近年あまりにしばしば耳にする「人生一度きり」という「判断」は何を意味しようとしているのだろうか。それで自分自身を規定するのは一応本人の自由だと言わねばならないだろうが、われわれはそれを他人へもの呼びかけのように言ってはならないとわたしは思う。希望のもはやない病人や死期に臨んだ人間にもあなたがたはそれを言えるのだろうか。一方で、「人生は短いが芸術は長い」という言葉は、「身体には限りがあるが魂の本質は無限で永遠である」と換言し得ると思う。(わたしは今、陳腐な観念的気休めではなく、ひじょうに大事なことを感じてこの欄に向ったのだが、ここでも時宜を逸さぬ魔物の反創造的な容喙と闘いながら文字を打ち込まねばならない!「来るな」と言っているのに向こうから来る。)わたしが言いたいことは、「人生一度きり」という信条それ自体には、わたしの言う「信仰」(他にどういう言葉で言ってよいのかわからない)が欠けているように感ぜられるということである。〔これによってわたしが特定の教義信奉を全く意味していないことは念を押すまでもない。〕「信仰」という言葉が気に入らないのなら、別の言葉で置き換えて頂いてもよいが、問題の信条は更にもっと本質的な意識を前提として必要とするのではないかということなのだ。そうでなければこの信条自体が自他に不安や絶望を強いる一表現となりかねないのではないだろうか。