国立霞ヶ丘競技場は、僕が勤める病院に近い。
ある夏の朝──。
出勤する途中、最寄りの駅から神宮外苑にかけて、何かしら、いつもと全く異なる異様な雰囲気に包まれているのに気づいた。
熱気と言ってもいいかも。
行き来する女性の姿が、いつもより、やたらに多い。
しかも、幅広く年齢を問わずに。
そんな華やいだ空気の一方で、思い詰めた表情の娘さんたちが、
『チケット売って下さい』
と自筆で書いたらしいプラカードを持って、右往左往している。
『本日は嵐のコンサートがあります。大変な混雑が予想されますので、お帰りの切符は今のうちにお求め下さ~い!』
とのアナウンスが、駅構内に、しきりに流れている。
見回すと、
『嵐 コンサート・ツアー "Scene"~君と僕のみている風景~』
と書かれた看板が、目に入った。
──ああ、今日なんだ、と思った。
紅白歌合戦の司会にも抜擢され、国民的なアイドルグループとして、頂点を極めた感がある嵐のことは、さすがに知っていた。
彼らの比類なきステータスを、如実に表しているのが、国立競技場でのコンサートだとも。
7万人を収容できる、国内最大級のスタジアム。
その内実は、非常に厳しい開催基準と審査がある。
年に1組しか、コンサート開催を認めないのだ。
これまで、国立競技場で単独コンサートを開催できたのは、SMAP、ドリカム、嵐だけ。
しかも、嵐は、史上初の3年連続開催を果たしていた。
その夏は、記録的な猛暑が続いていた。
国立競技場は、遮るものがない露天だ。
しかも、整備された芝を傷めないよう、飲み物はミネラルウォーターだけに制限されていると聞いた。
ちょっと酷な、いや、危ない条件じゃないかなあ?
トイレの混雑を嫌って、水分を摂らない人もいるかもしれないし。
僕は、その日、当直の予定だった。
だから、朝からギラギラと容赦なく輝く太陽を見上げながら、正直なところ、
──面倒くさいなあ。
って、ちょっぴりゲンナリしていた。
案の定──。
熱射病、脱水、過換気症候群、その他の体調不良など、会場で倒れた患者さん。
それだけじゃなく、前日や当日の朝から、夏風邪をひいたり、お腹を壊しているにもかかわらず、無理してコンサートに来て、我慢の限界を超えてしまった患者さんまで。
予想にたがわず、その夜の救急受診は、いつもより多かった。
チケットを買えなかったファンが、外に漏れる音を聞こうと会場周辺に群がり、騒いだり、ゴミを散らかしたため、苦情が相次いだという。
近所に住む方から、実際に伺った話だ。
だから、今後、国立競技場でのコンサート開催が危ぶまれているとも、報道された。
でも──。
その夜の僕が驚き、かつ注目したのは、そんな負の部分ではなかった。
不思議なことに。
病院に運ばれてきた女性たちは、一様に、幸せそうな表情をしていたから。
コンサートで、体調を崩してしまったとしても。
体調不良をおして、無理してコンサートにたどり着いたとしても。
嵐のコンサートに参加できたこと。
そのことに、心の底から、満ち足りていたようだった。
7万人の観衆を集めて、なおかつ、癒しを与えられる嵐の魅力に、僕は、舌を巻く思いだった。
決してお世辞じゃなく、凄いと思った。
『しんどい時もあるんです、生きてりゃ。
でね、それを無理に忘れない。
それで、日々背負ってきちゃった重い荷物を、ここに持ってきて、ここで下ろして帰ってほしい。
それが、僕達の役割だと思ってるんです』
コンサートでの、二宮クンの言葉だ。
気になったんで、色々調べてみて、出てきた言葉。
それを見て、掛け値なしに、心をうたれた。
日本の音楽界の頂点に、君臨している彼ら。
ともすれば、ファンの存在を忘れて、驕りや、自己満足に陥りがちなアーティストが、少なくない風潮の中で。
自らの『役割』をきちんと意識して、活動している彼らの姿勢に、清々しさを感じた。
確固たる使命感に燃えて、ファンのことを大切にし、ファンに貢献しようと、努力し続けている彼ら。
芸能音痴の僕でさえ、素晴らしいと思う。
彼らから元気を貰えるファンが、羨ましくなった。
嵐のような存在が、今の日本には、まさに必要なのだろう。
その夜──。
コンサート会場の最寄りの病院の当直医を勤めた僕まで。
恥ずかしながら、嵐の曲を、それまで1つも知らなかった僕までが。
あたかも、嵐の裏方になって、世の中に貢献したような気分になっていた。
──昨日の春の嵐で、思いついた話です(笑)。