ねえきみ、「創造主の法」というのがあってね、それに従わなければ生きることも幸福になることも「魂として成長」することも出来ないっていうんだ。ぼくはそんなもの少しも意識に留める必要はないと思う。『誠実』であればいいんだ。これがいちばん精神をはたらかせることになるんだ。そのなかで「魂の心棒」になるような意識がしだいにはっきりしてくるよ。それでも悪魔はそうとう邪魔をして混乱させるのに、「法」とやらばかり先に意識していたら、その隙だらけの意識に悪魔はいいように入り込んでくるのではないかな。ぼくはどうもそういう例ばかり経験してきているように思う。傀儡になってもいいから悪魔、いや創造主に気に入られて幸福になりたいっていうのなら・・でもそれでは、考えることを知っているきみは自分の人生に納得しないだろう。それがどういう存在であれ魔物は居るということ、そして自ら誠実に考え行為する自立性こそが魂を深めるということ、この本質的に大事な二つのことが現在あまりに等閑に付せられて、「幸福」追求のみへと浮き足立っているのではないかな。―― 明日はいまいましい病院で、薬害結果の一つである不自然な不眠体質(体質が変容しているのだ)のための薬を得にゆかなくてはならない。人を薬で不具にしておいてしらを切り、その症状のための薬で更に人を病院につなぎ付き合わせる、これをきみはどう思うか。こちらは不条理への怒りに任せて責任医を殴ることもできずに、無益で白々しい「どうですか」の「問診」に付き合ってやらねばならない。今、こういう明らかな症状問題でも訴訟出来る社会になっていないのだ。雰囲気からして医局はぐるだとぼくは断定している。訴訟行為の元気もぼくは奪われ、周りの連中は霊的な集団催眠にかかって人格が変化し、全然協力しない。信じられないがこれが「事実」だ。詳細に経緯を努力して伝えた知識界の知人も、期待を抱かせながら聞くだけ聞いて面白がった後は結局何にもしなかった。 ぼくはこれから眠るための薬を飲んで寝なければならない。オヤスミナサイ!