仕事でも、学問でも、今では命を賭けるということが少なくなってきました。
何事も程々と言った風潮なのでしょうか?

少し前の世代迄は、もっと真剣に生き急いでいた人が結構いました。

だからこそ、熱く魅力的な人物が多かったのです!(本物がいました)

ヤクザの世界でも、仕事の世界でも、スポーツや学問でも。

神霊の世界では、この覚悟がない人間は使い物になりません。
神事を行うためには、二つの大切な約束事があるのです。

一つは命をかけること、もう一つは約束(契約)を守ることです。

神事に命を賭けるとはどういう事なのかと言えば、簡単なようで凄く難しいことなのです。

人は簡単に裏切りますが、神霊は決して裏切りません。
そして人の裏切りを絶対に許してはくれません。

たった一つの約束すら守ることが大変なのに、神霊という見えない、不可思議な存在であれば尚更、約束事を自分の都合で解釈してしまったり、うやむやにしてしてまうのが人間というものです。

だから意志を強固にもち、真剣に取り組むのです。命を懸けて約束を守る覚悟が必要なのです。

山間で修行中、落石や獣や毒蛇に遭遇することもあります。海でながされたり、極寒のため凍傷にかかることもあります。怪我を負ったり倒れても誰も助けてくれません。

しかしこの修行で一番辛いことは『孤独』
と『闇』です。

修行は一通りできてもこの孤独に耐えきれず挫折したり、真の闇の暗さや恐怖に耐えられず挫折したりするものがいるのです。
この二つの恐怖に打ち勝ってこそ真に神霊の力を手に出来るのです。

そして眷属や神霊を使役して、呪術をかけたり、魔を祓ったりしたとき、このものたちとの約束事を必ず果たすのです。

このときも本当に不可思議なものが現れたり、それらが襲ってくる恐怖に耐えられず気が萎えてしまうと、此方にかかってきますので大変なことになります。

願いや力が大きいほど、此方もリスクを負うのです(時には命を差し出す覚悟を求められることがあります)。

今の宗教界や神社界でも命を懸けて真剣に自分の仕事をしているものが、果たして何人いるだろうかと考えると、尚一層頑張らなければならないと感じる今日この頃である。