九州最南端・佐多岬に立つ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

最果てには、人の心を捉えて離さない魅力がある。

北海道最北端の宗谷岬や、最東端の納沙布岬は、僕も大好きで、稚内や根室から路線バスに乗って何回か訪れた。
遮るもののないオホーツクの海原に、旅情とロマンがわき上がる宗谷岬。
北方領土を目の前に、国境の厳しさを見せつけられてしまう、納沙布岬。
また行ってみたいと思う。

だが、本土最南端、九州の大隅半島の先端に位置する佐多岬は、ちょっぴり趣が異なる、不思議な場所だった。

何よりも、行き方が難しい。
宗谷岬も納沙布岬も、最寄りの鉄道駅から、路線バスで1時間そこそこである。
だが、佐多岬には、公共交通機関が通じていない。

 

 

もともと、大隅半島が、極めて不便な交通環境にある。
日南線の志布志から、鹿屋・垂水を経由して、鹿児島本線の国分まで、半島をぐるりと半周していた国鉄大隅線は、昭和62年に廃止された。
今は、鹿児島市内や鹿児島空港と、鹿屋を結ぶ直行バスが、鉄道の代わりを果たしている。
さらに鹿屋から、佐多岬の入口の大泊まで、路線バスで所要1時間50分を要する。
しかも、1日3本しか運行されてない過疎路線である。


大泊から佐多岬へも、かつて路線バスが走っていたが、平成18年に廃止されてしまった。

 


岬へ繋がる佐多岬ロードパークは、車しか進入できない道となっている。
自転車はもとより、歩行者もお断りなのである。
佐多岬全体が地元企業の私有地で、昭和38年に、その企業が建設した私有の有料道路が自動車専用として認可されていたからだという。


企業所有の道路で有名なのは、箱根のターンパイクだけれど、佐多岬も、車の免許を保持していなければたどり着けない岬だった。
何人ものトホラーやチャリダーが、最南端を目前にしながら、涙をのんだと聞く。
波打ち際や断崖を伝って、道なき道を行き、何とか岬にたどり着くルートを開拓した強者もいた。
しかし、登山並みの重装備と体力が必要で、誰もが行ける訳ではなかった。

日本最南端は、まるで秘境のように、旅人を寄せ付けない。
その原因が、人間が勝手に作り上げた組織や制度である、という事実には、忸怩たる思いを禁じ得ない。

その地元企業が、佐多岬全般の事業を手放したがっていると、平成15年頃から話題になっていた。
儲からないから。
これ以上、投資もしない、と言う。


やむを得ないこと、なのだろうか?
地元自治体が休業の延期を申し出ていたが、一時は、道路も閉鎖されて車ですら最南端に行けなくなるのではないか、との噂が流れた。
生活道路として日常的に使っている地元民もいるというのに、である。


幸い、平成19年に一部が町道となり、歩いたり、自転車が通行できるようになった。
平成24年に、地元自治体が、その企業に少なからぬお金を払って、道路は全て町道に移管された。

道路とは、いったい誰のものなのだろうか。
私物として独占したり、都合で維持をやめたり、ということが許されるのであろうか。

公共性を求めるならば、最初から自治体の責任で建設し、維持すべきだったと思う。
自治体の代わりに、企業が、建設費や維持費を負担していたと思えば、それほど理不尽な話ではないのかもしれない。

けれども、昔は儲けたんでしょ?──

納税者としては、そう思ってしまう。

その企業がまだ佐多岬を掌握していた平成15年の夏に、僕はレンタカーを駆って、最南端を目指した。

 


ロードパークの入口のゲートで通行料を払う。
緑の絨毯を敷き詰めたような、南国らしい風景の中を、閑散とした2車線の道路が伸びる。
高い木立ちが少ないから、まるでゴルフ場のようにも見える、なだらかな丘陵地帯を縫って走る。
爽快なドライブを楽しめるロードパークだった。
道路公園とは、よく言ったものだと思う。


しかし、どこか荒涼とした印象が否めないのは、人の手があまり加わってないからであろうか。
舗装も粗く、ひび割れがあちこちに刻まれている。
まるで、管理者のやる気のなさを反映しているかのような、荒んだ道だった。
 


前方にポッカリと口をあけているのは、岩崎トンネルである。
いきなり、1車線の幅しかないトンネルの登場に、思わずブレーキを踏んだ。
照明もない。
対向車が来ないよう、ライトをハイビームにして、クラクションを鳴らしながらゆっくり進む。
結局、何も現れなかった。

 

 

 

 

トンネルを抜ければ、目の前が明るく開けて、行き止まりの駐車場になった。
路線バスが待機していて、思わず乗りたくなる。
何と言っても、九州最南端の路線バスだ。
しかし車で来てしまっている身としては、そうもいかない。
その頃は、まさか廃止されるとは思ってもいなかったから、いつか乗る機会があるさ、くらいに思っていた。


ここからは徒歩になる。

手前に立つガジュマルの巨木に圧倒されて、気分はいきなり南国になる。
駐車場の奥に、可愛らしい歩行者用トンネルがあり、また料金を払う。

 

 

こんなにお金を要求される最果ての地は、初めてだった。
レンタカー代やガソリン代だって、馬鹿にならないのである。

やっぱり敷居が高すぎるぞ、最南端!──

とも思ったのだけれど、まあ、私有地だから、郷に入らば郷に従えか、と、苦笑いしながら、財布を取り出すしかなかった。

トンネルをくぐり抜けると、海に面した断崖の上をゆく、スリルある遊歩道になる。
足元の遥か下に、白く波頭が踊る海面が見え、足がすくむ。
道端には、申し訳程度に張られた低い柵しかない。
荒れた細い道だった。
固く鋭利な葉を伸ばしたソテツの樹が覆い繁り、根っこが張り出しているから、気を緩めていれば躓きそうである。
しかも、湿ってつるつる滑りやすい、粘土のような土質の道だった。
アップダウンが激しく、じんわり汗が滲んでくる。
石を埋め込んだだけの、急な階段もある。

 

 

ふと足を止めて、一息つきながら視線を遠くに転じれば、薩摩半島の開聞岳が水平線の彼方に見える。


あちらは枕崎までJRと私鉄の2本の鉄路があったが、私鉄の方は廃止されてバス事業者となり、佐多岬を治める企業の傘下に吸収された。

危なく佐多岬の二の舞いだったのかもしれないが、JR指宿枕崎線が健在で、大隅半島より交通の便が良いことにはホッとさせられる。

指宿枕崎線にある日本最南端の西大山駅から見上げた開聞岳の秀麗な山容が思い出される。

 

 

再び歩き出すと、沿道のレストランが廃屋と化していた。
木々の繁みに覆われて、何とも痛々しい佇まいである。
これも、例の企業が建てたのだろうか。

自然の厳しさだけでなく、渡る世間の厳しさまで教えてくれる佐多岬──

そんなもの知りたくないぞ、ここでは、と思うのだが。

 

 

1㎞ほど歩くと、薄汚れたコンクリート製の展望台が、低い繁みの上にひょっこりと顔を出した。
内部は埃だらけで、窓ガラスも汚ない。
売店らしき痕跡があるが、雑多な物品が床に散乱しているだけである。


足を踏み入れるのがためらわれるほど荒れ放題となっている、この素っ気ない建物が、はるばる最南端を目指した旅の終点なのだった。

 


息を切らせながら螺旋階段を登り、展望台の2階に出ると、眼下一面に、陽光が跳ね回っているかのようなコバルトブルーの大海原が広がった。
思わず息をのんで、立ちすくんだ。
高さと眺望では、他に追従を許さない、見事な地の果てだった。
これまでの荒んだ道のりが、この絶景を際立たせるための演出に思えてくる程である。

左下方にゴツゴツした岩礁が連なり、沖合いに向かって500mほど細長く突き出している。
荒波に洗われながら、そそりたつ海食崖。
その突端に立つ、小さな白亜の燈台。
そこが真の最南端なのだが、とても足を踏み入れられる地形ではない。

人間の世界は、まさに、ここで尽きている。
嫌でも、そう思い知らされる、凄味のある光景だった。
はるばる来た甲斐があった、と、心から思った。

人間の様々な思惑が複雑に絡み合った歴史。
その結果、観光地としては無惨にも荒廃してしまった佐多岬。

しかし、そのような矮小な事情を超越して、自然の営みの雄大さと荘厳さを体感できる、掛け値なしの最果てであった。

 

 

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