私は自分の娘を自慢に思うが、

この1年ほどやはり自分は「Sちゃんのお母さん」というアイデンティティーだけで生きていくのは無理だと気がついた。


子供を生むまでにいろいろとやってきたせいもあり、

自分が確立していて、とても頑固だということも

前から知っていたもののまた再確認させられた。


そして自分でびっくりしたのは変なエリート意識。

そんなのはないと思っていたのだが、

「自分は一流の大学に行って、大学院も出て、

頑張って仕事して認められていた」というのが強くて、

それが、「高卒」のお母さん達と同等に扱われるということに対して

かなりの反発を自分の中で覚えていることに気がついた。


うーん、よくない、これ。って思ったけど、もう30代も後半。

なかなか自分が変えられない。


またある意味では自分の経歴はプライドだし、

SKにもちゃんと大学そして出来れば大学院も行って、

どんどん働いてほしいから、それを否定するような考え方は嫌だ。


でも、うーん、難しい。


自分の為になにかするってことがいかに私にとって大切か感じる。


私は母親であるということだけでなく、

1人の女性として、

1人の社会に生きる人間としてやっていきたいのだ。


ではなぜ仕事をしないの???と思われるだろうが、それがジレンマ。


1.SKの日本語能力と日本人としてのマナー

SKは日本に住んでいないけれど、日本語はかなり上手で2歳半にしては

語彙も広い。

でもしゃべることだけでなく、読み書きもきちんとできる子になってほしい。


また、日本で良いとされるマナーなどもきちんと習ってほしい。

これをだれがこのアメリカの中西部の街に住んでいて教えられるのか?

となると私なんだよね、これが。


2.SKからの子離れ

本当は産休が終わってから仕事に復帰する予定だったが

別の街に行ったりして結局は仕事に戻れず、

ずるずると2年半以上が過ぎた。


どうしても私が週5日学校に行かせて自分が仕事という

思い切りがまだない。


3.この街での仕事のコンタクトが少ない

私の仕事の関係上、他人とのコンタクトはとても大切。

前いたところでは9年も仕事をしていたからいろいろとコンタクトがあり、

仕事がフリーでやっていたときもどんどん入ってきていた。


でも今は私の存在を皆この街で知らない。

中途半端でこの街で「売り出す」というのもな、と懸念してしまう。

こんな感じで毎日何回も「自分のために働いたほうが良いのでは?」

という気持ちと「まだまだ待ったほうがいい」という気持ちが交互に訪れる。


週2-3回で出来るのが理想なんだけど、

そういうことを私の昔の仕事の恩師に話したら、きっぱり多分無理だと

言われた。

それにこの7月からそういう仕事を探しているけど、

全然駄目だし。



いつまで、「sちゃんのお母さん」だけを演じていくんだろうか

やっぱり私は私として生きていかないとね。難しいな。