神社とは元々は、神霊の神気の降りてくる場所に設けた、祈りを捧げる場所でした。

 

其処に奉拝する為の建物を建てたものが神社となったのです。

 

片や「神道」とは、古(いにしえ)の先人が、その不可思議な力を「魔」と呼んで畏れ、慄き、用い、感謝して来たものが神道=随神と成っていったのです。

 

だから其の頃の神官は見えていたし聞こえていました。

 

神霊の息吹をきちんと感じることが出来ていたのです。

 

それが、明治維新を終えると官軍に属していた兵士たちが明治新政府の各省庁や施設や団体の役職として、又は職員として優先的に割り振られて行きました。

 

然し何万兵もいた官軍の兵士たちは、それだけでは足りませんでした。

 

職にありつけない兵士の不満を無くすために、明治政府はそうした者達を全国の神社の神官、職員にして食い扶持を与えていったのです。


そうした政策を進めたことが、今の頓珍漢な神社界を生んでしまったのです。

 

神事は、信仰心無くしては務まりません。

 

神霊の神気を感じることが出来ない者達が神職になったから今のような、「信仰の神社」ではなく「観光の神社」となってしまったのです。

 

ああああああああ!

 

嘆かわしい限りです。