広がる悲しみ。みんなが泣いている。
PCを久しぶりに覗いて見たら、
後藤記者殺害の報があった。
覚悟の渡航。
ここで救けてはいけないのは解っている。
払ってしまっては、今後全ての日本人の海外活動が危険になりすぎる。
命は一生に一度だけ使えるジョーカー。
どこでそのカードを切るのか。
それを決められるのは本人だけ。
ネットでは瞬きでモールス信号を送り、見捨てろとメッセージを出していたということだ。
本当かどうかは確かめられないそうだ。
けれど、渡航前に遺書をしたためて行く覚悟があるなら、
それだけの腹はくくれる人だったのだろう。
モールスなら「ジョニーは戦場へ行った」じゃないが、軍、船舶関係でない者が勉強する機会は少ないだろうし、口パクの方が断然早いと思うから、モールスのくだりは飛ばしかもしれないが。
この事件が何にも結びついて行かないとは思わない。
悲しみが人に考えさせ、未来を決めてゆく。
母と名乗る人がメディアに出てきて、支離滅裂なことを言っていたらしい。
そして、その家には北の将軍様たちの肖像写真が掲げられているのだとも。
どういう関係か、報道や噂だけでは確かなことは解らない。
けれど、後藤記者自身がどういう人だったのかは、その行動が物語る。
思索の人だったろうとは思う。
思索せざるを得ない人だったかと。
この親にしてこの子ありと言われるが、必ずしもそうとも限らない。
自分だって否定したい部分はある。
こうようにして、ひとは日本人になっていく。
太古の昔から、少しづつこの地に寄り集まり、混じりあい
江戸時代にもかなりな人数の外国人が、少しづつ日本に溶け込んできた。
日本はそのような人たちを溶かし込んできた。
だから、悼まない。
涙は出るけれど、惜しまない。
ただ、見事な生だったという賞賛だけを送りたい。
誰かが何かを受け止めで、自分の行動を変えていく。
それだけの意志は示した人だったと思う。
報道が落ち着いた頃、誰かがまとめてくれるだろう。
本人をよく知る者でないと解らないこと。
しかし、こういう意志がせめぎ合っているのも、また外交の最前線なのだから。
イスラム圏では新渡戸の「武士道」もかなり読まれているらしい。
向こうだって覚悟の上の人生だけれど。
日本での仇討ちは、テロとはまるで違う。
あくまでもただ一人の当事者だけを追い続ける。
無関係の人を一切巻き込まない、迷惑をかけないことを要求される。
その一人を追いきれずに、人生を旅に浪費してのたれ死ぬか、諦めるか、
それだけ成功率は低かった。
だからこそその数少ない成功例は賞賛されたし、人は応援し協力者も出た。
目的のために無関係の人を巻き込み、
自分たちの大義のためには、そういう巻き込みが許されることにしてしまうのが
他の方法を持たないテロの理屈だ。
後藤さんは日本人であることを選び取ったと思う。
そういうあり方を選び取るまでに、考え続けただろう自分のこと。
そして世界のこと。国のこと。
彼は、彼の時代を生き切ったと思う。
涙の始末をつけないと、出かけられない。
自分の現実は別にある。