こんにちは。カレイドスコープの寺山瑞穂です。
結構なボリュームで書き倒してきた寺山の車椅子旅の記録。今回が最終回です。
どーしてこんなに楽しいのか?を考えてみました。今回は文章が多めです。
が、途中途中で、これまでの記事で紹介できなかった、訪れた場所や印象的だったものの写真を挟んでいきたいと思います。(写真は全然順不同で。)
これまでの記事
①今回の旅の概要
②飛行機編
③電車編(電車にまつわる色々)
④関門連絡船編(+観覧車編?)
⑤阪急フェリー 新門司港~神戸 編
⑥神戸周遊バス ポートループ・シティーループ編
門司港レトロ。夜お散歩もしました。(風が強くて寒かった!)
・楽しかった!のは伝わっているよね
自分でもあきれるくらいの量と勢いで旅のことを書き倒しましたので、きっと見てくださった皆さんにも「寺山楽しそうだな」ってのは伝わっていることと思います
ええ、もう、楽しかったですよ。
計画しているときから楽しかったし、行っているときも楽しかったし、こうして振り返ってブログ書いているのも楽しかった。
なんやかや一か月以上この旅行で楽しみ尽くしています。
なんという幸せでしょうか!
私は、何がどうして、こんなに楽しいんだ?ってことを考えてみました。
門司港駅周辺は、カレーのにおいで満ちていました。焼きカレー発祥の地らしいです。
そして、バナナのたたき売り発祥の地でもあるらしい。
・能力フル稼働感
旅行の計画を立てること自体がまず好きなんですよ。
情報を集めるのも、検討するのも、楽しい。
それが自分のためだったら、自由にできるのだったら、楽しくないわけがないのです。
実際に現地に行ってみて、自分の計画が想定通りだったりするとすごく嬉しいし
(例えば、駅に近い宿をとったら実際移動が楽でよかった!やった!みたいな細かいことですが)
想定以上の「いいこと」があるともっと嬉しい。
(その宿の食事も美味しかった!とかね)
行き当たりばったり旅のときも、私の場合、いっぱい考えてます。
移動時間はどのくらいかかるか?自分で動けるか?次の活動に支障はでないか?…
まったくその時の気分だけで動ける人も、そのほうが楽しいという人もいるのは分かります。
が、私は考える人で、そして、その考えるのが楽しくて仕方ない人だから、しょーがないんです
その場でその時考えるのは、そのリアルタイム感というか、決断力が問われる感も、好き。
ぶっちゃけ自分一人の旅行ですし、なにしたってそれなりに楽しいのですから、何をどう選んだっていいんですよ。
そこをあえて「より楽しいほう」「より満足するほう」を色々考えて、えいやっ!て決断する。
その手ごたえというか、ワクワクが楽しい。
ハプニングが起こっても、じゃ~どうする?って考えるのも楽しい。
計画は好きだけど計画通りに実行したいわけではなくて、想定外も新しい考える題材になって楽しい。
気分はパズルですね。与えられた条件の中で自分にとっての最善の解を探すゲーム。
答え合わせのために行動している面もあるのかしら?
でもそれだけじゃないんですけどね。
行動でできている自分も楽しい。私知らない街を歩いてる~とか、こんな乗り物乗れてる~とか。
「できた!」って喜びがあります。
正直、見聞にはそんなに重きを置いていないかも。
だから、これだけあちこちで水族館に行っているのに、魚の名前も生態もちーっとも覚えません。
見聞きしたことも片っ端から忘れちゃうし。
自分の能力を使いこなしている喜びを感じられるのが、楽しいんですね。
調べる力、検討する力、決断する力、実行力、そんなものをフルに使っている感覚があります。
そんなの日常の生活でも使っていますが、自分の楽しみのためだけにその能力を十分に使って、それをよりはっきりとわかりやすく実感できるのがいいみたい。
「私にはできる!」って感覚を味わいます。
生きているな~って感じがしますよね。
ある意味、旅は人生そのものなんですな
確かJR住吉駅。ホーム上のベンチ。
車いすになる前、それでも歩くのは不自由で、ホームで待っている間立っているのがつらかったのを思い出します。こうしてベンチを置いてくれていて、それを優先席にしてくれていて、足腰の弱い人にはほんとに嬉しいと思いました。
・チャレンジの楽しみ
書いてて思いましたが、私はチャレンジするのが嫌いじゃないようです
ちょっと超えるべきハードルがあるのが、楽しいみたい。
挑戦している手応えが好きみたい。
「手応え」。いい言葉…
と思う程度には、手応えがあるものが好きだし、手ごたえを感じたい人です。
車椅子で動き回るのは、実際、楽ではありません。
運動能力は低いから、例えば同じ距離移動するのにも時間もかかるし体力も消耗します。
社会は大多数の普通に動ける人を基準に設計されているので、基準外の私などは、もうひと手間、どうしてもかかります。
(最近はずいぶん減りましたが)アクセスできない場所や活動もあります。
車椅子で出かけること自体、ちっちゃいチャレンジの山になっちゃいます。
そうでない社会になってほしいのですが、でも、現状そのちっちゃいチャレンジの山を越えるのは、私は楽しいようです。
探せば結構用意されているアクセス方法を見つけ出すのも楽しいし、
先に書いた「私はできる!」の確認でもあるし。
そして、私が楽しくそのチャレンジをしていることは、いづれ社会が障壁の少ないところになっていく方向への後押しになる気もするし。
門司港レトロ 旧三井倶楽部。2階にはアインシュタイン博士滞在のお部屋も公開されていました。
ここは、古い建物はしょうがない!のではありますが、その2階には車いすでは上がれません。
建物自体には裏から入るルートが辛うじて…って感じ。
遊ぶためなら階段も上る寺山なので、拝見してきましたけどね。頑張りました。
・親切にしてもらうのが楽しい
それから、今回しみじみ思ったのは、
私は人に親切にしてもらえるのが好きだ
ということ。
今回は独りだったので、本当にたくさん色々な方の手をお借りしました。
色々な乗り物の乗務員の方、行き先の施設の職員さん、たまたまそこにいた方、呼び止めちゃった通りすがりの方。
上質なサービスとして手助けしていただくのも好きですし、通りすがりの方に手を貸してもらえるのも好き。
お願いして聞き入れてもらえるのもありがたいし、期待していないところで不意に手伝ってもらえるのも感動します。
私は車椅子の障がい者という分かりやすい状態なので、ずいぶん簡単に助けてもらえます。
見ただけで助けが必要だなって分かるし、どんな手伝いをしたらいいかもイメージしやすいし。周りの方も手を出しやすいのではないかと思います。
特に今回は(何回か書いているけれど)九州だったもの大きい、多分。九州の人、すぐ声かけてくれる。手を貸してくれる。あったかい
親切にしてもらうと、嬉しいですよね。
存在を認めてもらって気にかけてもらえるって嬉しい。(そう、私は結構なかまってちゃん)
お願いを聞いて受け入れてもらえるって嬉しい。
お礼を言ったりなんだりのやり取りで気持ちが通じ合う瞬間も嬉しい。
正直、「いやそこまでしてくれなくても大丈夫なんですけど…」って時もあります。
でも、色々やってくれたいのね~親切にしたいのね~とそのお気持ちはありがたくいただくようにしようかと。
基本、人間は他の人に親切にしたいものだと、私は思っていますし、その親切を受け止める私の役割も大事だと思ってます。
だから、「上手に」親切を受け取ろうと心掛けるのです。
実際は結構な強がりさんで人様の親切や気遣いを受け取るゆとりがないときも多いのですが、旅先は本当に助けてもらわないとどうにもならない場面も多いし、人の目とか人間関係とかも気にしないし、私が素直に親切を受け取りやすい状態になっている気がします。
旅先でのほうが、上手に親切の受け取り手になれて、親切循環に寄与している感じがします
だから、旅が好きなのかも
その循環が広がって、社会がもっと優しくて安心できる多くの人にとって生きやすいところになるといいな。
門司港で泊まったホテルの夕食でその日誕生日であることを何気なく伝えたら、
急遽デザートをお祝いプレートにしてくれました。
これに花火が刺してあったし、窓の外のベランダでは吹き上げる花火をしてくれました。
こういう粋なサービス(親切?)も、大好きです。
・生きる楽しさが詰まっている
こうして考えると、旅しているときには、私のこの人生がぎゅっと濃縮した形で分かりやすく表れている気がします。
自分の持っている能力を生かすのも嬉しいし、
他の人とのかかわりあいも嬉しいし、
それがみんなの幸せに役に立つといいなと思うし。
できることも、できないことも、全部思いっきり使って、この持っている条件で生きてゆく感じ。
こんなに旅が楽しいというからには、
私は、この私で生きていること自体が楽しいんですね、きっと。
大阪伊丹空港からの飛行機から。
今年は他にも旅の計画があります。
また、楽しい楽しいで皆さんに聞いて(読んで)もらえたら嬉しいです。
今回はこれでおしまい。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました
福島県郡山市 宙を奏でる点描曼荼羅画 カレイドスコープ
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