「自信を持つ」というのは私にとっては大変難しいことだ。


私はいつもいつももっと謙遜、もっと謙遜って言われて育った気がする。

私の名前も偉くなれば偉くなるほど、謙遜するというような意味の名前で、いつも名前を忘れずにといわれた。でもそのせいでよい意味でも自信というものがなかった気がする。


小学校1年と2年の担任の先生は本当に古い考えの人だった。

私は書くのが好きで、読書感想文のコンクールで東京都で特選になったりしたのだが、それも表彰状をクラスの皆の前で渡すのではなく、ロッカーにいれるなどという人で、私がもっと謙遜しなくてはいけないといつも言っていた。

私はべつに人に自分が何が出来るとかえばっていたわけではない。

うれしいことがあると自分の日記にいろいろと書いていた。1年生ではその日記を先生に提出するのが義務付けられていたので、それでいろいろとえばっていると誤解されたようだ。ただ、自分のスペースに自分で素直に良かったことを喜んで書いただけなのに。

他にも似たようなエピソードがある。私が書いた作文が学園全体の文集に載ることになり、それが嬉しくて、自分の日記に書いた。そうするとその先生は文集委員会に私の作文は載せないで欲しいと頼み、取り下げた。「何故?」母も疑問に思い、先生に伺った。すると、私のためにならないと言うことだった。

謙虚な気持ちをもたないといけないと。私は決して他人に自慢したわけでも言ったわけでもなかったのに。1年生の子供が素直に喜び、それを自分の日記の中で表現する、一体何がいけないのか、大人になった今でもそれだけはどうしても納得行かない。その先生は1年生と2年生の時の担任の先生だった。いろいろな意味で私のことを理解してくださらなかったので、かなり私はその先生とのいろいろなやり取りが原因で性格的に曲がってしまったと思う。


英語でいうself confidence self esteemはとても必要だと思う。

自慢する必要はない。でも、出来ることは出来るときちんといっても良いのだ。


自分がアメリカに住んでいて、いつも引いてしまっている態度を見て、嫌になる。

何故出来ることは出来るといえないのだろう。自分が自分であることに自信を持つ、そして自分を好きになる、それが出来るようにならなくてはいけないな。