生存しています | 母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

1番目の子は大手予備校一浪で国公立。2番目の子は現役で国公立。3番目の子は反抗期の末、大手予備校→理系学部入学→休学し私立医学部専門予備校→再受験 で3人とも医学部へ進学しました。
大学入試センター試験と相性が悪いし、反抗期はすさまじいしのトホホな体験談です。

すっかりご無沙汰しております。

 

2024年の国公立前期入試の日程が3連休に重なるので

ホテルがとりにくいという記事を目にしました。

 

「どこかに出掛ける予定(旅行)あったかしら?ホテルとっておかないと」と、

完全に国公立大学入試のことが頭から離れていて、

「受験生の親」だった記憶より、

「自分の旅行の計画あったかしら?」が先立っていた自分にびっくりしました。

 

(今のところ、出かける予定はありません。)

 

知人からお子さんがAOや推薦入試の時期という話を聞いて、

「あ~~~、そういう時期か~~~」と懐かしい気持ちになっています。

 

ちなみに我が家の子たちは、推薦入試は受けに行ったものの、ご縁がありませんでした。


それでもこの寒さに向かい始める時期は、

やはりどこか、落ち着かない気持ちになってしまいます。

 

きっと、ずっと繰り返した「入試への緊張感がだんだん高まってくる」のと、

進級試験、卒試や国試に向かっていく時期でもあったため、

忘れたつもりでも、心がどこかで覚えてしまっているのかもしれません。

 

 

子供たちはそれぞれの地で、それなりに仕事をしているようです。

 

3番目の末っ子は、医局の人事で半年ごとの遠方の転勤を言い渡され、

あっちの病院、こっちの病院で、

遂に住所すら教えてくれなくなりました。

(おそらく、本人も覚えていないのかもしれません。)

 

勤務先の病院を教えているから、

何かあったらそこに連絡すれば確実にいるから

ということなのですが、上の二人はちゃんと住所は教えてくれるのに、

何なんでしょうね。

 

半年ごとの転勤や、遠方の病院勤務となり、

母は一度も子供の住まいを訪ねることのないまま現在に至っております。

 

3番目の子のCも、後輩を指導する立場になったようですが、

「俺は一番下で自由にやっているほうが良い」と言っております。

やはり、末っ子は末っ子がのびのびしてよいのでしょうか。

 

いよいよ母の出番も少なくなりつつあり、

自分の人生をしっかり歩いて行かないと…と思う日々です。