「Left Alone」第81章(1/2) | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
「……まァ、その件はいい」
 井芹はようやくそれだけを絞り出すように口にした。リードを握る主人である筈なのに凶暴な犬に吠えついれるのを怖れる様子は滑稽ですらあった。無論、本人は絶対に認めないだろうが。
 自分の立場を確認するかのように小さく咳払いをして、井芹はアタシにすべての原因を求めるような視線を投げつけてきた。
「ところで、この女が持っていたという写真は?」
「こいつのことですか?」
 馬渡はアタシから取り上げた写真を井芹に渡した。井芹はそれを腐乱死体の写真を見るかのような表情で一枚ずつ確認していった。
「……本当だったのか」
「ですな。御大に少し脇が甘すぎると忠告した方がいいのでは?」
「言える訳なかろう、そんなこと。これで全部なのか?」
「と、言いますと?」
「ふざけるのもいい加減にしろ。写真はこれで全てなのかと訊いているんだ」
「こちらのお嬢さんが持っていたのはこれだけです」
「どういう意味だ、警視?」
「彼女が他の写真を何処かに隠している可能性はある、ということです」
「何だと?」
 井芹がぎょろりと目を剥いた。
「オイ――」
「榊原真奈よ。刑事はまず、捜査対象者の顔と名前を覚える訓練から始めるってウチの父さんが言ってたけど?」
 こんな奴に名前を覚えて貰いたくなどないが、オイだのコイツだのと呼ばれるのはもっと気に食わない。
「写真はこれで全てか?」
「どうかしらね」
「何だと?」
「あんた、アタシがこれで全部だって言ったら信じるの? 公安の刑事ってずいぶんおめでたいのね」
 目の端で馬渡が忍び笑いを浮かべているのが見えたが、アタシの視線に気づいた井芹がそっちを向くと馬渡はわざとらしくそっぽを向いた。
「警視、この女の監視体制は?」
「ちゃんとやっていましたよ。朴と大森はちょいと目立つんで使えませんから、立花と青柳に二人でマークさせてました。残念ながら四六時中という訳にはいきませんでしたがね」
「だったら――」
「ですが、GPSの履歴で出回った先はすべて把握してますよ。何とも行動的なお嬢さんでしてね、裏を取るのに苦労しました」
 GPSという単語に一瞬ドキリとしたが、アタシの下腹部のそれではないだろう。
「何のことだ、と言いたげな顔だな」
 井芹が言った。
「……そうね。だいたい予想はついてるけど」
「言ってみろ」
「携帯電話のGPS機能でしょ。基地局とのやり取りのときにサーバに位置情報が記録されてるって話は聞いたことあるわ。一般人はそんなもの、問い合わせることもできないけど警察なら簡単に調べられる。違う?」
「ご明察。違うのは警察でも令状もなしに問い合わせはできないってことだけだ」
「親分がキャリア官僚だとそんなことまで横車が押せるの?」
「まさか。携帯のキャリア各社に我々の協力者がいるのさ。弱みをがっちり握ってぐうの音も出ないほど首根っこを押さえつけてる奴もいるし、ちょいと交通違反あたりを揉み消して貰って”ああ、話が分かるお巡りさんもいるんだな”と勘違いしてる程度の奴もいる。まあ、実際にはこういう輩の方が意外と重宝するんだ。「極秘の捜査なので何とか協力して貰えないか」なんて言うと、助けてくれたお巡りさんの力になろうと躍起になってくれたりするのさ。令状があれば当たり前に照会に応じる内容だから、あんまり罪の意識もないしな」
「最低」
「褒め言葉と取っておこう。警視、この女がこれ以外の写真を持っている可能性はどれくらいだ?」
「彼女のここまでの立ち回りから考えると、かなり高いと言わざるを得ないでしょうな。実際のところ、どうなんだね。手荒なことはしたくないんで自発的に話してくれると助かる」
「アタシの行動は筒抜けだったんじゃないの?」
「今朝まではな」
 この逢瀬が始まってから初めて、馬渡が不機嫌そうな顔をした。
「吉塚和津実の遺品を家ごと燃やした時点で、誰かさんが勝利を確信したんだろうな。私に無断で君の監視を解いてしまったのさ」
 馬渡はわざと井芹の方を見なかった。井芹は顔を真っ赤にして気色ばんだ。
「放火の場合、野次馬や周辺の様子が録画されることがある。犯人が現場に戻ることが少なくないからな。私はそれを警戒したんだ」
「それは確かにそうかもしれませんな、課長。しかし、結果として最後の最後で出し抜かれてしまった訳です。勝利を確信した瞬間に油断が生まれる。まさにその通り」
「そうとも言い切れまい。この女の口を割らせればいいんだ」
「……素直に喋ってくれればいいんですがね。ああ、そうそう。彼女と彼女のお友だちについてはこの後の計画があるんですから、力づくってのはなしでお願いしますよ」
 馬渡は小さく肩を竦めてみせた。計画が何のことかは分からないが意味するところは伝わっているらしく、井芹も小さく鼻を鳴らしただけで異を唱えなかった。
「とりあえず、吉塚和津実の実家を出た後のこの女の立ち寄った先は確認できている。明治通りのキンコス、福岡中央郵便局、長浜の自動車ディーラー、天神地下街、平尾浄水の自宅、浄水通りのランジェリー・ショップ、高宮の総合病院、大橋の自動車修理工場、西鉄大橋駅、天神地下街」
「プライバシーの侵害もいいところね」
 アタシの抗議はあっさり無視された。
「キンコスは写真のコピーに寄ったんだろう。問題はその後の郵便局だ」
「お金を下ろしに行ったの」
「嘘をつくな。おまえが郵便貯金の口座を持ってないことは確認済みだ」
「ホントにプライバシーもへったくれもないわね」
「郵便局に何をしに行った?」
 どうするべきか、急いで考えをまとめた。
 こいつらが実力行使に出ない理由は分からない。しかし、もしも本気でアタシの口を割らせる気なら方法は幾らでもある筈だ。暴力や凌辱にならひょっとしたらある程度は耐えられるかもしれないが、薬物に抗える自信はまったくなかった。まして、自分ではなく由真をターゲットにされたらアタシはイチコロだ。
「……全部じゃないわよ」
 アタシが言うと井芹が眉根を寄せた。
「何だって?」
「アタシが和津実の母親のところから持ち出したのは、いわゆるミニアルバムってやつよ。数えたわけじゃないけど、そうね――四〇枚くらいはあったんじゃないかしら。写ってるのはあんたが持ってるそれとだいたい同じ内容。ああ、一枚だけおたくの親分の租チンのアップがあったっけ」
 背後でハルが吹き出しかけたが、井芹に睨まれて慌てて我慢していた。
「それをどうした?」
「知り合いのところに送ったわ。届いたらアタシに電話をくれるように頼んだ手紙を添えてね。それでもし連絡がつかないようなことがあったら、手紙と一緒に警察庁に持ち込むことになってるわ」
「警察庁?」
「そ、おたくの親分の職場。そのライバルの職場でもあるけど」
 アタシの言ったことの意味が通じるまで言葉を切った。
 地位をめぐって蹴落とし合う敵の手にあんな写真が転がり込んだらどうなるか。新庄圭祐はあっという間にその地位を追われ、その威光をかさにやりたい放題できた馬渡や井芹は後盾を失う。
「ふん、いい考えのようだが甘いな。誰に頼んだか知らんが、何処の馬の骨とも分からん輩の言うことを真に受けるような間抜けは警察庁にはいない」
「普通はそうかもね。でも、前の県警の副本部長は柳澤さんだったっけ?」
「……それがどうした?」
「あの人とは二年前の敬聖会の事件で顔見知りなのよね。アタシの名前を出せば門前払いはないわ」
「貴様ッ!!」
 井芹が目を血走らせてアタシの胸倉を捻り上げた。アタシは拳が飛んでくるのを予想してとっさに首をすくめた。
 しかし、衝撃は来なかった。上げようとした井芹の腕を馬渡がしっかりとつかんでいた。くたびれた中年男とは思えない速さと膂力だった。
「傷をつけるなと言った筈だ」
「馬渡――」
「それより課長、あんたに大至急で調べて貰いたいことがある。朴、私のバッグから例の報告書を持ってきてくれ」
 朴はエスティマの助手席から年季の入ったアタッシェケースを持ってきた。馬渡の足元で開けると中から見覚えのある封筒を取り出した。バイト先に上社が持ってきた封筒と同じものだ。馬渡が中から取り出した綴りのページを繰っていく。
「……やっぱりこいつだ。梅野浩二、二十一歳。なるほど、東京都渋谷区在住とある」
「誰だ、それは?」
「こちらのお嬢さんのかつての恋人だ。詳しい経緯は知らんが現在は東京で働いているらしい。こんなことを頼める相手はこいつしかいない」
 アタシは息を呑んだ。
「どうしてそんなこと言えるのよ?」
「私が君の交友関係を調べなかったとでも思っているのか? それにさっき、君自身がこの男のことを口にしたじゃないか」
「……くっ」
「騙るに落ちたとはこのことだな」
 馬渡は歯噛みするアタシを見て満足そうに微笑んだ。
「大至急、この男のヤサを調べさせるんだ。あっちにも御大の飼い犬がいるだろう?」
「本庁の公安を動かせというのか。まあ、何とかなるだろうが」
 井芹はわざとらしいため息をついて背を向けた。何処かに電話をかけ始める。
「ちょっと、まさかあんたたち……?」
「心配するな、そんなに手荒い真似はしない。でっち上げの別件逮捕で二、三日、家を開けて貰うだけだ」
「きったねぇ……」
「私も褒め言葉として受け取っておくべきかね?」
 アタシは答えずに馬渡の顔を精いっぱい睨みつけた。
 しかし、心の中で微笑んでいたのはアタシも一緒だった。勝利を確信した瞬間に油断が生まれる。まさにその通りだからだ。