ここのところ日経新聞1面左側の特集コーナーで東電問題を取り上げている。そこには、今日もそうだったが、東電体質、なるものに対する批判が多い。他でも似たようなことを書いたことがあるが、改めてこの問題を取り上げておく。



そもそも批判されている「東電体質」とは何か?表現は様々に分かれるが、概ね、官僚的、顧客を見ていないで内向きである、組織分断的で情報共有がされない、等々に見受けられる。



まず始めに指摘しておかなければならないのは、これらの性質は東電に特有のものではなく、ほぼ全ての企業あるいは組織、特に日本企業にはよく見られる性質である、ということだ



私自身、従業員として、また、営業マンとして、コンサルタントとして、さらに単なる顧客(あるいは、潜在顧客)として、夥しい企業・組織を見てきた。このブログの読者の中には、中小企業の経営者の方、特にベンチャービジネスを展開した、とされる方もいらっしゃるようで、こういう方々は「そりゃ、大企業はそうかもしれないが、中小企業は違う」と仰る方もいるのだが、第三者から見ると、この性質は企業・組織の大小に拘わらない。中小企業、オーナー系企業においても普通に見られる。



情報共有がなされない、という点に関して、特に懐疑的に思われる中小企業について何故生じるか?を説明しておくと、だいたい、以下の理由にまとめられるように思われる:



- そもそも、情報の重要性や共有の意味、についての理解が乏しく、必要だと思っていないから


- 特に不利な情報については、組織のトップの理解が乏しいか、あるいは部下に誤解を受けているため、”言うと怒られる、馬鹿だと思われる”と萎縮しているから


- 自分自身の、あるいは、自分自身が属する部分集団の、「差別化」が情報を持っていること、との誤解があり共有してしまうと自分たちの付加価値が落ちると思っているから。この場合、特に”情報の小出し”が見受けられる


- 情報共有相手の選別基準として『好き嫌い』が優先される。このとき、好きな相手とは情報共有を行うが、嫌いな相手には情報を出さない。場合によっては、嫌いな相手には”誤った情報”を意図的に流す。



もちろん、大規模な企業・組織においては更に物理的・心理的な「遠さ」が働き、情報共有が為されないことも多く、たしかに中小企業などではそうした現象は少ない(ゼロではないが)。しかし、上に挙げたような要因については寧ろ組織が小さい方がより強く働く。



さらにこれらの要因は、洋の東西を問わず、グローバルな企業・組織でも見られる。しかし、日本的な企業・組織で強く見られるように思われるのは、以下の要因があると考えられる:



- 日本人は勤勉、という利点が逆にデメリットになってしまうが、いまだに長時間労働が多い(特にサービス残業など)ため、生活の大半が労働時間



- プロフェッショナル指向よりも、組織の家族化、一体化の強調が見られる。単なる仕事、と割り切ってしまえば、職場での人間関係が即座にその人の人格に繋がることは薄れるのだが、仕事が出来ない=人格的に劣っている、というような誤解が生じやすい。これは評価する人も、評価される人も同様である。仕事が出来る・出来ないという評価よりも、あいつはいい奴だ、とかヤな奴だ、との評価が優先するのもこの傾向が拍車をかける。



***



「仲間意識」を強調すればするほど、寧ろ情報共有のハードルが上がる、といういわば情報共有のパラドックスのようなものがそこにはある。



プロフェッショナル指向に徹して、感情を抑え、仕事上の繋がりと割り切ること、いわば「合目的的な組織」に徹すること、の方が寧ろ情報共有には都合がよいと思われる。