いくらいつ寝ていつ起きてもいい身分とは言え、
8月の朝と言うものは根性ではどうしようもない困難が襲ってくる。
せっかく砂漠で水を求めて行き倒れた人みたいな状態でがんばって寝ていても、
カーテンのほんのわずかな隙間から差してくる強烈なまぶしさと、
何機もの戦闘爆撃機のような轟音を響かせるクマ、アブラ、ニイニイの混成合唱団がジャマをしてくる。
優しく掛けていたはずのタオルケットはいつの間にか体にグルグルに巻かれていて、
僕からまるで自由を奪っていくように寝返りすらしにくくなる。
めんどくさそうにイヤイヤ首を振っている扇風機のぬるい風が当たっていない時に感じるジワッとした暑さ。
夏にドラマのような爽やかな朝なんてない。
いつも観念して仕方なくだる~く起きるものだ。
扇風機の首振りを固定して強さを「2」にしてボ~ッとしていると、
ベランダに洗濯物を干しに来たおばあちゃんが声をかけてくれる。
「あら起きたかね、今日もいい天気で暑くなりそうじゃね」
ほんの2週間前ぐらいまでは梅雨で雨ばっかりだったのに、
梅雨明けしてからというもの、
雨なんて全く降らない上に毎日カンカン照りでジリジリでアツアツだ。
古い家の木でできた古い階段をギシギシ言わせながらゆっくり降りて行き、
仏壇の前で会ったこともないおじいちゃんの白黒写真に手を合わせ、
何となくテレビをつけて扇風機をつけてテーブルの端っこに座る。
まだ目は半分しか開いていない状態で首をうなだれていると、
おばあちゃんが牛乳多めで甘めな冷たいコーヒーを出してくれる。
それを一気に飲み干して4分の3ほど目が開いたところでふらふらと立ち上がって洗面所に行き歯を磨いて顔を洗う。
ここでようやくちゃんと目が開いてやっと今日という日が始まる。
短パン、サンダル、Tシャツ、麦わら帽子の戦闘服を身にまとい、
玄関を横にガラガラッと開けてちょっと高くなっている敷居をまたぐと、
幅が1mぐらいのコンクリートやアスファルトではなく石でできた狭い路地になっている。
ところどころ割れたり欠けたりしている日陰になっているその狭い路地には、
まったく陸だというのに時々爪にちょっと黄色が入っている名前も知らないカニが歩いている。
10mぐらいのその路地を抜け、
とりあえずはいつものルーチンである道路を隔てただけの場所にある桟橋の様子を見に行く。
外に出ると家にいる時とは段違いな強い日差しに襲われる。
サンサンと降り注ぐ・・・
なんて優雅な感じではなく、
ジリジリという効果音まで聞こえてきそうだ。
海を太陽の強烈な光が照らし、
手をかざして目を細めざるをえないぐらいにキラキラと輝いている。
サラウンドで聞こえてくる自己主張が強すぎるセミの声。
夏の海はこうでなければいけない。
どんよりとした空の下の海ではイマイチ雰囲気が出ないものだ。
あまり車も通らない道路にある、
役に立ってるのかどうかわからない点滅信号を渡り、
1m程度の低い防潮堤を抜けると桟橋に繋がっている。
家からの所要時間はたぶん40秒ほどだ。
潮が引いているせいか桟橋のスロープがけっこうな角度で下がっている。
海を覗くとカケアガリからどん深になっていて、
そのどん深になるところにキュウセンとスズメダイが群れている。
うじゃうじゃいる小魚はメバルの子だろうか。
映画で見るようなエメラルドグリーンの海ではないけれど、
僕にとってはそんな南国リゾート的な海の色より、
こういった「和」な感じの澄んだ海の方が好きだ。
海の観察が終わり、
いつも通りの海であることを確認したら、
海沿いをのんびりと歩きながらカワノ釣具へと向かう。
途中で何度も海を覗きながら天然の水族館を楽しみながら歩いていく。
水がキレイなせいで、
砂底にいるメゴチやキヌバリ、ハオコゼやキス、アイナメが丸見えだ。
ゆっくりと5分ほど歩いてカワノ釣具に到着し、
ガラガラッと扉を開けるとカワノのおばちゃんが、
「いらっしゃい。今日も暑ぅなりそうなね」
と笑顔で話し掛けてくれる。
昨日の釣果を話しながらオキアミLを手に取り、
「気をつけて釣りんさいね」
と、また笑顔で送り出してもらう。
さっき来た道を同じように海を見ながらゆっくり歩いて家に戻り、
バスロッドとバケツを持って戦いの場である桟橋に向かう。
いつもエサはオキアミを使っている。
ゴカイなどの虫エサを使うとまた違った魚が釣れるってことは知っているけど、
ハリにゴカイを付ける時、
あいつら、ゴカイの分際で指を噛みに来るのが許せない。
痛いわけではないのだが、
その生意気な行為にやたらと腹が立つから使わない。
「かわいくない」のだ。
それにしてもいい天気だ。
風もほとんどないため海はベタ凪になっている。
そのせいで太陽の光がそのまま乱反射してキラッキラにキラキラしている。
空の青と白い雲と照りつける太陽に、
古く白い壁が多い古い家の数々。
前にテレビで見たイタリアの古い町並みにも似た感じがする。
車の音は時々しか聞こえてこなくて、
聞こえてくる音のほとんどはセミの声とトンビのピ~ヒョロロ。
時間は誰にでも公平に流れているはずなのに、
ここにいると僕の中では時間がゆっくり流れているようにさえ思う。
しかしそんな時間の流れ方も釣りを始めてしまえば一変する。
胴付き3本針のカワハギ仕掛けにオキアミを3つ付けて海に落とすと、
オモリが底に着いたと同時にガンガンガンッ!とアタリが来る。
2回目からはオモリが底に着く前からアタリだす。
おびただしい数のアタリから「本アタリ」を取ってアワセるとキュウセンやサンバソウ、カワハギが無限に釣れてくれる。
しかし少しでも油断しているとアタリは5秒もしないうちにピタッと止まる。
エサが全部取られた合図だ。
なかなか忙しい釣りだ。
1時間もやってると知らない間に汗まみれになっている。
そうすると釣りを一旦休憩して、
道路を渡ってすぐの自販機に飲み物を買いに行く。
ここでいつも大きな悩みを抱えることになる。
7upにするかピーチネクターにするかファンタオレンジにするか・・・
この時の僕はきっと、
難しい期末テストの問題を解く時のような顔になっていると思う。
そう言えば昨日おばあちゃんから聞いたことがある。
写真でしか会ったことがないおじいちゃんが釣り好きで、
まだ生きてた頃はこの桟橋でよくタコ突きをやってたらしい。
え?釣りじゃなくてタコ突き???
それはちょっとやってみたいと思った。
昔はここもたくさんの魚やタコがいたらしい。
いやいや、今でも充分魚はいる気がするのだが、
昔はこんなものじゃなかったらしい。
イワシやアジが堤防に打ちあがり、
それをバケツを持った近所の人が拾いに来たりしたらしい。
ちょっと信じられないけどおばあちゃんが嘘をつくはずはないので本当のことなのだろう。
悩んだ末になぜか最初の選択肢にはなかったキリンレモンを飲み、
またしばらく釣りをしていると、
白い日傘を差したおばあちゃんが「お昼よ~」と呼びに来る。
家に戻るとタックンおっちゃんとゆき坊に、
「お~、お~、顔が真っ赤じゃ~」と笑われる。
自分ではそんな自覚はないのだが、
いつも顔を真っ赤にして汗だくで帰ってくるらしい。
「晴れでも雨でも風でも釣りしよるって近所でも有名ぃ~ね」
って近所でも有名になってしまってるらしい。
そんなことを言われても、夏にここに来る目的がそれなので当たり前のことだ。
昼にタチウオとアジのフライとウマヅラハギの刺身を食べる。
船の鉄工所をやってるだけあって漁師さんからの差し入れが多いようだ。
そのおかげで魚介類はいつも新鮮で美味しいものを食べられる。
食べた後に少しゆっくりしてからは、
また夕方までの時間を釣りに行くか一本松に海水浴に行くか悩むところだ。
食べながらテレビを見ていると何やらこのへんの地域のことが話題になっていた。
ん?原子力発電所?
誘致?計画?
まだ子供の僕には難しいことはわからないが、
アメリカのスリーマイルの事故のことぐらいは知っている。
こんな何もない田舎にそんなものが?
いや、何も無いから誘致するのか。
今のために未来を売ろうとしているのだろうか?
それによって未来の世代の人には今の世代の人がどう思われるのだろうか。
とうとう形無いものまで金に変えていく時代になったんだなぁ。
本当に安全なものなら東京に造ればいいのに、と思う。
いつまでも今の夏休みが続いてほしいと思う僕にとっては、
何か心にイヤなしこりみたいなものが残った気分になったテレビだった。
2時間ほどで海水浴から帰ってくるとテーブルの上にでっかいザルとボールが置いてあった。
おばあちゃんが「おやつに食べんさい」と言ってくれたものは、
10cmぐらいのエビの塩茹でがてんこ盛りだった。
僕がこれが大好物だと知ってるからかよく用意してくれる。
塩加減が絶妙のエビの塩茹でなんかいくらでも無限に食べられる。
手をべとべとにしながら拭きながらまたべとべとにしながら延々と食べる。
都会ではこんなものは絶対おやつに出てこない。
海がある田舎ならではの特権だ。
今日は早めに晩ごはんを食べなければならない。
夜はゆき坊が夜釣りに誘ってくれているのだ。
どうやら僕がまだ釣ったことがないメバルを釣らせてくれるようだ。
今日はザ・ベストテンがあるから明菜ちゃんを見たかったのだが仕方ない。
明菜ちゃんよりも今回ばかりは大きな目をした瞳ちゃんが優先だ。
晩ごはんまではジャンプを読んだりテレビを見て過ごし、
ちょっと早めの晩ごはんをダッシュでかき込み、
ゆき坊が迎えに来るまでちょっとソワソワしながら待っていると、
玄関をガラッと開けて入ってきたのは帰省で帰ってきたかーちゃんの妹のはるみちゃんだった。
ちょっとガッカリしたけど、
花火を手土産にしてくれてたから許してやろう。
ゆき坊が迎えに来てくれて夜の堤防へと向かう。
昼間の灼熱地獄と違って心地良いそよ風もあって気分がいい。
しかも空を見上げると都会では絶対に見ることができない満天の星空だ。
あの1つ1つの星の輝きが、
実はもう何万年も前の光がやっと届いたものだということや、
光は届いてるけど今はもう消滅してしまってる星もあることにロマンと不思議を感じる。
釣りの仕掛けはいつも使っているものでいいってことだったのだが、
オモリは軽い方がいいということで用意してもらった。
エサは何かというとイカを細長く切った短冊だ。
これを投げて巻くだけってことだがホントに釣れるのか?
しかしそれは杞憂に終わりすぐに衝撃の展開になった。
なんと、1投目からバッシバシにアタリがある。
投げるたびに20cmぐらいの大きなメバルがいくらでも釣れる。
しかもイカの短冊が丈夫なのか、エサの交換はあまりしなくていい。
こりゃ面白い。
用意したクーラーはものの1時間ほどで満タンになってしまった。
大漁に満足と充実感を覚えながら家に帰って風呂に入って潮風を洗い流す。
サッパリして冷たいカルピスを飲んでから爪を切ろうと机の引き出しを開けると、
引き出しの隅っこに3cmほどのキレイな小石が3つあることに気付いた。
爪切りやハサミや色んなものが入っている中で全くその用途がわからない小石。
はるみちゃんに「これ何ー?」と聞くと、
「あ~、たぶんあんたが小さい頃に砂浜で拾った石をばあちゃんにあげたもんじゃろ、ばあちゃん喜んどったけぇね」
僕にはまったく覚えがないのだが、
そんなもので喜んでもらえていることにちょっと胸がキュッとした。
嬉しいような恥ずかしいような照れるような、
そんな難しい感情を持った中にも、
おばあちゃんのことをもっと大事にしようとあらためて思った。
明日もいい天気になるようだ。
うずまきの形をした蚊取り線香を少し横目に横になると、
閉じたまぶたには夏の太陽の下のキレイな海と、
桟橋で釣れる魚たちの光景が浮かんでくる。
日本百景50位の山の麓にある小さな海辺の田舎町。
瀬戸内に浮かぶ島々とどこまでも透明で穏やかな海。
山の緑と海の藍のコントラストが横長にずっと続いていて、
そこに容赦ない日差しが降り注いで海面がキラキラすると、
その贅沢で壮大な景色全体が僕の夏のステージになる。
また夏が来たんやね。
今日の1曲