久しぶりにレイさんのところに行ったら、モヤモヤすることを言われたので記録。
実は昨年末にパニック発作を起こし、でも精神科の先生は忙しくて薬を変えてくれただけで帰され、
レイさんのところに行ってもヒントがみつからなかったら絶望的だなと思っていた。
絶望的というのもおかしな話である。
とっくに絶望しきっていると思っていたのに。
事件以降、失ったものはいろいろあるけど、一番大きいものは「希望」だろう。
今までレイさんのところに通って、いつも言われた
レイさん「そこに居てもいいですけど、状況は変わらないですよ。楽になりたいなら○○しなさい」
えー、めんどくさい、でなきないー、とぶつくさ言いながらも、約10年にわたって私は自分のトラウマを癒しているつもりだった。
心屋流で言うバンジージャンプも何度か飛んだ。
けど、その結果がこれか……と思うと、すべての気力が抜けていく。
レイさんには前回「これもまた成長のステップで、神様からのギフト」と言われたのだが、
私は今度ばかりはそう思えなかった。
私が、自分が成長するために相手に性犯罪を「させた」
というのがどうしても受け入れられなくて。
他のことなら、受け入れられた。
会社で取り返しのつかないミスをしたときも、同僚に無視されたときも、
それは私が乗り越えてより楽になるための仕掛けであると思って、自分の何がそれを引き起こしているのか
向き合うことで乗り越えてきた。(つもり)
でも、性犯罪だけは、分析したり、そこで感じたことを感じきることが無理だった。
成長なんてしなくていいから、犯罪に逢う前の自分に戻して欲しい。
そんな風にしか思えなかった。
試練がきて、乗り越えられなかったら追試。
乗り越えたら、さらなる試練。
じゃあ今度はちょっと性犯罪に遭ってみようか的なことであるなら、もうなんかどうでもいいと思えてしまう。
私がやってきたことは性犯罪に遭うためにやってきたことのようにさえ思える。
だから、過去は全否定されたし、未来に希望を持てない。
……はやくこの世界から逃げたい。
そんな風にしか思えずに、日々を過ごしています。
長くなったけど、次でちゃんとレイさんのところに行った話です。