「神様は人を救わない」

これは絶対的な真理であります。

何故なら
①この現象世界に存在する数多のものは、神により造られたものだから。

②救済という考えは人の作りし概念でしかない。

③自我は妄想を膨らませ、本当の自分を知らず、世界の実状を知り得ることはない。そのようなエゴの塊は救われる(覚智)価値がない。

①神が世界を創造したならば、その造られたもの等に禍福や優劣を個々に与える権限があるとせば、その世界は異様なものであろう。
当にキリスト教の様に神に選ばれるために、人は神のご機嫌を取らなければならなくなり、これは神の奴僕となることである。

②何を以て救いと定義するのか?
健康や物質欲を満たすことが救いなのか?
他に抜きん出ることが救いなのか?
個人の人格や尊厳を保持することが救いなのか?
此等の考えは自我という本能と快楽と生存欲(無明)を満たす為の欲求に他ならないのです。

③個々の生命がこの世界で重要なものならば、生物は他の生物の命を奪うことはないであろう。
この世界で生きる生物は全て他の生物の命を貰う(食する)ことでしか生きる事はできないのです。
個の尊厳とか権利だとかを吹聴することの無意味さを知れ!
種としての存続を続けていくことが生物の使命であり神の定めたシステムであるのだ。

神は人を救わないという真の意味は、自我(和御魂と荒御魂)で生きている殆どの人類は、自他を分別し、自己の保全と他者との比較優位(物質欲、食欲、性欲、睡眠欲、名誉欲、支配欲、暴力)に立ちたいという思いから神に縋るのだが、真実は全く異なる。

一霊こそが真の実在する自己であります。

真の私は、自我を超えたところに存在する、大いなる使命と神の期待を一身に背負って此の世に生を受けた「三光」を授かった存在であるのです。

但しこの事を本当に理解している人間は少ない。