ぼくに起ることはすべて、ある計画に基づいて起っている、という仮定を設定して生きてみる。見かけや直接的な結果から速断してはいけない。そのなかでぼくの信念と感覚と確信を貫くことは自由なのだ。方法的生だな。どういうことになるか。

 

 

 

計画などどうでもいいのだ。ぼくは(高き自己に)集中すると言ったではないか。