ここに来て急激に本物が無くなりつつあります。
本物の職人(左官、庭師、陶工など)や落語家、作家、政治家そして神職など…。
皆さん技に走り、利に走り、名を求め、我慢(忍耐)が出来なくなりましたね!?
それは即ち自らが中途半端な「半端者」だと認めたこととなります。
だから見る人が見れば、こうした者たちの仕事や言動に未熟で至らないものが見えてしまうのです。
今「パラリ壁」を塗れる職人さんが何人いるのだろうか?
陶工にしても然り。
「三輪休雪」を継承した第13代の作品
第13代「三輪休雪」作 確か1,320,000円だったと記憶しているが、これで茶を頂いて美味しいのかしら?
バリバリ個人のエゴ丸出しの作品【属人的な作品】
かたや
根津美術館蔵 青井戸茶碗「柴田」
萩焼ではないが、井戸茶碗は萩茶碗の原型と云われています。当に無駄のない作品と呼べるお茶碗です。作者の自我(エゴ)が全く作品に出ていない【事柄的な作品】
今、石の顔が判る庭師が何人いるか?
政治家や経営者も然りであります。
最近では、某有名神社の宮司など、踏ん反り返って見るすべもありません(全部の神社がそうではありませんから)。
なぜこのような安っぽい、薄っぺらい人間が大量に生産されてしまったのか?
それは戦後教育(GHQと極左教育委員会)にあります。
「平等」とか「権利」とか「自由」とかの戯言を毎日、宣伝カーのスピーカーのように大音量で流していれば、どんなに真面な人間でも影響を受けてしまいますから。
「汗を掻かない」、「辛苦を舐めない」、「苦労をしない」、「人の顔色だけ見て」、「利に聡く」…では
日本の将来は、非常に暗い。