西部邁ゼミナール 「レコンキスタに決起すべきとき2」 | 渋谷で世界一周

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2015年2月14日 再放送 TOKYO MXテレビ

西部邁ゼミナール

「レコンキスタに決起すべきとき2」

一水会代表・木村三浩をゲストに迎え、戦後日本のレコンキスタ=失地回復を論じる第二週。日米安保の欺瞞を暴き、真の「戦後レジームからの脱却」を模索する。

西部邁

サイト 動画あり
1960年の安保改定で日米関係が対等になったと言いながら、依然アメリカに守ってもらえると考える戦後日本人。自分の国を自分で守る気概すら持たず、他国の基地が存在するのを容認する振る舞いは、もはや独立国とはいえないのではないか?米軍基地問題などの戦後事件史に的確な解釈を加えながら、日本をめぐる地政学の要となる対ロシア外交の意義を語り、真の意味でのでのレコンキスタを呼びかける!


レコンキスタとは、奪われた土地を取り戻すこと。


一水会
サイト

一水会事務局 
 〒161-0033  東京都新宿区 下落合1-2-5  第23鈴木総合
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一水会(いっすいかい)とは、日本の右翼民族派団体。右翼民族派団体の中でも知名度は高く、新右翼の代表格と言われている。左翼との議論も展開する革新的な政治団体の一つ。現在の活動会員数は全国で約100名と言われるが、36年間続いて発行されている「月刊レコンキスタ」は約3000部の読者を数え、しばしば一般マスメディアでも取り上げられている。またマスメディアからコメント、執筆の依頼も多く、多数の記事がある。「朝まで生テレビ」にパネラーとして出演することも多い。草創期のメンバーは、鈴木邦男、阿部勉、犬塚博英、四宮正貴ら。
命名者は阿部勉[1]。「月に一回、第一水曜日の勉強会」の意味だが、「世界は海洋を通じて一衣帯水である」という意味もある。

創設以来、鈴木邦男が代表を務めてきたが、1999年(平成11年)、書記長だった木村三浩に交代した。鈴木は顧問となり、文化人として日本の現状を憂え、言論活動を行っている。出版物も60冊を超えた。一方、木村は創造的民族派活動を掲げ、右翼民族派としては画期的な池子米軍住宅建設反対運動を行ったり、「対米自立」の観点を堅持しつつ、国際的な視点から湾岸戦争以降のイラク、NATO空爆後のユーゴスラヴィア(現セルビア共和国)等を訪問。フランス、ドイツ、ロシア、リビア、シリア、マレーシア等各国の民族主義政党・団体と交流し、民族派同士の国際連帯を構築した。2006年に処刑されたサッダーム・フセイン大統領の追悼会を日本で唯一開催。その活動・問題提起の枠は日本だけ留まらず、常に世界を意識している。2010年(平成22年)8月12、13日には国民戦線のジャン=マリー・ル・ペン党首ら欧州諸国の愛国政党・活動家を東京に招き、「世界平和をもたらす愛国者の集い」を開催。翌日にはル・ペンらとともに靖国神社参拝を敢行してニュースになった。

木村三浩

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木村 三浩(きむら みつひろ、1956年10月19日 - )は、日本の新右翼団体「一水会」代表。「月刊レコンキスタ」発行人。元統一戦線義勇軍議長。慶應義塾大学戦没者追悼実行委員会委員。比較憲法学会、三田文学会、日本ペンクラブ会員。一般社団法人世界愛国者交流協会代表理事。国際組織NASYO(非同盟諸国学生青年会議)常任理事(1998 - 2003年)。愛国者インターナショナル世界大会(準)実行委員。モスクワ、パリ、ウイーン等、世界愛国者会議に数度にわたって出席。東京都文京区出身。

1956年(昭和31年)東京都文京区小石川生まれ。小学3年で日野市に移る。ベトナム戦争中に隣の立川基地から旋回してくる米軍輸送機の飛行に疑問を持って育つ。日教組の教師と折り合いが悪く、ヤンチャな中学校時代を過ごす。高校は国士舘高校に入学。入学式で軍艦マーチにあわせて入場してくる学校長の演出に圧倒され共感する。高校の友人達と軍歌研究を行う。
1972年(昭和47年)、群馬県前橋市で開催された日本教職員組合定期大会抗議活動に高校の先輩と共に参加。本格的に右翼活動に目覚める。
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「敗北を抱きしめて」

 YouTube 23分ごろ言及している。
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敗北を抱きしめて

一九四五年八月、焦土と化した日本に上陸した占領軍兵士がそこに見出したのは、驚くべきことに、敗者の卑屈や憎悪ではなく、平和な世界と改革への希望に満ちた民衆の姿であった…新たに増補された多数の図版と本文があいまって、占領下の複雑な可能性に満ちた空間をヴィジュアルに蘇らせる新版。

敗戦の惨状の中を歩み始めた民衆は、「平和と民主主義」への願いを抱きしめて、上からの革命に力強く呼応した。奇蹟的な「敗北の物語」を描いた二十世紀の叙事詩。ピュリッツァー賞受賞作品。2001年刊の増補版。


amazonレビューより抜粋

・投稿者 小僧 さま
そのような問題意識の下に、著者は、占領期日本の社会・文化に焦点を当て、「民衆意識」を掬い取ろうとする。「瓦礫となった世界において、社会の全ての階層の人々の声を回復し、全てをやり直すということ、それがどんなことを意味したかを感じ取ろうと努力した」(P9)というのである。

・投稿者 鷺坂判内 さま
 ある国際シンポで、ある外国研究員から、日本は敗戦時にイラクと違って全く抵抗せず、アメリカの支配を国民全体で喜んで受け入れたが何故なのか、という質問があり、日本人パネリストは苦労して答えていたが、まさにその答えがこの本に詳しく実証的に描かれている。




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有料かも。

詳細は 雑誌「表現者 2015年1月号」にあるとのこと。

表現者塾

表現者塾

表現者塾とは

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『表現者』塾(ひょうげんしゃじゅく)は、保守思想に立つ状況論を展開しつつ、思想を訓練する日本の塾。思想家・評論家の西部邁が塾長を務める。議論のテーマは政治、経済から社会、文化にまで至る。旧名「『発言者』塾」。

サイト ※わかりずらい:トップページを見ただけでは内容がわからない。



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ブログ
古谷経衡と倉山満による不当な言論弾圧を許さない市民の会!!超個人的美学

表現者塾のシンポジウムに参加してきました!! より

 ちなみに、「バカは死んでも治らない」とはオルテガが『大衆の反逆』にて用いた表現なのですが、前後を含めて正確にはこのように論じています。


 したがって、愚か者と炯眼の士とのあいだに永遠に存在する差異と同じものを、ここに見るのである。炯眼の人は、自分が愚か者とつねに紙一重であることを知って驚く。だから、目前のばかげたことを避けようと努力するし、その努力のなかに知性が存する。それにたいし、愚か者は、自分のことを疑ってみない。自分がきわめて分別があるように思う。ばかが自分の愚かさのなかであぐらをかくあの羨むべき平静さは、ここから生まれるのである。住んでいる穴から外へひきだしようのない昆虫みたいなもので、愚か者をその愚行から解き放ち、しばらくでもその暗闇から出して、いつもの愚かな見方を、もっと鋭い見方と比較してみるように強制する方法はないのである。愚か者は終生そうであって、抜け穴がない。

 だからこそアナトール・フランスは、愚か者は邪悪な人間より始末が悪い、といったのだ。つまり、邪悪な人間はときどき邪悪でなくなるが、愚か者は死ぬまで治らないからだ。(P81)

引用終わり

 オルテガの「大衆の反逆」を読んだけど、こんなことが書いてあるとは。

 私は、他人にこの『大衆の反逆』の内容を伝えようと思ったときには「この本の内容は一言で言えば、バカが偉そうにしゃしゃり出てくな!!ということを説いた本です」と説明します。しかし、残念ながら、それを実現することは難しいでしょう。

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軍隊をもたずにアメリカから独立。

アメリカの本質、クーデターで独裁傀儡政権の統治が続いている。
2大政党のどちらも同じスポンサーがついている。

なぜ、ケネディー大統領の資料が公開されないのかを考えれば明白。

隠す事は黒。

なぜ、自分たちの代表が暗殺されても黙っていられるのか。

・ヨハネ・パウロ1世

・石井紘基議員

すでにオルテガやジョージ・オーウェルの「1984」のような世界なのかもしれない。