ニューヨーク点描 第1章 ~6年目の新婚旅行~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

平成24年11月23日、午前4時──
羽田の東京国際空港は、まだ暗闇の底に沈んでいたが、多摩川沿いの一角にある国際線ターミナルには煌々と明かりがともされていた。

午前3時過ぎに自宅を出て、愛車で首都高速をすっ飛ばしてきた僕と妻は、無事に国際線ターミナルの隣りにある駐車場に車を置くことができて、ホッと一息ついた。
8月末の広島での国際会議に出発しようとした時に、空港の駐車場が満車であやうく飛行機に乗り遅れるかとヒヤヒヤした経験が、まだ記憶に新鮮だった。
早朝とはいえ、日本はこの日から3連休である。
もしや、という危惧をぬぐい去ることはできなかったけれども、首都高速はの流れは順調だったし、駐車場でも、3階ターミナルビル連絡通路入口のすぐ近くに、車を置くことができた。

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「幸先がいいね」

と妻が眠そうな表情で笑う。

これから向かう街と、日本の時差は14時間。
ほぼ地球の真裏と言っていいだろう。
つまりは、まるまる半日ズレる生活が待っているので、僕も妻も、夕べからほぼ徹夜したのだ。

僕らが乗る飛行機はアメリカン航空134便、羽田からニューヨークへの直行便である。
羽田を11月23日の午前6時50分にテイクオフ、およそ12時間45分の飛行を経て、ニューヨークには同日午前5時35分に到着予定だ。

同じ日の1時間前に到着するなんて、あたかもタイムトラベルではないか。

途中で飛び越える日付変更線が成せるわざとはいえ、不思議な感覚に襲われてしまう。
こんな旅行は初めてだった。

そう。

僕は、恥ずかしながら、海外は初めての経験だった。

初めての海外旅行で、人種のるつぼと言われ、せわしなく油断のならない世界有数の大都会ニューヨークに行くなど、考えてみれば無謀かもしれない、とは自覚していた。

でも、どうせ海外に行くならば、やっぱり見てみたかった。
経済でも文化でも世界を動かしリードする街を実際に目にして、その空気を吸ってみたかった。

そして、アメリカという国も。

鎖国をしていた日本の扉をこじ開けて、歴史を変えた国。

太平洋の覇権を争って、日本と血みどろの戦争をして、僕らの国を焼け野原にして原爆まで投下し、こてんぱんに叩きのめした国。

戦後も、安保条約などの同盟関係や、強固な政治的・経済的なつながりで、日本に良くも悪くも多大な影響を与え続けている、アメリカという国を──。

日々の生活スタイルや食べ物1つをとっても、僕らの生活の中に満ちあふれているアメリカの文化を見過ごすことはできない。
歴代の日本政府にアメリカが与え続けてきた影響を記したベストセラー、孫崎亨著『戦後史の正体』(創元社)を、8月に広島空港で購入して読んだからかもしれない。
かなり偏った陰謀史観とは思ったけれども。

もしかしたら、それは、地球上のどの国にとっても同じなのかもしれない。

その強大な国家が、二百数十年前には地球上に存在していなかった、という歴史的事実も、考えてみれば不思議な気がする。

今回の旅は、6年近く連れ添ってくれた妻にプレゼントする新婚旅行でもあるから、妻から初めての海外として行きたいところを聞かれた時には、

「リゾートならニューカレドニア、都市に行くならニューヨーク」

と、僕はいつも答えていた。

ニューカレドニアは、結婚した直後に新婚旅行として計画していたけれど、様々な理由でキャンセルとなってしまった。
そのリベンジの意味合いもあったから、妻に任せていたら、非常に格安のニューヨークツアーを妻がネットで調べ上げて、申し込んだのが10月だった。

慌ただしくパスポートを取得し、ビザ代わりになるESTAの申請もネットで済ませて、仕事への影響が最小限になる連休を使った日程を組んだ。

旅行は、計画をしている時が最も楽しい、と言われる。
特に、未経験の旅に出かける場合は、その通りだと実感した。
はしゃぐ妻と、大小のトランクを購入したり、旅行用品店で胸につるすパスポート入れなどの細々とした小物などを買い物している時は、旅への期待が膨らむ一方だった。

でも、楽しみよりも、不安や心配事が心に占める比率が、少しずつ高くなってくる。
羽田の国際線ターミナルで、車を降り、大きなトランクを引きずりながら歩き出した僕の心境は、まさに、そんな状態だった。

午前6時50分発のニューヨーク直行便の出発も早いけれど、6時10分と30分にはソウル・仁川行きのアシアナ航空と大韓航空の便が、6時25分にはシンガポール行きのシンガポール航空便とロンドン行き英国航空便が出発予定で、また台北行きが7時20分に控えており、ターミナルビルのコンコースは大変な賑わいぶりだった。

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ちなみに、ニューヨーク直行便の所要12時間45分は、羽田発の国際線の中では2番目に長い。
最長はパリ線の12時間50分、3番目はロンドン線の12時間35分、4番目はフランクフルト線の12時間15分である。
しかも、羽田に戻る復路では、ヨーロッパ線の所要時間がどれも11時間台に減少するけれど、ニューヨーク線は14時間10分と、余計に時間がかかって、羽田着の路線の中では最長記録となる。
往路は9時間台のロサンゼルス・サンフランシスコ便も、復路は11~12時間台に伸びるのだ。
おそらく、偏西風の影響だろうか。

僕がこれまで連続して乗車した最長時間の旅は、東京と鹿児島を結ぶ寝台特急列車「はやぶさ」の22時間だった。
でも、これは、いつでもゴロンと横になれた寝台での旅のことである。
ニューヨークから羽田にかかる14時間は、20年近く前に乗った、東京と福岡を結ぶ夜行高速バス「はかた」の所要時間に匹敵する。
「はかた」では途中休憩があったりしてくつろげたけれど、思い出すのは、広島と横浜を結ぶ夜行高速バス「メイプルハーバー」で過ごした夜のことである。
あの夜は、指定された座席が最後列の窓際で、隣りにも乗客がいたから、13時間、トイレにも行かずに座りっぱなしで過ごした覚えがある。
だから苦痛だったかと言えば、そうではなく、窓外を流れゆく夜景を眺めながらぐっすり眠って過ごせた。
だから、12時間を超えて座席に束縛されることは、決して不安ではなかった。

むしろ、地を這っていたような国内旅行と比べては申し訳ないほど、広大な太平洋を横断し、更に北米大陸をも横断していく航空機の旅は、考えるだけでもワクワクしてしまうのは確かだった。

飛行距離は、実に10,800kmにも及ぶ。

夜行高速バス「はかた」の走行距離の10倍か──などと、いつまでも夜行バスと比べている、海外旅行初心者なのであった。

案内所でアメリカン航空の窓口の場所を聞き、カウンターに向かうと、窓口はファースト・ビジネス・エコノミークラスに分けられていた。
山ほど荷物を抱えたおばさんが、丁寧に名前を呼ばれて、流暢な日本語を喋るアメリカ人らしい女性係員に1対1でファーストクラスの窓口に案内されるのを横目に、僕と妻はエコノミーの窓口に並んだ。
まあ、格安ツアーだから、しょうがない。
カウンターに、1人6万円追加すればビジネスクラスに、更に6万円追加すればファーストクラスにアップグレードできます、というポスターが貼ってあり、少し心をそそられたけれども、2人で12万円、それは他のことに使った方が良さげな気がした。
たとえばニューヨークでの豪華ディナーとか、クルーズツアーとか。

「お待ちのお客様、どうぞ」

と呼ばれたのがビジネスクラスの窓口だったから、

もしや、初めて利用するホテルが時たま部屋をアップグレードしてくれるのと同じ事が?──

という、妄想に近い期待が頭をかすめたけれど、窓口の若い女性は、差し出したツアーのEチケットと僕らのパスポートを見ながら、愛想のいい笑顔を浮かべながらも極めて事務的に座席を指定した。

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「34番のA席とB席、窓際の2人席をお取り致しました。乗り継ぎ便の御予定はございますか?」
「はい、実は──」

僕は身を乗り出した。

「JFKに着いたら、そのままお宅のワシントン行きに乗り継ぎたいんです。まだ予約は取っていないんですけど」

ニューヨーク滞在中、できればワシントンにも足を伸ばして、アメリカのみならず世界を政治で動かすホワイトハウスも見てみたい、と思っていた。
ホワイトハウスの内部の見学は、数週間前の事前の申し込みが必要だから諦めていたけれど、せめて、よくニュースや映画で観る柵越しでいいから、ホワイトハウスの前で2人で記念写真を撮りたい。

これは妻と共通の願いだった。

「せっかくだから、ボストンも行ってみない?」

とも妻は言ったものだった。

「ボストン?どうして?」
「私、ハーバード大学の前で、あなたの写真、撮ってあげたいの」
「なるほど」

どちらも記念写真が目的、という非常にシンプルでアホみたいな動機ではあったが、それだけに甲乙つけがたかった。
どちらも行ければ良かったのだが、地図の上ではニューヨークを挟んで南と北に隣接しているように錯覚しがちなワシントンもボストンも、実は、それぞれ約300kmずつ離れている。
つまりは、東京観光のついでに、名古屋と仙台にも行ってみようか、というようなものなのである。

日本のささやかな私立医科大学出身の僕には、世界に名だたるボストンの名門大学で記念写真プランという妻の申し出も大変嬉しかった。

だが、2人でよく相談して、名古屋、じゃない、ワシントンに絞ることにしたのだ。

問題は、いつ、ワシントンに足を伸ばすか、ということだった。

ニューヨーク発のワシントン日帰りツアーというものも調べてみたけれど、往復鉄道利用でもバス利用でも所要14~16時間となっている。
ホワイトハウスばかりでなく、ワシントンの様々な名所を幾つも欲張りに巡るため、大変な時間がかかるのだ。
日本語ツアーもあるから魅力的だけれど、医局旅行でも途中脱落した妻の体力がもつかどうか。
集団行動の途中で疲れて離脱したくても、異国のツアーでそれができるのだろうか?
そう思った僕は、ツアーの利用は避けて、妻の体調とペースに合わせられるよう独自にワシントンを回るという、初心者にしては無謀なプランを考えた。

ならば、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に到着したまま、ワシントン行きの航空機に乗り継ぐのが1番ではないか、と思った。
どちらかと言えば公共交通機関に長時間乗るのが苦手な妻にとって、最短時間でワシントンに到達することができる。
JFK空港と、ワシントンのロナルド・レーガン空港を結ぶ航空便は、所要1時間、100ドル前後と聞いていたから、2人で200~300ドルかかる鉄道と比べてもリーズナブルである。

帰路は、アメリカ版新幹線とも言うべきアムトラックの高速列車「Acela Express」を利用すれば、ニューヨークの中心街にあるペンシルバニア駅まで所要2時間40分。
しかも、僕らが予約しているホテルは、ペンシルバニア駅の隣りにあるのだ。
つまりは、離れているJFK空港とニューヨーク市街の移動も兼ねてしまう、なんともスグレモノのプランなのだ。

12時間45分の飛行の後にワシントン往復をくっつける方が疲れるかも、とも思ったけれど、ニューヨークに早朝に着いても、ホテルのチェックインは午後3時以降とされていた。
その間、どこかで時間をつぶさなければならないなら、ワシントンを往復すれば、少なくとも、乗り物の座席でくつろぐことができるではないか。

言葉もおぼつかない海外初心者に、実行できるかどうかは、また別の話である。

だから、羽田のアメリカン航空の窓口で、乗り継ぎ便のことを尋ねてみたのだった。
羽田で聞けば、少なくとも、日本語が通じる場所で、ワシントンへの往路が確保できる。
「おたくの飛行機に乗り継ぎたいから」と言えば、まさか、断りはしないだろう。
実は、初日に飛行機でワシントンに行くのは、海外初心者にとって、それが1番の理由だったりもした。

「ええと、ワシントン、ですね?……」

それまで滑らかだった係員さんの動きが滞った。
懸命にパソコンを叩き始めたけれども、探し出せない様子で、笑顔も曇っている。

「おたくの4418便っていう、JFKを8時25分に出発する便があったと思うんですけど」
「うわ、調べてきたの?」

と妻が驚いた表情をした。

「うん、どうせなら、同じ航空会社の方が便利だと思ってね。乗り場も近いはずだから。JFKって、成田とは比べものにならないくらい大きな空港だから。ターミナルの中に連絡列車が走ってるくらい」
「へええ!」
「お客様……ええと、4、4、1、8、便とおっしゃいました?」
「ええ、確か……」

マネージャーらしい男性係員も飛んできて一緒にパソコンに向かい、そのうち、奥のパソコンに座っていた別の係員にメモを渡すと、その係員が猛然とキーを叩き出した。
時間がかかりそうだったので、妻を待ち合いの椅子に座らせて待つこと10分ほど。

「お客様、御希望の便が予約できました!」

それまでうつむいていた女性係員が、晴れ晴れとした表情に変わって、チケットを差し出した。

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まさにそれは「NEW YORK JFK/WASHINGTON REAGAN」と書かれた2枚のチケットであった。

よし!──と、旅の第1関門を突破できたことに安堵した僕だったが、考えてみれば日本語でのやりとりで済んだわけだから、別に偉くも何ともないわけである。

「いやいや、下調べの勝利じゃん!」

と慰めてくれる妻なのであった。