ニューヨーク点描 第18章 ~バッテリーパークとウォール街から高級ブランド店が並ぶ五番街へ~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

妻と2人で自由の女神を遠望しながら散策したバッテリー・パークは、1812年の米英戦争の際に、イギリス側が砦として沖合に築いた人工島のクリントン砦とマンハッタンの間を埋め立ててできた公園だという。

小型のコロシアムのような造形のクリントン砦は、一度も実戦で使われることはなく、キャッスル・ガーデンと改名され、オペラ座として利用されていた。
その後、移民局となり、およそ700万人の移民がこの地から入国したという。
水族館として利用されたこともあり、何とも脈絡のない利用のされ方をした場所であるが、1950年に国定記念物に指定され、砦だった頃の円形の建物が復元されたのだ。


波止場には「AMERICAN MERCHANT MARINERS' MEMORIAL」と書かれた銅像もあった。
沈みかけた船と、波間に漂う人に船上から手を差し伸べている姿がデザインされている。
どのような意味のある記念碑なのか、その時はわからなかったけれども、後日調べてみると、第2次世界大戦でドイツ軍のUボートに攻撃されて沈められたアメリカ商船隊を忍んでいるとのことだった。


「あっ!リス!」

と、不意に妻が足元を見つめて素っ頓狂な声を上げた。

「え?──わっ、ホントだ!」

セントラル・パークではよく見かけると言うが、バッテリー・パークにいるとは思わなかった。
コロコロとした体型で、人間を怖がる風もなく、悠然と愛嬌のある素振りで動き回る仕草が可愛かった。
動物が人間を怖がらない街に住む人々は、心が優しいという。

しかし、間抜けな東洋からの訪問者は、写真を撮ろうと慌てて、フラッシュを焚いてしまったのである。
不意に閃いた光に、僕らも驚いたが、リスはもっと仰天したことだろう。
一目散に藪の中に逃げこんでしまった。

「ダメじゃん……」
「すまん、間違えた」


バッテリーパークの出口には、連接バスが次々と出入りするSouth Ferryバスターミナルがある。
工事中らしく、一部の建物は柵で覆われて、無骨な作業車が止まっていた。


連接バスに無性に乗りたくなったけれども、妻が地下鉄を経験してみたい、と言うので、駅の入口を探すことにした。
最寄り駅は、バスターミナルの地下にある「1」系統のSouth Ferry駅である。

矢印とともに「SUBWAY」と書かれた案内板がところどころに貼ってあり、それを頼りにぶらぶらと歩いた。
すぐにSouth Ferry駅に着くのかな、と思っていたが、建物の壁や歩道のガードレールに貼られた案内板が次々と現れて、僕らを公園から北側の街の中へといざなう。
右手の奥には、ウォール街の方面に続くブロードウェイが分岐し、アメリカン・フィナンシャル博物館や旧税関などの古めかしい建物が並び、さながら街並みそのものが歴史博物館のようである。

ニューヨークは、この南の隅っこから歴史が始まり、北へ向かって広がっていったのだなと実感する。



左手には、イースト・リバーをくぐり抜けるブルックリン・バッテリー・トンネルの開口部がそびえ、ハイウェイを車が中へと吸い込まれていく。


ハイウェイに沿ってGreen St.の坂道を登る。
側道では眠そうな運転手さんがハンドルにもたれながら待機しているバスが停車していた。
観光バスだろうか。


坂を登りつめれば、オフィスビルや商店が軒を連ねる賑やかな通りに出る。
右側へ折れれば、そこは世界経済の中心、ウォール街だから、ちょっと足を伸ばしてみた。
柱に星条旗が巻かれたニューヨーク証券取引所が見え、その前に、何となく色褪せた印象の大きなクリスマスツリーが飾られていた。

「これがウォール街?」

と妻がいぶかしげにつぶやきながらも、しきりに写真を撮っている。
世界経済の一大センターにしては、閑散とし過ぎているのだ。
日曜日だからしょうがないと思うけれど、妻は24時間365日不眠不休のビジネス街、というイメージを抱いていたようだ。

僕は、生産を伴わないマネー・ゲームには批判的で、危ういものと思ってしまう古い人間だけれども、良くも悪くも、この街の動向が、僕ら日本人を含む世界中の人々の財布や暮らしぶりに多大な影響を与えているのを認めないわけにはいかない。

 

 

ウォール街の向かい側には、トリニティ教会の荘厳な建物がそびえ立っている。
1697年に英国国教会として設立されたという。
現在の建物は1846年に建て替えられたものだが、植民地時代の名残とも言うべき教会が、現在に至るまで人々の信仰を保ち続けていることに、少しばかり驚いた。
創建当時は、ニューヨークで1番高い建物だったらしい。




案内板に沿って十数分も歩いただろうか。
たどり着いたのは、South Ferry駅ではなく、Rector St.駅の入口だった。
何のことはない、1つ先の駅に連れて来られたのだ。

昨日の、「1」系統の42 St.駅と34 St.PENN駅とを乗り間違えた苦い思い出が脳裏に蘇ったけれども、駅のホームに降りてみれば、全く人の気配がないホームにUptownの電車が待機しており、どう見ても、始発駅の風情である。
つまり、「1」系統本来の始発であるSouth Ferry駅は、何らかの理由で閉鎖されているということなのだろう。
バスターミナルで行われていた工事が原因だろうか。

「ニューヨークの地下鉄を乗りこなすって、難しいのねえ」

と、少しばかり歩き疲れた様子で固い座席に座り込んだ妻が、ため息をついた。
確かに、昨日から地下鉄には翻弄されっぱなしである。

それでも、その地下鉄のおかげで、昨日は7th Ave.と14th St.の交差点付近の素敵な街並みに出会えたわけである。
今日だって、予定通りにSouth Ferry駅から地下鉄に乗っていたら、ウォール街を散策することなど、なかっただろうと思う。

Rector St.駅のホームにも、待機中の電車の車内にも、全く人が現れない。
ウォール街の最寄り駅というのに、この閑散ぶりは意外だった。
日本では考えられないほど徹底して、アメリカ人は休日を休むんだなあ、と、ふと思った。

ニューヨークの地下鉄では、犯罪を避けるために人気のない場所は避けるように、とガイドブックに書かれていたけれども、駅全体に人気がない時はどうすればいいのだろうか。
少しく緊張して過ごした長い待ち時間が過ぎ、ガタゴトと動き出した地下鉄で暗がりの中を20分ほど走り抜けて、僕らは正午前に34 St.PENN駅に着いた。

ホテル・ペンシルバニアの部屋でひと休みしているうちに、妻が、

「ねえ、私、行きたいところがあるの──五番街」

と言い出した。
この旅行で初めての妻の要望だったから、僕は飛び起きて支度を始めた。

もちろん異議などあるわけがない、さあ、張り切って出かけよう!──

朝と違って、ホテルの前には人とタクシーがごった返し、いつもの賑やかさが戻っていた。


昨日と同じ、大柄でいかめしい表情のドア・ボーイ氏にタクシーを頼んだ。

「Where will you go?」
「Ah,fifth avenue and fourty-seventh street」
「OK──You'll go Tiffany?」
「Oh,yes!」

別にTiffanyだけが目的ではなかったのだけれど、大きく頷いておいた。
ニヤリと笑ったドア・ボーイ氏は、任せとけ、といった身振りで指をくわえ、ピューッと鋭くタクシーを呼び止めた。

ドア・ボーイ氏に伝えたのと同じ行き先を告げると、フォード製のタクシーは勢いよく走り始めた。
7th Ave.を南下し、すぐに32nd St.へ左折して1ブロック東へ進み、6th Ave.を北上。
47th St.へ右折して、5th Ave.との交差点が僕らの目的地だった。


ホテル・ペンシルバニア近辺と同じく、人と車が多い、活気に溢れた交差点だった。
街のたたずまいは、何となく、洗練された雰囲気を醸し出している。
47th St.の奥の方では、何やら白煙が僕ら立ち上り、お巡りさんが交通整理をして物々しい気配だったが、道行く人々は見向きもせずに足早に歩を運んでいる。
ボヤでもあったのだろうか?

マンハッタンの街区のほとんどは、南北に走る通りである「Avenue」と、東西に走る通りである「Street」 とが、碁盤の目状に組み合わされて形成されている。
日本語では、Avenueを「番街」、Streetを「丁目」と翻訳するのが古くからの慣例となっていた。

五番街、つまり5th Avenueは、マンハッタンを南北に縦断する通りの1つである。
南端は、グリニッジ・ヴィレッジのワシントン・スクエア公園を起点とし、ミッドタウン地区を通過、プラザホテルの建つ59th St.からセントラル・パークの東を北上、ハーレム川に突き当たるハーレム地区134th St.が北端となる。
全線に渡りほぼ直線で、自動車の交通は北から南へ4-8車線の一方通行。
全長約12km、128ブロックを貫くニューヨークの目抜き通りだ。

マンハッタンの住所表示は、5th Ave.を境に東西に分けられる。
例えば、33rd Streetは、五番街より西側はWest 33rd St、東側はEast 33rd St.と呼ばれ、数字は5th Ave.から遠ざかるに連れて大きくなる。
このことからも、5th Ave、つまり五番街が、マンハッタンのメインストリートであることがわかる。


五番街沿いの雰囲気や街並みも、場所によって多種多様であり、たとえばセントラルパーク北端の110th St.以北のハーレム地区には貧困層も多く、治安も良好とは言い難いという。

一方で、ミッドタウンより南側では、セントラル・パークを眺望できる高級マンションや歴史的な大邸宅が立ち並び、ニューヨークの裕福さの象徴であり、パリ、ロンドンと並んで世界一賃貸価格の高い通りの1つとして格付けされている。

ミッドタウンとアッパー・イースト・サイドの五番街沿いには、エンパイア・ステート・ビル、ニューヨーク公共図書館、ロックフェラーセンター、セント・パトリック大聖堂などニューヨークを代表する施設が並ぶ。
セントラル・パークの東、82nd St.から105th St.に渡る約1マイルの区間は、1980年代から90年代にかけてメトロポリタン美術館、ホイットニー美術館、グッゲンハイム美術館、クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館など9館もの美術館・博物館が続け様に建てられたため「ミュージアム・マイル(Museum Mile)」の愛称で知られる。
ミュージアム・マイルは、元々20世紀前半に多くの大邸宅が建てられたため「百万長者通り(Millionaire's Row)」と呼ばれ、ニューヨークの裕福層がこぞって転居してきたという。

また、34th St.から60th St.にかけては、ロンドンのオックスフォード通りやパリのシャンゼリゼ通り、ミラノのモンテナポレオーネ通りと並んで世界最高級の商店街の1つである。

ティファニー、カルティエ、バーバリー、エルメネジルド・ゼニア、グッチ、ルイヴィトン、シャネル、ブルックス・ブラザーズ、プラダ、エルメス、サルヴァトーレ・フェラガモ、ミキモト、ブルガリ、エミリオ・プッチ、アルマーニ、コーチ、エスカーダ、クリスチャン・ディオール、ヴィクトリアズ・シークレット、ラコステ、フェンディ、セフォラ、ベルサーチ、ケネス・コール、サックス・フィフス・アベニュー、H.スターン、ハリー・ウィンストン、ヘンリー・ベンデル、エマニュエル・ウンガロ、ピーターフォックス、バナナ・リパブリック、ヒューゴ・ボス、バーグドーフ・グッドマンなどの高級ブランド店が、軒を連ねている。

妻が散策したかった五番街とは、まさにここだったようだ。

少し離れてアップル・ストアもあり、およそ10メートル四方の透明な不思議な立方体が見えている。


五番街と言えば思い出すのは、トルーマン・カポーティの小説「ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany's)」であろうか。
なぜか実家に文庫版が置いてあって、高校生の頃に暇つぶしで読んだ記憶がある。
ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きる女性主人公を描き、ティファニーの店に資本主義の繁栄を象徴させて自由の貴重さを謳い上げた小説である。


あまりに有名な題名は、主人公のセリフで「ティファニーで朝食を食べるご身分」という例えから取られているが、もちろん実際のティファニーは飲食店ではない。

1961年に映画化され、僕は未見だけれども、冒頭でオードリー・ヘプバーンがティファニーのショーウィンドウを前にパンをかじるシーンは見たことがある。
ヘンリー・マンシーニ作曲の主題歌「ムーン・リバー」も忘れがたい。

 

「食べる?」

Tiffanyの店の前で、僕は鞄からサンドイッチを取り出して妻に渡した。

「え?どうして?」
「この時間だから、ティファニーで昼食を、になっちゃうけどね……それでもオードリー・ヘップバーンの気分を味わいながらさ」
「わあ!──恥ずかしいけど、何か楽しいね!」

ホテルの売店で買った何の変哲もないサンドイッチだったけれども、Tiffanyのショーウィンドウの前で頬張れば、五番街の雰囲気満点だった。
通りすがりの女性が、目を丸くして笑いながら話しかけてくる。

「Wao!Breakfast at Tiffany's?」
「Yes!」
「Enjoy!」
「Thank you」

2人とも、いわゆるブランド製品にはあまり興味がないのだけれど、僕はデザインとしてはLouis Vuittonが好みである。
妻もそれを知っているから、まずは、その店に入って内部をひと回りしてみた。
表参道にある店と、雰囲気はあまり変わらない感じであったが、異なるのは、目つきの鋭いガードマンをはじめ、男性の店員が多いことだった。
治安状態の違いだろうか。


一方で、妻が好きなのはCOACHである。
季節性をあまり感じさせなかったLouis Vuittonと違って、こちらはクリスマスの雰囲気を盛り上げて、気さくな店内だった。


嬉しそうにはしゃぐ妻と一緒に、軒を並べる高級ブランド店を他にも幾つか回った。
気分だけは、ニューヨークの富裕層のつもりになっている。
ショー・ウインドウにも、クリスマスを感じさせる商品や飾り付けが多く、目を楽しませてくれた。






せっかく五番街に来たのだから、1つだけだったけれども、妻への贈り物を買った。
高価だからと最初は遠慮した妻だったが、このニューヨーク旅行は、新婚旅行でもあるのだから、プレゼントくらいはしないと、と思ったのだ。

どの店で何を買ったのかは、内緒───



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