妬しても無駄だよ、と自分に声をかけてあげたい。

良い意味での諦めだ。

嫉妬し続けるかぎり

自分の人生を否定するのと同じだ。

自分の人生を受け入れたくないと言ってるのと

同じだ。




嫉妬し続けるかぎり

頑張り続けることになる。

嫉妬の背後には自己否定がある。



もうやめよう。疲れた。

自分を否定して

違う自分になるために駆り立てられるような生き方に疲れた。



もうやめよう。

怒りで生きるのは。


もうやめよう。

他人と比較して自分を貶めるのは。



もっと愛したいよ。

過酷な中で光だけを追い求めてきた自分を。


もっと愛したいよ。

真っ黒になった自分を。


もっと愛したいよ。

何も持ってない自分を。 





黒を愛せる自分になりたい。

初めてそう思えた。



○o。.。o○o。.。o○o。.。o○o。.。o○o。


追記


キラキラしてるように見える人も

影はあるし努力されてることもたくさんあるのは知ってる。

そう言う世界の大変さがあることも知ってる。

でもやっぱりスタートが違うんだよな、と冷静に思うのですよね。

そう言う人に何言われても

何も響かない。

経験の質の差を感じるから。

反対にわたしが言うことは

彼らには響かないでしょう。

これも質の差だよね。


クオリティ(質)が異なるのだから

嫉妬しても無駄なんだよね。

日本人が白人のスタイルに嫉妬したって

そもそも遺伝子レベルで違うんだから無駄なのと同じ。


今夜の気づきは、クオリティの違いを受け入れて

自らのクオリティを認め受け入れる。

それをしていきたい、根っこにある自己否定を

そろそろ手放したい。そんな気づきでした。



とことん、自己否定している自分を肯定する時間を与えられてるかのような2月、誕生月です。