昨日はいろいろと考えさせられた。

というのは、昨日は9月11日。

あの世界中を驚かせた悪夢の日からもう5年とは信じられない。


2001年9月11日。晴天だった。澄み渡った空。気持ちの良い日だった。

仕事をずっと根を詰めてやってきた私はその数週間前から咳が止まらず、そのためにあの日の朝は、仕事を遅刻させてもらってお医者に行った。

お医者さんの検診の後、レントゲンを上の階で取るために待合室で待つ。

そこに、“Oh, God!”(何てことだろう!)と泣き叫んでいる人がいた。そこの待合室のテレビは特定のHEALTH系のチャンネルしか映らないので、その人はすごく怒っていた。携帯電話をかけてはいけない部屋なのに、大きな声で “What’s going on?”(どうなってるの?)と電話の相手に叫んでいる人もいた。何だか変な雰囲気だった。


帰りのバスの中で、NIH -National Institute of Health -(国立衛生研究所)の近くを通ると異常に混んできた。この時間にこんなに人が乗ってくるなんておかしい!と思っていたら、乗ってきた人たちがいろいろと大きな声で話し出した。それによると、なんと・・・・恐ろしいことが起こったらしい。爆弾がワシントンの各地に仕掛けられたといううわさがあるなどということから国立衛生研究所では帰宅命令が出たという。


私は地下鉄の駅でバスを降り、ボスの携帯に電話をする。混戦状態でなかなかつながらない。やっと16回目でつながる。

“Hello. This is indonihonamerica. As you know, I was at the doctor’s office, but now I am ready to come in. But I first wanted to check in with you if I should come in.” (もしもし、indonihonamericaです。ご存知のとおり、お医者さんに行っていて、終わったんで会社にこれから行かれるんですが、出社した方がいいかどうかちょっと確認しようと思って。)

するとボスのCAGは、”You should just go home. We were told to evacuate and everybody has left. Thanks for calling, take care!” (非難命令が出て、皆帰ったから、君も家に帰りなさい。電話ありがとう、気をつけて!)と言って、すぐに電話を切った。彼の声の感じから私達のあの忙しいオフィスが困惑に陥っているというのがすぐにわかった。

私の職場はワシントンDCのホワイト・ハウスから2ブロックのところにあった。


しかし、事の重要性をつかめていない私はまだのんびりとしていた。地下鉄を降り、自宅とは反対方向に歩いて、小さな日本食品の店に行った。そこでは手ごろな値段で寿司を食べることが出来るからだ。私と主人は少なくとも週1-2回通っていたので、お得意さんだった。日本人のマスターと彼の元で働くエクアドル人の若い男性が「いらっしゃい!」と言った。テレビがついていて、2人はじっと見ていた。マスターが「なんかすごいことになっていますね。」と言ったので、私はテレビ画面をじーっと見た。


飛行機がニューヨークのワールド・トレード・センターに突っ込んだということがわかった。そして、それも1機ではなく、2機。そして、もう1機、ワシントン発の飛行機がペンタゴンに落ちたということもわかった。私の顔は青ざめた。

走って帰宅した。 CNNに釘付け。

主人に電話する。なかなかつながらない。日本やインドにもつながらない。

何度も何度も繰り返して飛行機がワールド・トレード・センターに突っ込む映像を見る。私は大きな声をあげて泣き叫んだ

何故こんなことが。こんなことがどうしておきているのだろうか。

ニュースではワシントンDCでは爆弾がいろいろと見つかったといううわさが流れているという話があった。DC市内は大パニックに陥っていた。


私は自分の部屋のテレビの前で、今まで住んでいたアメリカという国が音を立てて崩れていっているような気がした。

何時間がして主人やインドの義両親、日本の両親などとも連絡がついた。


次の日、同僚が運転してくれて出社した。会社には来ていない人も多かった。市内はある意味ではゴースト・タウンのような雰囲気が流れていた。


数日後、いろいろなことがわかった。私の勤めていた会社は若いサイエンティストの育成に力を入れている。そのために、会社がスポンサーしたコンテストで優勝した優秀な小学生達2人、その引率の2人の教師と私の会社責任者2人はカリフォルニアに向かっていた。彼らの乗った飛行機はワシントンDC発で、数分後ペンタゴンへ落ちた・・・・。


テロリスト達は馬鹿ではない。9月11日。911を選ぶなんてなんて皮肉。911って日本でいう119番だから。そしてニューヨークのワールド・トレード・センターという資本主義の象徴のようなところをターゲットにするとは・・・。 無差別殺人。自らを犠牲にして他も巻き込む。信じられないようなことが現実になる。どんなに多くの人々の命が失われ、どんなに多くの人々が影響を受けたか。


アメリカの地は戦場になったことがない。だから、こんなことは考えられないことだったのだ。無差別に攻撃されるなんて。 これらのテロリストのしたことは9月11日だけではなく、その後の世界に大きな影響を及ぼした。

あの事件のせいで、アメリカの中での偏見はかなり強くなった。主人はインド人でもシークでもないし、イスラム教徒でもないのである意味では偏見は少ないと言っても良い。しかし9月11日以降、全てのインド人やパキスタン人などを怪しいという眼で見る人たちも増えた。


9月11日以前もきっと危ない世界だったのかもしれない。でも、あの日以降、世界は変わった。偏見に満ち溢れ、ますます人々の中に亀裂が生まれたような気がする。


5年も経ったんだな、という想いと、まだ5年かという想いが自分の中で交差した。