日本では昔から特別な日である、ハレ、と日常である、ケ、という形で生活を区別してました。
昔は普段着の事を「ケ着」なんて言ったらしいですが、今は言いません。
もちろん、ハレの日に着る服を「晴れ着」と今でもそれは使われますね。
京都は特に海外からの観光客が多いですが、彼らが楽しみにしているのは日本料理の懐石料理なんかの「ハレ」です。
日本人の多くは毎日懐石料理は食べませんので、あちらは非日常です。
観光客は非日常を楽しみにしています。
それはそれでなんの問題もないのですが、昨今日本では日本人の「ケ」が極めておろそかになっている現状があります。
というより、「ケ」が無くなってきている。
現代人は日々「ハレ」の日常を送っている、というよりそれを半ば強要されている格好です。
「ケ」では衰退する、「ハレ」で経済を回せと言わんばかりです。
和食という観点から見ましても、我々日本人が日常的に食べているものは何かというと、「ハンバーグ」「唐揚げ」「ラーメン」こういったものが割合多いでしょう。
総菜や宅配も人気で、今後新築では台所を作らない家も出るかもしれません。
家庭料理になりましたら、これまたレシピサイトだとか動画が流行っている訳で、お母さんは日々の献立に翻弄されています。
「何を作ったら良いか分からない」
「レパートリーが足りない」
こんな悩みからレシピサイトや動画が流行るんでしょう。
食べる方からしましたら日々違った料理が食べれるのは楽しみではありますが・・・
レシピサイトや動画なんか見ましたら、これはどうみても「ハレ」に食べるような豪勢で手間のかかった物です。
手間をかけないように、とそういったコンセプトであったとしても、調理には多くの鍋やフライパンを使います。
レンジを使う事もあります。
四方八方駆使して動く必要は必ずあります。
食べた後の片付けも大変です。
これでは毎日「晴れ着」を着ているようなものです。
服を着るだけで疲れますし、いざ晴れ着を着る時でも何か有難みを感じないでしょう。
スマホなんかで脳内も常に興奮状態、まさに世界的に日々の淡々とした日常が消滅していき、もっともっと日常をハレにと。
いざハレの日になると、今までのハレでは当然満足できませんから、もっと刺激的な何かが必要です。
人間は食って寝ていればいい
こういった事を書くと、サボっている、ニート思想、だと言われるかもしれませんが、食って寝るというのは大変な事です。
今では夜中にスマホを弄っていて、ちゃんと寝れてませんからね。
日常は手間をかけたり、御馳走にしてはいけないんです。
敢えてそう言わせてください。
しかし面白い話、一汁一菜なんか写真で見ますと「美味しそう」「こういったご飯が食べたい」なんて声を聴きます。
一汁一菜なんてのは手間なんて極小、肉じゃが作れないその辺のオッチャンがいきなり作っても形にはなるでしょう。
それでいて、栄養としては日本人に必要な物は過不足なく入っている。
一汁一菜なんて、漬物はもう作られて調理する必要ありません、調理に使うのは火ぐらいで、鍋一つあれば出来ます。
油は使いません。
水に切った肉魚野菜と味噌を入れて、後はのんびり待つだけです。
薄かったら味噌を足せばいい、濃かったら水を足せばいい。
ただその手間だけで、味付けなんかもある程度どうにでもなりますから、一振りの塩で決まる、みたいに気合入れなくて良い。
日常は豪勢にしない。
淡々と極小の手間で、過不足の無い状態を作る。
これは現代人は一見簡単なようで、難しい事でしょう。
人は直ぐに今に不足を感じますし、そこら中に頭を興奮させて快楽に没頭させる情報が溢れています。
書いてる私も大変厳しい状況を感じております。
正直、日本料理や和食は既に足元から崩れているのではないかと私は危惧しております。
ですから、無形文化遺産になったのではないでしょうか?
「ハレとケ」はバランスです。
今は日常をもっと見直すべきだと感じております。
※写真に写ってるのは、料理の出来ない漬物屋のオッサンが昼に10分程度で1から作った物です。