大阪出張~1日目~ | ごんたのつれづれ旅日記

ごんたのつれづれ旅日記

このブログへようこそお出で下さいました。
バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

今日は、午前中病院で少し仕事をして、11時頃には帰宅し、昼食を妻と食べたり、ヒールを散歩に連れて行ったりして、のんびり過ごしてから、午後2時前に自宅を出ました。

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大阪へ出張のためです。

6月の週末は、山梨への医局旅行と北海道の学会で、殆んど家にいませんでしたが、いつも妻と一緒でした。

でも、今日は、妻はお留守番です。

玄関で別れを惜しんでから、僕は鞄1つをぶら下げて、最寄り駅へとぼとぼと歩き出したのです。

都営地下鉄大江戸線で新御徒町へ。

JR御徒町への連絡通路で、偶然にも、病棟事務の方と出会い、有楽町まで同道し、僕自身は品川駅で降りました。

あれ?東京駅で降りなかったの?──と、誰もが思うことでしょう。
僕もそう思うのです。
でも、病院から支給された新幹線乗車券が、病院からの最寄り駅で計算されていたので、品川駅乗車になってしまったのです。

融通のきかないことですが、まあ、大して違いはありませんけどね。
100円ほど、品川乗車の方が安いらしいです。

節約節約!──せこいと言われようが!

品川駅の本屋で、旅の友として文庫本を1冊購入し、15時37分発の博多行き「のぞみ」を待ちました。
同行するY医局事務長とは、ホームで落ち合いました。

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東京は分厚い雲が空を覆っていましたが、時に陽もさして、雨は降っていないものの、梅雨らしい蒸し暑い天候でした。

N700系「のぞみ」の旅は快適でした。
鉄道ファンで、あまり新幹線を良く言う方はいませんけれど、僕は新幹線の旅が大好きなのです。
味気ないとか、ビジネスライクに過ぎるとか、よく言われますが、多種多様な風景が次々と車窓に展開する様は、テンポのいい映画を観ているようで、全く飽きが来ません。

関東平野を一気に走り抜けて、小田原を過ぎれば、断続するトンネルの狭間から、熱海の温泉街や、低く雲が垂れ込めた太平洋を望むことができます。
富士山は残念ながら拝むことができませんでしたけれども、左手には、街や田園地帯ごしに、しばしば海を見ることができました。

東海道新幹線から、こんなに海が見えたっけ?──

と、驚くくらい。

浜名湖を渡る橋梁は、左にカーブしているのですが、車体を傾斜させることでスピードを落とさずに走るN700系から眺めると、ぐいっと湖面が、左側の窓に迫ってくるような迫力がありました。

窓際のYさんが、お!とのけ反るくらい。

N700系は、歴代の新幹線車両の中で、乗り心地も群を抜いているように感じます。

品川を出る時にはほぼ満席だった車内も、名古屋を過ぎれば、ぽつぽつと空席が目立つようになりました。

関ヶ原では、不意に、風景が翳りを帯び、雨が激しく降り出しました。

「あちゃー、降り出しちゃった」

とYさんがつぶやきました。

「傘、持って来なかったんですか?大阪は雨だから、傘が要るかもって、午前中、僕に言ってくださったじゃないですか?」
「それが、自分は持って来なかったんですよ」

有名な「727」の看板が点在する、低い丘陵地帯の合間の田園を走り抜け、山崎の盆地をあっという間に走り抜けて逢坂山トンネルをくぐり抜ければ、京都です。

新大阪到着は18時07分。

乗降口を出ると、むうっと暑く、東京より湿り気の強い空気が、分厚い幕をかぶせられたように僕らを包みこみました。

大阪の街は、小雨の中に煙っていました。

東海道線各駅停車で隣りの大阪駅へ。
更に環状線をやってきた大和路快速で弁天町へ。

ここの「ホテル大阪ベイタワー」が、今夜の宿です。

大阪のウォーターフロントが一望できる高層ホテルでした。

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今日は仕事はなく、明日の早朝からなので、気が楽でしたから、僕らはチェックインしてから、夕食を食べに行きました。

「この近くに、どこかお勧めの店、ある?」

誰にでも気軽に話しかけられるYさんが、フロントの女性に聞いています。

「そうですねえ、どんなものをお召し上がりになりたいでしょうか?」
「そうだなあ、美味しい刺身が食べたいなあ」
「あいにく、海鮮料理のお店はこの近くにないんです。お寿司屋さんなら、何軒かあるんですが……」
「しょうがない、じゃあ、探しますか」

ホテルの玄関を出ながら、Yさんはポケットからくしゃくしゃの紙を取り出しました。

「どこにしようかなあ?」
「何ですか、それ」
「いやね、ネットで弁天町のめぼしい店をピックアップしてきたんですよ」
「うわあ、マメですなあ」

弁天町は、僕にとっても懐かしい曽遊の街でした。

確か、医師になったばかりの20年近く前に、会議のために1回訪れたことがあります。

当時は、阪神高速道路西大阪線と大阪港線が街路に覆い被さるように十字に交差して、周辺には古びたオフィスビルとマンションが見えるだけの、何にもない街でした。
店舗も、駅前のコンビニエンスストアしかなかったのを覚えています。
東京の京浜工業地帯の倉庫街に似た、どこか殺風景な雰囲気の街並みでした。

弁天町駅は、地盤が悪くて、地下鉄を掘削できず、大阪市営地下鉄中央線がJR環状線の上を跨ぐという珍しい構造として、ファンには知られています。

バスファンにとっては、鳥取・倉吉・米子行き高速バスを運行するバス会社のターミナルがある街としても有名でした。

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住宅街に囲まれた、駐車場のようなターミナルから、何回か山陰へ旅立ったのを覚えています。

同じバス会社が、平成13年に大阪-岐阜間の高速バスを開業し、同14年6月、大阪での学会の帰りに乗車したのが、弁天町に来た最後でした。

平成20年8月に、大阪-岐阜線は廃止されました。
また、平成22年12月には、弁天町バスターミナルも廃止されてしまったのです。

だからYさんには、

「弁天町って何もない街ですよ」

と言い続けてきたのです。

久しぶりの弁天町は、平成5年に建設された高さ200mの高層タワー「ORC200」を除けば、僕が初めて訪れた20年近く前と大して変わっていないように思えました。

霧のような雨だったので、傘を用意するほどでもなく、ミストサウナのように湿って淀んだ空気の中を歩いて、ORC200に入っているホテルと、高速道路が蓋をする交差点を渡って反対側にある居酒屋に行きました。

「何かお勧めある?」

生ビールで乾杯したあと、店員さんに聞くYさん。
本当に、人にモノを聞くことをためらわない性格で、ある意味羨ましい気がします。

Yさんが望んでいた刺身は鮪のお造りしかありませんでしたが、モツすき鍋や蛸料理など、大阪らしいメニューを頼んで、たくさんお喋りしながら、豪華な夕食をいただきました。

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そう言えば、レバ刺しが明日から禁止でしたなあ。

ユッケは頼んだけど、レバ刺しは食べませんでした。

満腹になって店を出ると、来た時より雨脚が強くなった感じでした。

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「近くのコンビニで、傘、買います?」
「いやあ──どうしようかなあ」
「今日はともかく、明日は歩くでしょ?傘、必要なんじゃありません?」

明日は、弁天町駅から地下鉄でコスモスクェア駅まで行き、そこから徒歩10分の場所に行かなければなりません。

駅から会場まではペデストリアンデッキがあると、地図には書かれていますが、徒歩10分の距離全てにデッキがあるのかなあ?

明日の大阪の天気は曇り時々雨──降水確率は1日中50~60%です。

「でもねえ、傘、買っちゃうと、帰りに荷物になるんですよねえ……」

と煮え切らないYさん。

さて、明朝、Yさんは濡れないで会場に行くことができるのか?──

ちなみに集合時間が異なるので、明日の朝はYさんと僕は別行動になるのです。

ほろ酔い気分でたどり着いたホテルのロビーには、七夕の飾りがありました。

明日から7月なんですね!

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部屋から眺めた夜景は、見事でした。

明日は頑張るぞ!

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