悟りに至る為の Q & A !?
臨済宗の公案、隻手の声のお話です。
この公案は、論理的に答えられますね。検索しても、
意味不明の回答、しか出てこないので、メモしておきます。

それでは、質問です。

白隠が修行者たちを前にしてこう言った。
「隻手声あり、その声を聞け」 とは、

両手を打ち合わせると音がする。
では片手ではどんな音がしたのか?

ヨーガ的な答え
ハートのアナハタチャクラの中で、
2つのものが触れずにして鳴る
【悟りの音】でーーーす!

悟りの世界は、善悪、昼夜、明暗、左右、前後、上下のような、
相互に依存して相対的に成り立つ概念の世界ではありません。

その為、2つのものが触れなくても音がする
のでしょうね。


上座部仏教的な答え

両手を打ち鳴らした事が、
音のなった原因ですね。

右手と左手が、当たったので、
音がなりました。

右手と左手の関係によって、
音が生まれました。

この関係の繋がりを仏教では、縁起といいます。
縁起とは、この様な直接的な原因を言います。

これに対して、間接的原因を因縁と言います。
因縁については、またの機会に説明しますね🙏

仏教では、【この世のすべては、縁起で成り立っている】
と言います。

縁起とは関係性です、そして、関係性は、常に変化していきます。
常に変化する関係性のみで成り立っている世界には、
【実体がない】といいます。

この【実態のない】状態を、仏陀は、【無常】と言い、
後の大乗仏教では【空】と呼びます。

【両手を打ち鳴らす】と言うことで、
常に変化すると言う関係性によって成り立っている
我々の世界を、比喩的に表現しているのです。

【隻手の声】とは、
片手の音という意味です。

普通、片手では音がしません。

これは、
関係性によって成り立つ物事を停止させた状態
をあらわしています。

関係性によって成り立つ物事を停止させた状態
になった人が、悟った人です。

この世の一切は、関係性のみで成り立っているので、
関係性を停止させると、
【悟り】が現れると仏陀は教えます。

この世の一切、世界のすべてとは、
我々に認識できる世界の一切という意味です。

我々人間にとって、世界の一切とは、
我々の【心】が認識できる物事のみです。

従って、認識を超えたものの、
存在の有無を問うことはできません。

それ故、
片手では、どんな音がするのか?
と言う矛盾した質問になるわけです。

世界の一切を認識するのは【心】ですね。

世界がなければ、認識は生まれません。
心が無くても認識は生まれません。

そして、【心】は、自分を含めた世界の
関係性を確認する作業によって、
成立し、日々回転して動いています。

【心】は何を求めて回転しているのでしょうか?
【心】は、常により良いを求めて動き続けます。
何故、【心】は、常に、より良いを求め続けるのでしょうか?
何故なら、【心】は、常に苦しいと感じているので、
常により良いを求めるのです。

それ故、仏陀は、苦諦→此の世の真実は苦しみである。
といったわけです。

仏陀は、
この苦しみを終わらせるために、苦しみを認識し続ける
【心】を停止させる方法を教えました。
それが、【サティー瞑想】です。

【心】は、五感からの情報を認識して、記憶情報と照合し、
その情報に名前、インデックスをつけ、
それを感情と結びつけて、判断します。
この一連の心の働きも、関係性の連続です。

【心】は、何故この様な動きをし続けるのでしょうか?
やはり、より良いを求めてのことです。
しかし、この世のより良い事象は、常にさらなる苦しみを生み出します。
従って、【心】は、永遠により良いを求めて動き続けるのです。

この関係性によって成り立つ【心の働き】を停止させると、
人は、関係性によって出来ている、
苦しみの世界を終了させることが出来ます。
その結果、【悟り】が現れ、
その人は、【阿羅漢】に成るといいます。

【悟り】とは、この世という関係性の世界の外にあります。
認識できる世界の外にあるのです。

【心】を停止させることにより、そこ、至ることが、出来ます。
そこ、とは、つまり、【悟り】です。

上座部仏教では、
悟りの世界を、無為法と言います。
我々の世界、関係性の世界を、有為法といいます。

【心】はどのように【停止】させるのでしょうか?

マインドフルネス→ヴィパッサナー瞑想、
気付きの瞑想→によって【停止】させる事ができます。

話を戻しましょう。

片手だけでは、もはや関係性が持てませんので、
この世の関係性の中では、音が出ません。

関係性を持たない【片手の音】を、
悟った人【阿羅漢】に例えて、
どんな音がするのか?と質問しているのです。


【隻手の声】片手で出る音とは?
【沈黙の音 】です。

矛盾ではなく、
論理性を超越した答えです。
悟りとは、言語表現が不可能なものであり、
二元性で成り立っている、
言語を超えたところにあるのです。


まとめ

両手を打ち鳴らした音は、関係性によって成立する、我々、
凡夫の無常の世界を象徴する。

片手の音は、相対的な現世を超越した、涅槃、悟りの世界を象徴する。
よって、片手の音とは、沈黙の音、悟りの音である。

スピリチュアル、ワンネスは、どこまで行っても、
有為法、関係性の世界です。

悟りはその外にあるのです。


..