最近夜はちゃんと寝れてたのだけど

今日は久しぶりに起きた。


…で、出てきたのが「苛立ち」だった。

もうこれは私の個性で主張だから

アウトプットしてしまおうと思う。



わたしは周りから見ると

左脳派だと言われることが多い。

言語化能力も高いと言われるし

道筋を考え

今をどうする?を考えている。






脇見それるけど

突然きたメール。

とっても嬉しかった。ありがとう目がハート




話を戻すけど、私をちゃんと知ってる人は

実はめちゃくちゃ感覚派であることを知ってる。

と言うより動物的勘で生きている、と言った方が近いと思う。



匂うんだよね。ナニカが。

その後、考える。

なぜ?

どうして?

するとどうなる?




ナニカが匂ってから

ちゃんとそれにはいつも素晴らしい理由があるから

その理由を後から思考が追いかけて考えるの。



そうやって私は自分を導いてきたし

導かれてきた。



チャクラの教えは原理原則だから

すべてに当てはまる。

病気も、健康も、経済も人間関係も

何もかも人の持つ悩みの種になることは

何にでも当てはまる。



感覚と体験と、そして分析力をもってして

自己理解を深め

さらにそれを人と分かち合って

再現性を高めるために

ひたすら言語化するよう日々しているのだ。



なぜそんなことするか?と言うと




人を幸せにしたいから、だ。



厳密に言えば家族を、幸せにしたいから。



以前は母を幸せにしたかった。

息子を幸せにしたい。

今ではもう生きてるかどうか分からないから

母を…は抜けて、

息子を、に変わった。



息子を幸せにしたい。

だからまず、自分を幸せにしなきゃ

息子を幸せにできない。

その想いで自分をただひたすら理解しようとしてるし

再現性高めるために言語化繰り返している。




さらに、息子と関わる人と幸せじゃないと

息子は幸せになれない。

だから、いま、わたしが関わる人すべてに

良い影響を与えられる人になる、と決めている。



あまりにもそれが当たり前の考えすぎて

だからやってることに努力とか感じないし

苦痛も感じないし

自分と向き合うことに疲れることもない。




とにかく自分がまずやってみて

成功ルートを複数見出せるようにして

性格の違いや

生い立ちの違いがあっても

通用するように…と考えている。




が、定期的に



自称、感覚派とか直感派と言う人から

この左脳的表現について否定されたり

拒絶されたりする。



自分は感覚派、直感派だから

うまく話せない、と言うタイプの人たちからだ。

(わたしの周りにいる人…と言うか女性の大半は感覚派だ。その人たち全員と言ってるわけではない。

そのうちの一部の人たちのことを言っている)




わたしも根本そっち側だから別にいい。

でもだからと言って論理的に考えようともせず

論理的思考の君さんと

自分は違いますから、みたいな区別をつけるのは

それこそ分離思考ではないですか?



君さんはすごいよね、

自分は違うから(だから考えません)

と、過去どれだけ言われてきたことか。



そうやって、私とあなたは違うと言う言葉が

相手を傷つけるって気づけない

その鈍感さを持ちながら

うちでほんの少し触りのチャクラを勉強した人が

人にチャクラを教えようとしているのを

よーーーーく見かける。

よーーーーーーーーく見かけるのだ。

※複数いるので誰、と言うわけではない。




そうやってあなたと私は違いますと言いながら

人が考えて見出した理論を深く学びもせず

表面を触った程度で人に教えようとする。

しかも言語化できてない再現性の低いまま。。。

それがその後、どう言う影響を他人に及ぼすか?まで

考えられてない証拠なのに。



この時点で第5チャクラのパワーに気づいてないのよ。

なのに。




感覚、直感だけで生きるのはいい。

それは個人の範疇では有効だし最善だ。

でも、その感覚だけで体感してることを、

なぜそうなるんだろう?

どうしてだろう?と考えて

抽象的な概念を

具体的に落とし込む努力をしてる私を

なぜ拒絶するのかさっぱりわからない。




…と書いてみて、感じるのが

私めちゃ怒ってる。

怒ってるんだな。


何に怒ってるか?と言うと

利用されたように感じてるのと

わたしの努力の成果であるメソッドを

踏み荒らされてるような感覚がして怒ってるのと


何より私自身が自己表現を抑えてしまう癖があり

そこに対して怒ってることを自覚した。



だから、そうやって知識を盗んで

薄っぺらなまま発信してるように見える人にイラつくんだ、と書いててようやくわかった。




そんなレベルで人に偉そうに教えるな、と言いたいのは

私が自分に対して

それを言い続けてるからなんだな。

…つまりは自分に厳しすぎ。

だから他者批判になってるんだ…と気づいた。




上には上がいるもので

わたしは自分の知識不足、体験不足を否定しているのよ。

もっと努力せーよ、と自分に言ってるし

自分の器の小ささに苛立ちを持ってるの。



だから同じように

他人のちっささを許せなくて苛立つし

努力不足でできないだけなところを

許せないんだなー。



あと…わたしは頭がいいんだよ。中途半端に。

めちゃくちゃ頭がいいならもっと賢く立ち回れるし

結果をもっと早く出せるけど

中途半端だから遅いのよ。



でも中途半端にでも頭が良いものだから

人から理解されにくいし

共感も得にくい。

結果それが孤独を感じる理由につながるのよね。。。



自分は頭が悪いから、と言う人に言いたい。

頭が悪いのは個性。

頭が良いのも個性。

頭の良い人を理解できないだろうし

理解しなくていいけれど

頭が良いってだけで孤独感じるのよ。

それは知っておいてよ。



無知な人は考えないから苦しまないけど

頭いい人は考えるから苦しむのよ。

苦しいからなんとかしようと、また考えるの。

ちなみに無知な人は苦しまないけど

不安から逃れられないと言う面では苦しむ。

違う苦しみがそれぞれある。



そうやって考えて、

頭が良い人たちが社会を使ってる。

ほら、イーロンマスクだって、

ジョブズだって天才でしょう?

理解を変える天才でしょう?

天才たちが社会を使ってるし

そう言う人たちのおかげで便利な社会になってるのよ。



と言っても、突き抜けた天才たちはサイコパス気質だから感情が麻痺して自覚もないようだし

だから他人の痛みにも無自覚なんだけどね。



突き抜けてない天才たちは

無駄に察知したらして

無駄な配慮なんてするものだから

自分を抑えることをして

結果孤独を味わう。

そう言う人の理解はきっとできないだろうけど

自称頭良くないって人たち

想像してみようよ、と言いたい。

  



あー。怒ってた怒ってた。

めーちゃ怒ってた。



あなたと自分は違うから、と拒絶のエネルギーと共に言われてきた記憶が蘇ってきた(笑)

リスペクトと共にだったらこんなの思わないんだよなー。



…と言う呟き若いてる間に空が明るくなってきた。

今日は久しぶりに怒りを感じる時間が必要な私だった。



青い空が見たいな