『いま日本に必要なのはトヨタ初代カローラの80点主義ではないか』という話。 | 地方都市は死なず! 滝沢いっせい ブログ爽創通信  *09016693890*kpissey@rf6.so-net.ne.jp*

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上越市議会議員滝沢一成のブログです! 日々感じたこと、考えたことを、できるだけ素直に書いてゆきます。
滝沢一成のテーマは「雪」「老い」「貧困」、これらを追及します。

トヨタの初代カローラは1966年に誕生した。
初代カローラというと「80点主義」という言葉が思い起こされる。カローラは100点でなくて良い、80点取れば十分という考え方でつくられたと、いささかバカにした捉え方をされてきた面があるが実はそうではない。

かつて9代目カローラの開発物語のドキュメンタリーをつくったことがあった。もう20年以上前のことだ。

その際、初代カローラの主査(チーフエンジニア)をされた長谷川龍雄さんにインタビューする機会を得た。正確に言えば、9代目カローラの設計統括をされていた吉田健さんが長谷川さんのお話を聴くという形であったが。

その中で「カローラの80点主義」とは何かという話が出た。
「初代カローラの80点主義はちょっと誤解されて広まっています。100点満点の80点取れればまあ良いやという、いわば妥協をしたと捉える人たちがいるがそうではないのです。自動車の数万点のあらゆる部品が、一つも40点、50点を取ることなく、すべて80点+α以上でトータルとしての完成度の高さを目指したのです。及第点というより80点と言った方が分かりやすいからそう言ったわけです」

子どもがテストで80点取ってくれば親御さんは「頑張ったな」と言ってくれる。でも国語は100点だけど算数は50点だと親御さんは心配する。
どの教科も満遍なく80点取るというのはとても難しい。それをやり遂げた子どもが目の前にいたら、間違いなく褒められる。

それをクルマに当て嵌めた言葉が「カローラの80点主義」なのだ。裏返せば、部品一つひとつに及第点を求める、妥協とは正反対の姿勢なのだった。
四半世紀経っても、時折この話を思い出す。

そして今思うことがある。日本はかつてがむしゃらに100点満点を取ろう、世界一になろうと突っ走ってきた。あのジャパンアズナンバーワンという言葉が踊った頃のことである。

その後バブルが弾け、以来30年日本は低迷の時代をずっと続けている。失われた10年が20年となり、ついには30年となった。

いま必要なのは、日本という国のあらゆる「部品」を総点検し、すべてのフェーズで80点を目指すことなのではないだろうか。
100点満点を取ろうと無理をするのではなく、社会の隈隈まで総浚いし、40点50点、時には赤点の課題を80点に、難しければともかく60点以上にしていく。
例えば、いま国会で論戦となっている、子どもたちにかける予算はあまりに少なく赤点並みであった。

地方自治体の事業はおよそ2000あると言われている。国となるといったいどれだけの事業があるのか、私には分からない。が、その一つひとつを、役人も、政治家も、また国民もそれぞれの視点で総浚いしていく。
そんな地味で地道な作業を今こそ根気良く行う時期にあるのではないかと私は思う。でなければ日本は低迷のまま、やがて二流国へと落ちぶれるだろう。

初代カローラのチーフエンジニア長谷川さんへのインタビューのあと、9代目吉田さんは、長谷川さんに色紙をこうた。
そこに長谷川さんが認めたのは、たしか「誠」の一文字であったと記憶している。