追悼 阪神大震災(3)~災害動脈の苦闘 被災地の再生とともに走り続けた鉄道代替バス~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
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追悼阪神大震災「震災に遭遇した夜行高速バス」
追悼 阪神大震災「高速バスが担った長距離幹線輸送」の続きです。

 

 

── ◇ ── ◇ ── ◇ ──


阪神大震災ではJR、阪急、阪神、山陽、神戸電鉄、市営地下鉄などの鉄道網が大打撃を受け、復旧の見通しが数ヶ月先という線もあった。
日常生活と密接に関係している輸送分野であるだけに、被災地住民に与えた影響は大きかった。

震災当日の1/17、交通機関は全面ストップという状態だったが、翌日には、午前8時から、神戸市営バスが垂水・須磨区の9路線で運行を再開し、阪急が、宝塚-西宮北口間などで独自に代替バスを走らせるなど、早くも一部のバスが活躍を始めている。

近畿運輸局は、1/18、鉄道の被害の大きさを重視し、JR、阪急、阪神に代替バスの運行を指導。
国道2号線の開通を待って運行する構想を発表した。

唯一残された国道43号線では、緊急車両や地元住民の車で大渋滞が続いていた。
救急車や消防車、救援物資を運ぶトラックがあちこちで立ち往生し、救援活動や住民の生活を圧迫し続けた。

1/19午前10時50分には、灘区、中央区の間で路線バスが一部運行を再開。
午後8時からは、兵庫県公安委員会が災害対策基本法に基づく通行規制を実施した。
規制による一般車両の全面通行止は、国道2号線の尼崎市・大阪府境-神戸市東灘区本山中町、同市垂水区平磯-明石市魚住町、そして市道山手幹線、加古川・姫路バイパスなどで行われた。

 


震災から1週間後の1/23、JR西日本、阪急、阪神の3社が不通区間の西宮市内-三宮間で代替バスの運行を開始、途絶えていた大阪-神戸間の動脈がつながった。

経路は、

JR:阪神バス上甲子園口-阪神バス西宮駅前-阪神バス芦屋駅前-市バス本山駅前-山手幹線室ノ内交差点-市バス日尾町-市バス王子動物園前-三宮リクルートビル前

阪急:西宮北口駅コマスイミング前-阪急バス国道夙川-阪急バス芦屋川-市バス本山駅前-御影教会郡華幼稚園-市バス六甲口-市バス阪急王子公園-市バス熊内1丁目-三宮NTTビル前

阪神:阪神甲子園-津門-北今津-西宮駅前-西宮戎-夙川-山打出-芦屋川-森-市バスJR本山駅前-御影教会郡華幼稚園-市バス日尾町-市バス阪急王子動物園前-市バス熊内1丁目-三宮そごう前

西宮の発着駅は、JRが甲子園口駅、阪急が西宮北口駅、阪神が甲子園駅に相当する。
国道2号線と山手幹線を経由し、午前6時半から午後10時まで、10~20分間隔でピストン輸送を行った。
予定所要時間は約1時間。
3社のどの定期券・回数券でも乗車できた。
JRは西日本JRバス、神姫バスなどから42台を、阪急と阪神は自社または系列会社からそれぞれ40台、20台を調達。
代替バスは災害対策基本法による緊急車両に指定された。

出勤組や、避難生活を送る血縁者や知人などに救援物資を届ける人々がどっと繰り出し、被災地に久々に通勤風景が戻ってきた。
休校が続いていた小・中・高校も、およそ半数が登校を再開。
再生に向けて大きく動き出した日になった。

鉄道とバスの輸送力の差をまざまざと見せつけられる混乱も起きた。

午前中は三宮方面行きの便が混雑し、阪急西宮北口駅では一時800人の積み残しが出た。
阪神甲子園駅では常に100人前後の列が続き、JR甲子園口駅でも正午には500人が並んだという。
接続する鉄道駅では、利用の自粛を呼びかける一幕も見られた。
また、JR三宮駅前乗り場では、始発前から各便に50人ほどの列ができ、満員で途中駅からは乗車できない便が相次いだ。
午後からは三宮駅出発便が混み始め、午後9時にはJR便に約1000人、阪急便に800人の列ができた。

また、午前9時過ぎからは道路渋滞が始まり、6時間以上もかかる便も出る始末。

この日は、3万5000人が代替バスを利用したという。

 

 

 

 


『瓦礫に埋もれたターミナルに活気が戻った。
23日から西宮-三宮間の代替バスの運転が始まった神戸・三宮など阪神間の各駅前。
コート姿のサラリーマン矢OLたちは長時間並んでバスを待ち、久しぶりに勤め先へ向かった。
車内も予想以上の大混雑となったが、サラリーマンらは「仕事が気になるので」「得意先をほうっておけないから出勤しなければ」。
家族や壊れた家を心配しながら、逃げ出した時の服装で避難所から初出勤する人も目立った。
復興へのそれぞれの思いを胸に、阪神大震災から7日目の街に人々が溢れた。

JR、阪神、阪急のバス停留所となった三宮駅前。
デパートなどのビルの壁が崩れ落ちたままで、歩道にも瓦礫が残る。
始発前からそれぞれ約50人が詰めかけた。
大阪市内の会社へ出勤する神戸市中央区の会社員は、「帰りに大阪で食料品など必要品を購入しなくては」と、空のリュックサックを持ってバスに乗り込んだ。
会社で泊まり込みをするのでと、着替えなどをいっぱい詰め込んだ旅行バッグ2つを抱えたOLの姿も。
9時過ぎに出発したJRバスの乗客のうち、8割はスーツ姿。
シャツにはしわが入り、伸びた髭を車内で電気かみそりを使って剃る人もいた。
新聞を持っているのは1人だけで、乗客同士が景気の行き先を心配そうに小声で話し合っていた。
大阪市内の電装機器会社勤務の神戸市垂水区の男性は「長年のくせでしょうが、つい会社へ行かなければ、という気になる」と弱々しく。

西宮スタジアム前の三宮行き阪急バス乗り場にも6時半の始発から約100人が列を作り、30分後には約100m、400人に膨らんだ。
その後も列は球場を取り巻くように伸びた。
西宮市内の発着所はいずれも1~2時間待ちとなった。
神戸市兵庫区の会社に出勤する尼崎市の会社員は「先週金曜日に自転車で出勤したが、4時間半もかかり、もうこりごり。バスの方がまだまし」と、長い列にもじっと我慢していた。

JR芦屋駅近くの国道2号線のバス停は10~20人が常に列を作る状態。
やってくるバスは超満員で、積み残しが出た。
約1500人の避難住民が暮らす芦屋市役所では、早朝からサラリーマンが次々と出勤していった。
自宅マンションが半壊したため家族5人で避難している東灘区の男性はGパンに革ジャンパー、スニーカー姿。
「顔を出すこと自体に意味がある」と遅刻も気にしていない様子だった。
大阪中央区でパブレストランを経営する芦屋市の男性も、避難したままの姿で「市役所から出勤するのは妙な気分だが、こんな時だから贅沢は言えません」と話す。
西宮市立中央体育館に避難しているOLは「会社はまだ来なくていいと言ってくれているのですが、周りに迷惑をかけるから」と言い、出勤していった。

梅田の各駅では電車が到着する度にサラリーマンがどっと吐き出された。

阪急梅田駅では、代替バスが大混雑とあって、利用の自粛を呼びかけるアナウンスを流した』(読売新聞1/23夕刊より)

この日、JRは中国JRバス、JRバス九州などに応援を求め、数日以内に大型バスを20台から80~90台に増強する方針を固めた。
JR九州自動車事業部は代替輸送に従事させる乗務員20人とバス8台を派遣した。
車両は博多(8台)、直方、福丸、鹿児島、国分、宮崎(各1台ずつ)の6営業所から、乗務員は博多、直方、福丸、嬉野、鹿児島、国分、宮崎、大分の8営業所から博多営業所に集合、同日夕方に出発している。


 
1/24には、阪急新伊丹-伊丹間、神戸電鉄有馬口-有馬温泉口間にも代替バスが走り始めた。

この日も、早朝から代替バスの混雑が続いた。
西宮スタジアム前の阪急バス乗り場では、午前6時前から列が出来始め、始発に積み残された客は600人。
2時間後には列は1000人にも膨らみ、待ち時間は2時間半。
JR、阪神便も始発時に100~350人が並んだ。
三宮の乗り場でも、午前9時過ぎのJR便に最大300人が列を成した。

しかし、阪急便は午前8時の時点で待ち時間なし。

「大阪へ通勤する人は、遠くても時間が確実な三田回りの鉄道を選んだのでは」

と阪神電鉄担当者は分析していた。

1/25、JR東海道本線の甲子園口-芦屋間が開通。
同線の代替ばすは三宮-芦屋間に短縮された。
芦屋発の始発は午前6時30分で、5分間隔で運行。
これまでより20台多い60台のバスが投入され、1/26以降はさらに80台に増車された。

また、神戸新交通ポートライナー線の市民病院前-税関前、同六甲ライナー線六甲アイランド北口-御影本町でも代替バスが運行開始した。
両路線とも埋め立て地の液状化で被害が激しく、復旧が遅れがちであった。
 

 

1/26、阪神電鉄甲子園-青木間の線路が復旧し、代替バスの運転区間が三宮-青木間に変更された。

1/28午前0時から、国道43号線が全線で2車線を確保できる見通しとなり、警察庁と建設省は神戸市中央区から東灘区まで鉄道代替バスの専用車線を設置した。
同区深江、岩屋ではバスと緊急車両以外は規制を受けたが、その他の区間では一般車の通行も可能とされた(災害対策基本法に基づく緊急車両用路線指定は2/1)。

これを受けて、JR、阪急、阪神の3社は、計935便にものぼるノンストップの代替バスの運行を開始した。
いずれも、午前7時から9時、夕方18時から21時のラッシュ時は3分おき、その他の時間も5~10分おきという頻繁な運行であった。
JRは従来便の始発を30分繰り上げ、最終を30分繰り下げて、6時から22時30分までの運行とした。

1/28の時点での鉄道代替バスの詳細は以下の通りである。

【国道43号線バスレーン経由直通便】
・JR:芦屋駅-三宮駅 距離12.7km 所要60分 1日430便
・阪急:西宮北口駅-三宮駅 距離17.0km 所要80分 1日165便
・阪神:青木駅-三宮駅 距離9.0km 所要40分 1日340便

【国道2号線・山手幹線経由各停便】
・JR:芦屋駅-三宮駅 距離13.5km 所要80分 1日160便
・阪急:西宮北口駅-三宮駅 距離17.0km 所要110分 1日110便
・阪神:青木駅-三宮駅 距離9.0km 所要60分 1日190便

JR芦屋駅では午前10時頃に300人ほどの列ができた。
西宮北口駅の阪急バス乗り場には、午前6時30分の始発に、ボランティアなど90人が並び、以後も、救援物資を持って被災地に向かう人の列が続いたという。

三宮から東へ向かう直通便は、専用レーンを順調に走行したが、三宮へ向かう西行き各便は、バスと一般車両の共用区間で渋滞に巻き込まれ、従来の各停便より遅くなる逆転現象も見られた。
兵庫県警は警官300人を動員し、主要交差点で一般車の進入を規制した。

『阪神間の国道43号線で代替バス専用レーンがスタートした28日、週末と重なり、神戸、西宮、芦屋など各地のバス乗り場では、支援の品などを持って被災地に向かう人たちの長い列ができた。
一部路線では一般車が入り込み渋滞したものの、前日、中国道で起きたような混乱は見られず、バスは比較的スムーズに運行。
乗客らは被災地への新しい交通ルートの開通に期待を寄せていた。

神戸市東灘区の阪神青木駅のバス乗り場では午前8時頃にはサラリーマンが大きなリュックサックを背負って並んだ。
阪神電鉄の社員15人が次々に来る臨時バスに乗客を割り振り、待ち時間も15分程度。
午前8時15分頃に出発したバスの乗客は約45人。
「第1車線はバスレーン」の看板が立つ国道43号線を走り抜け、予定より10分早い30分で中央区役所前に到着した。
3社の停留所が集中している関係で、バスが3~5分おきに発着、乗り場は乗降客で溢れた。

同区内の建設会社に勤める西宮市段上町の男性は「今までは社員が集まって会社のワゴンで1時間以上かけて通勤していたけれど、これならバスでも我慢できる。平日は少し遅れるだろうが、通勤時間を計算できそう」とほっとした表情を浮かべた。
友人のために食料を運ぶ途中という大阪市中央区の男性は「渋滞でイライラすることはなかった。一般車がレーンに入らないよう、マナーを守ってくれれば何とかなりそうですね」と話していた。

JR芦屋駅近くの乗り場では、兵庫区で避難生活をしている妹一家のところへ向かう奈良市の主婦が「下着やお餅、カイロなどを持ってきました。妹の話では、神戸でバスを降りてから2時間ぐらい歩かなければならないそうです」と言って、足早にバスに乗り込んだ。

阪急西宮北口駅南側にある阪急バスの乗り場では、系列の丹海観光バスの車両も動員。
職員7、8人が案内のプラカードを持ち、メガホンで乗客整理に当たった。

神戸市に医療ボランティアに向かう東京都練馬区の医師は「一刻も早く現場に着きたい」と、バスの到着を待っていた』(読売新聞1/28夕刊)

1/30、JR山陽本線須磨-神戸間が開通、神戸-元町-三宮間に代替シャトルバスが走り始め、神戸市の西半分でも2週間ぶりに動脈が復活した。
ピーク時には5分おきの運行間隔で、所要20~30分と順調な滑り出しだった。
鉄道との乗換駅である神戸駅では、午前8時頃に約100人の列ができたという。
高速神戸駅と三宮を結ぶ代替バスも登場し、神戸駅周辺は久々に活気を取り戻した。

三宮駅周辺の道路の復旧作業が進んだため、神戸市営バスの6路線が、震災後初めて三宮中心街のそごう前などまで乗り入れた。

山陽電鉄は霞ヶ丘-滝の茶屋間で列車の運転を再開。
しかし滝の茶屋-西代間は復旧に6ヶ月かかる見込みで、代替バスの運行を検討していることを発表した。

2/1には、国道43号線の西宮市今津-神戸市東灘区岩屋間が災害対策基本法に基づく緊急車両用指定路線に追加された。
国道2号線にくらべて脇からの合流道路が少ないため、交通量は確実に減少したという。
しかし、依然、一般車両は多く、指定区間に到達するまでの道路で混雑が激しいことから、たとえば芦屋-三宮間のJR代替バスの所要時間は、1/31の70分から60分に短縮されたにとどまった。

2/4、阪急西宮北口駅-甲陽園駅間にも代替バスが走り始めた。

2/7には、思いがけないハプニングが起こった。
午前2時頃、阪神尼崎駅構内で回送電車が脱線。
尼崎-甲子園間が午前10時過ぎまで不通となり、振り替え輸送のため阪神尼崎駅-JR尼崎駅、阪神甲子園駅-JR甲子園口駅間に連絡バスを、阪神尼崎駅-阪神甲子園駅間に代替バスを運行した。
そのため阪神青木駅-三宮間の代替バスが不足(半数を脱線区間に回した)
し、朝のラッシュ時には三宮などで3時間待ちとなった。
JR便も芦屋、三宮で2500人が列を作り、阪急便も西宮北口、三宮で1000人が並んだ。

同日、神戸電鉄長田駅-新開地駅間に代替バスが登場。

2/8には、JR東海道本線芦屋-住吉間が開通、JR代替バスは住吉駅-三宮間に短縮された。
それまで山手幹線にあった住吉駅の乗り場は、駅の南200mの国道2号線上に設置された。

この頃には大阪と神戸を結ぶ動脈としての代替バスは、ほぼ定着し、利用者も増加の一方をたどった。
朝夕のラッシュ時には1000人を超す行列は当たり前になっており、2/8の朝には、住吉駅で約3200人が並んだ(JR西日本広報室)という。
阪急西宮北口駅で三宮行き直行バスに乗るには、最高2時間待ち。
バス待ちの行列に並び始めてから目的地にたどり着くまで、最高3~4時間というのも珍しくない状態だった。

運行台数は、JRが100台、阪急が120台、阪神が80台。
各社の線路が、北から阪急、JR、阪神と平走しており、国道43号線が南側にあるため、運行距離が長いほど台数も多くなっている。

バスは、グループ企業のバス会社から調達したり、大阪バス協会に要請して、近鉄や南海などの在阪私鉄などのバス会社から動員をかけていたという。

2/11には、阪神本線青木-御影間が開通、代替バスが御影-三宮間に短縮された。

「バスは時間が読めない。早く三宮までつながって!」

という声も聞かれた。

2/12、山陽電鉄西代-東垂水間に代替バスが運行を開始。
所要時間は50分だった。

2/13、阪急神戸線の真ん中に当たる御影-王子公園間が開通。
両側の西宮北口-御影、王子公園-三宮はまだ未開通だったが、阪急御影駅-JR住吉駅-阪神御影駅を10分で南北に結ぶ3線連絡バスがピストン輸送を開始。
車両6台を使い、10分間隔で運行した。

2/20、JR東海道本線灘-三宮-神戸間と、阪神本線岩屋-三宮間が開通した。

ついに三宮に鉄道が戻ってきたのだ。

JRの代替バスは住吉駅-灘駅間でノンストップ便の台数を100台から136台に増やし、3~4台をいっぺんに並べて乗車、運行する方法をとった。
しかし、灘駅から国道43号線に出る道が大渋滞し、午前9時頃に灘駅で2500人が並び2時間半待ち、住吉駅でも2000人が2時間待ちとなった。

阪神御影駅-岩屋駅間代替バスも、御影駅で2500人が1時間40分待ち、岩屋駅で2000人が1時間20分待ちと大混雑。

一方で、前述した阪急神戸線御影-王子公園間が代替バスの補完ルートとして、この日からフル稼働、同時に国道43号線のバスレーンが大幅に短縮された。
そのため、阪急西宮北口駅-三宮間のノンストップ代替バスは運行を終了し、各停便の運行間隔を半分に縮めた。

大規模な代替バス運行の舞台裏を取材した新聞記事もあった。

『震災で不通になっている東海道本線住吉-灘間(4.5km)で代替バスを走らせる西日本JRバスは、安全運行確保のため厳しい条件下で保守点検作業をこなしている。

代替バスの運行は3月17日で54日間になるが、現在同区間の代替バスは、1日140台を繰り出し、約10万人が利用する。
朝6時から22時30分までバスはフル稼働状態で、1番の心配は事故と故障。
幸いにも無事故を通しており、怖いのは故障である。
なにしろ営業所や車庫が遠くて充分な検修ができないのが実状だ。

このため、バスの留置場として借りる住吉駅東側の国鉄清算事業団用地で、自社の28両のほか、中国JRバス20両、JR九州の8両の点検に当たる。
日々の検修はもとより、1ヶ月、3ヶ月の法定検査もここで実施しているのだ。

特に細心の注意を払っているのがブレーキとクラッチの点検。
国道2号線から灘駅に向かう道路が急な坂道で半クラッチ状態で運転することが多く、ブレーキも頻繁にかけるため、入念なチェックを繰り返して万全を期す。
車庫ならバスをピットに入れ、リフトやジャッキで全輪を持ち上げて効率的に作業ができるが、ここではオイルジャッキを使って1輪ずつタイヤを浮かせて車体の下に潜り込み、懐中電灯を頼りにといった具合。

車種も一般路線用、貸切用、高速用と多様で、同社にない形式のバスもあり、必要な工具や部品を揃えるのもひと苦労。
電球、ベルトなど各車両の共通部品はもちろん、不測の事態が発生しても迅速に対応できるよう、バスメーカー各社に形式一覧表を渡してすぐに部品が調達できる態勢も整えた。

バスは朝から夜までピストン輸送している上、渋滞も激しく、室内灯、暖房は稼働しっぱなし。
バッテリーがすぐになくなるため、予備バッテリーやエンジンオイル、不凍液などは毎日営業所から現地まで運び込んでいる。

日々の定期的な検査は、多い時でも5、6台をこなすが、クラッチの一斉点検や突発の故障が発生した時には徹夜になることもあり、検査担当の社員は、現地に止めた夜行高速バス「ドリーム」号専用車両で寝泊まりしながらトラブルに備えている』(交通新聞3/15より)

3/1に阪神西灘-岩屋間、3/13に阪急王子公園-三宮間が開通、乗り換えによる大阪-神戸間鉄道輸送の目処が立った。

4/1にJR東海道本線全線が開通、大役を終えてJR代替バスが運行を終了した。

この時点で、阪神間の動脈輸送を担い続けた鉄道代替バスの役割もひと段落したわけだが、復旧になおも時間がかかる鉄道路線も残っていた。

阪神本線御影-西灘間、阪急神戸線西宮北口-御影間は8月まで、阪急夙川-西宮北口間は7月まで、神戸新交通三宮-市民病院前間、本住吉神社前-アイランド北口間は8月まで、神戸電鉄五社-新開地間は4月まで、新開地-長田間は8月まで、山陽電鉄西代-東垂水間は7月まで、代替バスの運行が必要だった。

 

 

 

 

 

── ◇ ── ◇ ── ◇ ──

3回に渡って18年前の阪神大震災におけるバス輸送の記事をお届けしました。

懸命の救助作業に従事する人々と、必死で生活を守ろうとする被災者の焦燥や哀しみ、疲労、そして復興の祈りと決意を乗せて、バスは廃墟の街を走り続けたのです。

目まぐるしく変わる道路事情に翻弄されながらも、輸送計画を立てた事業者の担当者、破損と渋滞が激しい悪路でハンドルを握り続けた運転手、連日徹夜の整備を続けた整備員の苦労は、想像を絶するものがあったことでしょう。

被災地で力強く輸送業務を果たしながら、再生の槌音とともに走り続けたバスの姿は、逆境に立ち向かう人間の強さそのものを象徴しているように感じられ、僕は、決して忘れることはないでしょう。

 

 

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