2023年1月15日午後12時より銀河系のセントラルさんより
人類覚醒の光が降ろされました。⇧




Q、 ダンスなのに何で、マインドフルネス!?
  マインドフルネスって瞑想でしょ!座禅でしょ!
  何で、ダンスが出てくるの?

A、そうだね~ナゼだろう?

A、基本的に 瞑想には、2つの車輪があります。

  心を止めて即座に悟りにいたる、サマタ瞑想。
  ヨーガや座禅のようなタイプです。

  もう一つは、気付きの瞑想と言われる、
  ヴィパッサナー瞑想です。

  このヴィパッサナー瞑想を悟りではなく
  ご利益を求めて行うものが
  アメリカを回って伝わって来たマインドフルネスです。
  ご利益があるから、
  ビジネスになるということですかね。

Q、それは、解ったけど、なんでダンス?
  の答えにはなってないよ!

A、そうだね~、実はね、気付きの瞑想は、
  座って、身体を固定して行う必要はないんだよ。
  さっき言った、座禅のサマタ瞑想は基本的に
  座って、動かない状態でするよね。
  でも、ヴィパッサナー瞑想は、座ってもするし、
  動いてもするんだよ。

Q、 動く瞑想ってこと?
  太極拳みたいだね。

A、まあ、動くという意味ではそうだね~。
  武術でも、達人は無念無想になって、
  ◆通常の認識過程を使わずに相手の技を見切ってよける。
  相手の動きを意識化して確認していたら、その間に
  切られちゃうからね。達人には、無念無想が、
  必須!出来なければ切られて死んじゃうんだよ。
  それが、動的なサマディーの、一つだよ。
  勿論、悟りの境地ではなく、途中の段階の、サマディー。

Q、なんでわかるの?

A、武術の技の場合は、必ず相手がいるのだから、
  対象のあるサマディーってところだよ。
  凡夫よりは、遥かにレベルが高いけれど、
  サマディーには、まだ、上がある訳だよ。

A、上座部のお坊さんは、座る瞑想以外の時間、
  起きている間中ずーっとヴィパッサナー瞑想を
  やるんだよ。
  それを一ヶ月とか、一年とか十年とか、
  やると、日常生活でサマディーって言う悟りの光が
  現れて来て、阿羅漢になるんだ。
  長老はヴィパッサナーサマディーって言ってたよ。

  サマタ瞑想は、座らなくちゃいけないから、
  日常生活を悟りの意識で出来ないんだよ。
  座禅から、立ち上がると、
  サマディーっていう悟りの意識から、
  普通の意識に戻っちゃうんだよ。

Q、阿羅漢ってスピリチュアルで言うアルハット、
  アセンデットマスターのことだよね。
  人間じゃなくなるんだね。

A、そうだよ。
  進化するんだよ、阿羅漢さんにね。



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マインドフルネス(英: mindfulness)
とはなんでしょう?
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Googleやその他SNSや、大手企業の社員が、
ストレスを軽減し、仕事効率を高める為の瞑想法として
採用したことから、一般的に知られる様になりました。

アメリカなどで盛んになったこのマインドフルネスは、
メンタルヘルスや、能力開発をもとめて、
行われる瞑想法で、その効果が宣伝される
ことが多いのですが、

元々は、仏教の開祖とされる、仏陀が、
悟りに導く瞑想法として弟子に教えたものです。

それをスリランカの上座部仏教の宗派、分別説部が、
現代にまで伝えて来たもの、と言われています。

マインドフルネス瞑想を行うに当たって、
知っておくべき注意点が幾つかあります。

マインドフルネス瞑想は、『気付きの瞑想』
とも言われます。
また、「観察する瞑想」でもあります。

これは、『今、現在ここで、』
自分がおこなっている行為を
常に観察して、「気付いて」いる状態で行う、
瞑想です。

その為には、

誰が、何にに、気付くのか?を明確にする必要があります。

それは、

「今」私が、私の「心」と「身体」の「行為」を観察して、

それらが、何をしているのかに常に「気付いて」
いる事です。

今、ここで、この時に、

私が→心


私が→肉体

を観察していることに気付いている

ということです。

これを実践するのがマインドフルネスです。

◉これによって、我々が、日々絶え間なく行なっている
 思考という作業を停止させてしまうのです。

心は、思考という作業をやめて、
今ここで、身体が行なっている行為を、
ただ「認識する」という
ことのみを行います。

普段の我々は、何か一つの物事を見ると
「あーこれは、花だ」
「綺麗な、赤い色だ」
 「名前は、なんだったかな?」

という具合に、
視覚情報、【目で見た画像】と、
【記憶している知識データ】を結びつけるという
行為をします。

心の中に入ってきた情報を、
【記憶した知識データ】と結びつけて、
認識したつもりになっています。

そして、さらに、それと感情を結びつけて
「あー綺麗だ」という訳です。

この「心」の連鎖を我々は常に続けています。
しかし、我々、全ての人間の「悩み、苦しみ」は、
この「心」の連鎖から、生まれてくるのです。

マインドフルネスでは、「心」の何時もの仕事を
一時停止させることで、
「心」が「私」ではなかったことに【気付く】のです。

また、
「心」の何時もの仕事を一時停止させることで、
「心」の生み出す「悩み苦しみ」を止めてしまうのです。

◉このようなマインドフルネスの練習を日々行うことで
 自然に、傷ついた「心」は癒され、
 本来持っている力を最大限に発揮
 できるようになるのです。

さて、

誰でも知っているはずの「私」ですが、

マインドフルネスで、
テーマにしているのは、「見る」ですが、
誰が、見ているのでしょうか?

我々が
「私」と思っている日常的な、
「私」のこと、ではありません。

「160 自己こそ自分の主である。」
と経典ダンマパダある通り、
この「私」は、
悟りを体験する「本当の自己」のことです。

上座部仏経典ダンマパダには、自己の章があります。

譬えて言うなら、
心の背後に居て無言で
全てを観察している「自己」です。

凡夫の我々は、沈黙している「自己」を理解できず
日々あれこれ悩んで心と一体化している「自我」を
「私」だと思っています。

はじめに「身体観察」をすることで、「身体」が、
「心」とは、別のものであることを知ります。

次に「身体行為」を「言葉」にしていくことで、
言語化作業をしている「心」と「自分」が、
別のものであることを知ります。

お喋りは「心」がしているのであって
「私」では無いことに「気づき」ます。

その別のものこそが、黙っている者「自己」です。

◎マインドフルネス瞑想では、まず初めに
 これを理解する必要 があります。
 これを知らないで、瞑想しても、
 マインドフルネスにはなりません。


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◉ダンス&マインドフルネスとは?
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◎このクラスでは、
 沈黙してすべてを観察している「自己」に
 「気づいた」状態で「ダンスの所作」を行うことを
 練習していきます。

 ダンスのクラスでは、普通、日常生活で行わない
 珍しい、変わった、驚くべき?、芸術的な、
 大変美しい、などの動きを 行います。

普通の人の日常生活で、まず行わない、動きを
ダンスの先生から習います。

その時、先生は、非日常的なその動きを
実際に行いながら、論理的に、
、自分の動きを【実況中継】しながら
生徒に伝えていきます。

生徒は、はじめて行うその動きを、
心のなかで、先生の【実況中継】を繰り返しながら
動いていきます。

先生も生徒も、今ここで、行っている動きに
超集中して、行うわけです。

上達したい生徒は特に、先生の動きにを逃さずに
コピーすることに全力を注ぎます。
つまり、生徒は、先生の動きを見て習得することに
全集中します。

その後、正確にそれを自分の身体を
使って再現することに全集中するわけです。

この様子は、マインドフルネスの歩く瞑想を
行っている時と、殆同じ、集中力であると言えるのです。
プロのダンサーともなると、
それ以上のプロ並の超集中力です。

▲しかし、

一般のダンスの練習は、ある一点に於いて
マインドフルネスの身体観察、カーヤウパーアサナ
と異なっています。

それは、一般のダンスのクラスには、
【サティーが無い!】ということです。

【サティー】とは、その行為をしていることに、
巻き込まれていないということです。

◉激しい動きの中でも【台風の目】のような
【自己】からの【視点】をもつことが、
 【サティー】つまり【気付きの瞑想】です。

◉この【サティーの視点】とは、
 【自己の視点】です。

上座部仏教以外の宗教や、ラージャヨーガなどでは、
この【自己】を【真我=プルシャ】といいます。
大乗仏教では、【仏性】【真如】といいます。

ダンス&マインドフルネスでは、
激しい嵐のようなインド舞踊カタックを踊っている最中でも
台風の目のような【自己】を体験することを目的とします。

それには、常に【気付いて踊る】ことが重要です。

◎マインドフルネス瞑想のコツ!
 「放っておく」

 瞑想をしていると、誰でも心に、色々な
 記憶やおしゃべり、昨日、誰かが言ったこと、など、
 ポジティブや、ネガティブな思いが、沸き起こってきます。
 マインドフルネスは、観察する瞑想ですので
 観察、一瞥して認識したら、それを追いかけずに
 「放っておく」のです。
 いやーな記憶も、イライラも、怒りも、気にかけずに
「放っておく」のです、しばらく「放っておく」自然に
 消えていってしまいます。