敢えて暴論を書く。また、と思っていたら1件だけではなかった。




<事故>千葉で児童の列に車、小1男子死亡 20歳男を逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120427-00000017-mai-soci



<事故>愛知でも集団登校児童に車、2人重傷 男を逮捕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120427-00000023-mai-soci


同日に2件も続くといちいち記事を引用しないが、いずれも「仕事のことを考えていてぼんやりしていた」とか「ぼうっとしていた」などと言っているらしい。




確かに春の気温も高い日々である。ただでさえ、”春眠暁を覚えず”ではある。誰だって、ぼうっとしてしまうことはある。しかし、だ。




恐らく、この考え事をしていて…というのは、単なる誤解で実際には、”何も考えていなかった”のではないだろうか?敢えて「ゆとり世代」と一括りにするが、仕事上も、日常生活上も、この連中を見ていて何も考えてないのではないだろうか?と思うことが実に多い。




ゆとり教育、は本来、知識偏重・詰め込み教育の反省から、子ども自身に考える力をつけさせるために、”ゆとり”を持たせた筈だったのが、結果的に、”考える力・習慣”を奪ったように思われる。




もちろん、学校教育だけはなく、以前にも書いたが、親が何でも、やってくれてしまうので、子ども自身に考えさせていないケースも多い。ある子どもを家庭教師した経験で、いつも何時に寝て何時に起きているか?と尋ねたら答えられなかったのである。どうやら、お母ちゃんが寝ろといったら寝て、起きろといったら起きる、という生活だったらしく自分自身がだいたい何時に寝て、何時に起きてるかすら自覚がないのだ。




言うまでもなく自動車は凶器である。馬鹿とハサミは使いよう、というが、馬鹿にハサミを持たせるのは非常に危険である。




トヨタが免許を取ろうと言おうが何と言おうが、もはや、免許を持たせてはならないのではないか?