①ネットからの情報は偏っている

②人間の認識自体が不確実である

からの続き。

 

私たちの認識が不確実で、自分の分かりやすく信じたいことだけを信じる傾向にあって、

ネットからの情報は、そういう自分の認識を強化するようなものだけに偏っている。

ってことを、まず知っておきたいわけですよ。

 

自分を引いてみている感覚は大事なんじゃないかしら。

中野信子さんの本では「メタ認知が重要」って書かれていました。

メタ認知とは、「自分を俯瞰してみること。」「自分が認知していることを客観的に認知すること。」だそうです。

 

自分の意見や信念は絶対ではないかも、という、上から見ているかのような視点は大事ですよね。

それは、マスコミをから情報を得てそこに疑問を持たない人にも、真実系を謳い隠されている真実を表に出そうとしている人にも、あらゆる人に言えることだと思います。

そして、世の中には、もっと色々な考えや意見や価値観が存在することを、ちゃんと実感していることも大事なんじゃないかな。

 

このことを書きたくなった理由の一つは、最初に書いたさとうみつろうさんの動画でしたが、もうひとつきっかけになった体験がありました。

 

 

 

先日図書館に行ったのです。時間のゆとりをもって。

最近は調べたいものを検索して、その関連の本だけど探して借りて来るという図書館の利用の仕方をしていた私なのですが、その時はゆとりがあったので、館内をプラプラしてみました。掲示されている「司書おススメ!」と紹介されている本をめくってみたり。

 

このところすっかり小説を読まなくなっていて、久しぶりに小説の書架に足を運びました。

分類されている作者名の多さにびっっっくりしました。

小説家って、こんなにいるんだ!

それから、色々なジャンルの書架を見てみたのですが(それでも私が関心がある分野だけ)

色々と面白いテーマがあり、気になるものがありすぎて、クラクラするほどでした。

面白そうな色々な本を抱えてきては、「これは借りて帰っても読み切れない」と何冊もお返しする羽目に。

世の中にはこんなにたくさん本にするようなテーマがあって、それぞれにすごく研究した人たちが執筆しているんだと思ったら気が遠くなりそうでした。小説一つ一つも広くて深い世界を持っていて、その世界を好きな人たちがたくさんいて、それがこんなにあって…。

 

私の認識している世界はすごく狭いって実感する体験だったのです。

 

私はネット大好きなので情報源はほとんどネットなのですが、私が想像もしなかったところにこんなに広く深い世界が広がっていたのかと。ネットでは私にかすりもしないような情報が、ここにはこんなに物理的に存在していると。

私の認識のキャパシティーは一瞬で振り切っちゃうくらい世界は多様で複雑で広い!!ってすごく思いました。

考えたら当たり前のことなんだけれど、それを体で感じました。

 

気を付けろって警鐘を鳴らされた気分です。

自分の心地よい情報だけにぬくぬくと浸かって世の中を知った気持ちになるなと。

より広い視野を持ち、それでも見渡せない世界の遠大さがあることを、謙虚に認めろと。

 

自分の考えが絶対正しいと思うのって、怠け者の脳に思考停止を許して分かりやすいことだけ見て自分は正しいってところに胡坐をかいている思いあがった態度だと思うんですよね。

 

でも、それをうっかりやるんですよ。私も相当やってる笑い泣き

人間だもの。人間ってそういうものだから。脳は怠け者(省エネしたがり)だから。

(そして多分私の脳は相当省エネ好き。早とちりと思いこみの多さがそれを表している笑い泣き)

 

やっていないつもりでそうなっていることも往々にしてありそう。それって厄介。

せめて、そうなりやすい自分(人間)の性質を理解し、

時々は図書館にいったときのような、ガツンと世界の広さを見せつけられるような体験をしなくちゃいけないと思うわけです。

図書館、マジ、いい刺激になりました。

 

あと、きっと、色々な立場、背景、属性の人と会うっていうのも大事そう。

その時にその相手と素直に対峙できる自分でいられるかってチャレンジもあるけど。

 

安易な情報に流されず、流されたくなる弱さと自分の世界の小ささを謙虚に認め、少しでも認識を広げてゆきたいと思う、2024年の寺山です。(そんなことを年頭にも考えておりました。)

 

おしまい。

長文をここまで読んでくださった貴方には、大感謝!ありがとうございました。