タイトルの通りです。
なんかどうしても愚痴りたいので、で、キャスではなく文字にしないと解消できない気分なので、書く。
ほんとにただの愚痴なので、読み流してくださいませ。
キャスを聞いてくださっている方はご存知だけど、クララは現在ある学校に通っている。
そこでは、いろんなことを学ぶのだけど、今日の授業は納得いかなかった。
テーマはストレスコントロール。
講師は、スクールカースト上位の匂いがするさばさば系キャリアウーマン40代女性。
前の会社では人事を担当していたらしく、自信が零れ落ちそうな女性である。
まずこんな言葉から始まった。
「みなさんの考えを変えて欲しいとかそういうことではなく、
マイナス思考になってしまう人や、他人に対して怒りを覚えてしまう人は、それをプラスに変えていって欲しいということなんです」
それ矛盾してね!??
マイナス思考や怒る事を悪いことだと決め付けてない?
ストレスケアや、アンガーコントロールは、まず怒りの感情を受け入れるところから始めることだと思っていた私は、ぽかーん。
以降、なんじゃそりゃ?の連続だった。
その1.ストレス解消。
「ストレス解消法を持っている人は手をあげてください」
「持ってない人は手をあげてください」
めんどくせーな……と思って手を上げなかった私。
「面接でもよくストレス解消法はありますか?って聞かれます。それはストレスでつぶれてしまう人なのか、自分でストレスをコントロールできる人なのか見るためです」
……ブラックな匂いがするの私だけ??
そして、ストレス解消法がないと答えた人に
「では、それをこれから見つけていきましょう」と強く言う講師。
私がなぜ手をあげなかったのか、後で自分の心と向き合ってわかった。
好きなことは、したいからするのであって、ストレスを解消するためにするわけじゃない。
ましてや仕事の質を下げないためにするわけじゃない。
仕事は仕事、趣味は趣味。
労働時間外に何をするかは、個人の自由だと私は思っている。
もちろん結果的にストレス解消されて、仕事も充実することはあるだろう。
しかし、それを他人が強要するものではない、と私は思っているようだ。
それに、これをしたんだから、ストレスが解消できるとか、人間の心ってそんな単純でもない。
ゲームみたいに、お菓子を3個食べたらHPが30回復するとかじゃなくて、
何をしたって、回復しない泥沼にはまり込むことだってある。
だから、「これが私のストレス解消方です」(つまりこれさえあれば、私はストレスをコントロールできます)と言ってしまうのが怖かったのだ。
生徒はほとんどが私と同じ、精神を病んでいる人たちで、そういう沼を経験しているだろうに、ストレス解消法を持つことで(持ってない人はこれから見つけることを強要して)ストレスをコントロールしましょう!って
考えが浅っ!!!!
と私は思うのである。
その2.不安のコントロール
不安をどうやって解消するのか、は誰もが知りたいところである。
どうやって教えるのかなーと思っていたら。
まず「不安なこと」と「それをどうやったらよくなるのか」を書かせる。
……いやな予感がした。
「では、不安なことと、それをどうやったらよくなるのかを発表してください」
……やっぱりな。
不安なことって、けっこうセンシティブじゃねーか? みんなの前で言わせるのやばくね?ねぇねぇ?
で「お金がない」って不安をあげた生徒がいた。
では、その問題をよくするためにはどうしたらいいでしょう?とみんなで考える。
「節約する」「家計簿をつける」「働く」
……いやいやいやいや
「お金がない」って不安をあげた人が節約してなくて浪費しているからお金がないんだって決め付けるのは失礼だし、
その生徒は必死に就職活動してて、でも何社も不採用になって悩んでいるの知ってるはずなのに。
あなたが痩せられないという不安を口にしたときに「大丈夫です! ダイエットすれば解決します!」って言われるようなものですが?
(講師はまあまあ太ってます)
あまりにもむかついたから「不安なこと」に
「父親がギャンブル依存症になって親戚に借金しまくってて、お金の件は財産放棄すればいいとして、
もし認知症で介護が必要になったら、いったいどこにいくらあるのかわからない借金、どこからどこまでが自分のものなのかも分からない値の付かない田舎の土地を整理して、自己破産からの生活保護からの受け入れてくれる施設探しをだれがやるのか?」
ってぶっこんでやろうかと思ったね!
やらなかった私は大人。えらい。きっとえらい。
その3.謎の上目線
これはストレスコントロールから離れるのだけど、
多分これはクララのせいなのだけど、この学校の中で、
「私たちは耳が痛いこともいいますけど、貴方たちを思ってのことですから、素直に聞いてください」
って、何度も何度も何度も何度も……言われるようになった。
(クララがいろいろ過去にやらかして「本音」を言ってしまったことがあってな、今は「大人」を偽装して何も言わないことにした)
自分の言うことが相手にとって「耳が痛い」って断言できるのってすごいことじゃない?
自分が正しくて、相手が間違ってて、それを相手が認めて襟を正してくれると確信してないと言えない台詞よね?
たとえば、私が「痩せすぎています!」って言われてもまったく耳は痛くない。
「太りすぎです」と言われても耳は痛くないね、むかつくけど。
今回も、なにかにかこつけて
「ここができてないと指摘してもらえるのはありがたいことです」
と始まった。
「もしかしたら変わってくれるかもしれないと思える人にしかいいません。
言っても変わらないなーと思う人にはいいません」
おい! 冒頭の言葉どこいった!!!
変わって欲しいとは思ってないんじゃなかったんかい!!!
……もういいや。
いろいろ言ってきたけど、単に「私と考えが合わない」っていうただそれだけの問題なんだよね。
もしも相手にとって私の意見を役立ててくれそうなら言ってもいいけど、
無理そうだから言わない。
聞いた振りして、聞き流す。
それでいいんだと思う。
他の生徒にはちょっと気の毒な気もするけど、それもまあ私の問題ではないから、気にしないことにします。
という結論。
……ああ、すっきりした。