「Left Alone」第81章(2/2) | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
 井芹が戻ってくるまでの間、アタシは再びエスティマに乗せられていた。近くには来なかったが下の方の階で車の音がしたからだ。
 馬渡はアタシの横に乗り込んで、腕組みをしたままで車内の音楽に耳を傾けていた。007の音楽ばかりを集めたサントラで、流れているのはA-haの〈The Living Daylights〉だった。そこまでこだわる必要が何処にあるのか、アタシにはまったく分からない。
「計画って何のこと?」
 アタシの問いに、馬渡は閉じていた目をうっすらと開けた。
「計画?」
「しらばっくれないでよ。あんたが言ったんじゃない。アタシと由真については計画があるから傷をつけるなって」
「当ててみたらどうだね、ボンド・ガール?」
「その呼び方やめて」
「何故だね?」
「父と村上さんのせいで詳しいけど、アタシは別にジェイムズ・ボンドが好きな訳じゃないから。それに何て言うのかな、ボンド・ガールって都合のいい女っぽくない?」
「確かに初期のはそういうところがあるかな。ウーマン・リブの連中にえらく叩かれたらしい」
 馬渡は口元に薄い笑みを浮かべた。アタシは盛大にため息をついて見せた。
「人質なのは間違いないわね」
「誰に対しての?」
「村上さん以外、誰がいるって言うのよ。由真はアタシへの人質かもしれないけど」
「どちらに対しても、だな。しかし、彼女には君ほどの効果はなさそうだ」
「どうしてそんなこと言えるの?」
「二年前の事件のとき、拉致されそうになった君を助けるために、警部補が捜査の段取りを無視して救出の指示を出したという話は私の耳にも入っている。あの冷静沈着が服を着て歩いているような村上警部補が、だ。ずいぶん取り乱していたとも言っていたな」
「誰が?」
「その場にいたと言えば一人しかいるまい。権藤だよ。――おいおい、そんな怖い顔をしないでくれ。折角の美人が台無しだ」
 馬渡がおどけたように目を見開いた。
「あんたたち、そんな話をする仲だったの?」
「そりゃそうさ。マル暴と薬対はお隣さんみたいなものだし、そうでなくても、私と彼は同郷なのでね。公安に移ってからはさすがに一緒に飲む機会はなくなったが、それでも庁舎で顔を合わせれば立ち話くらいはしたよ」
「そんな相手をよく撃ち殺せたわね」
「私がそうしなければ、君が撃ち殺されていたかもしれないんだぞ?」
「……本気でそんなこと思ってんの?」
 抑えようとしたが声が震えるのは止められなかった。目の前の傲岸不遜な男に飛びかかって、自由にならない両手の代わりに喉笛を食い千切ってやりたい衝動に駆られた。
「誤算だったんだよ」
 馬渡は内ポケットからセブンスターのパッケージを取り出して一本引き抜いた。しかし、なかなか火をつけようとはしなかった。
「誤算?」
「我々は権藤警視は村上警部補の協力者だと思っていた。事実、そういう動きもしていたからね。非合法なルートで拳銃を入手したり、盗難車を手配したりしていたのは掴んでいたが、何のためのものかまでは分からなかった。まさか、奴が村上を利用して自分の復讐劇の準備をしていたなんてな」
「いつ、それに気づいたのよ?」
「奴が千原和津実に接触を図ろうとしているのを掴んだときだ。君にやったのと同じように、我々は権藤の携帯電話も追尾していた。誰に電話したのかも協力者を通じて把握していた。メールでやり取りされると内容の分析ができなくて困るんだが、権藤はメールはまるで使いこなせなかったのでその点は楽だったよ」
「自分は使いこなせるような口ぶりね」
「馬鹿にしないでくれ、これでも絵文字入りのメールくらい打てる。ところで煙草を吸っても構わんかね?」
「そういうことは咥える前に言ってよ。それとも、駄目だって言ったら控えてくれるの?」
「これでもフェミニストのつもりなんだがね」
「誰かがあんたのこと、同じように言ってたわ」
「ほう。君は何と答えた?」
「フェミニストは女の子を特急列車めがけて突き飛ばしたりしない」
「違いない」
 馬渡は使い捨てライターで煙草に火をつけた。
「とにかく、我々は早急に手を打つ必要に迫られた。奴が自分の娘を弄んだ麻薬グループの連中の頭に坑道をぶち開けて回るのは別に構わなかったが、その最終目標が我らが御大なのは間違いなかったからね。幸いと言ったらまた君に睨まれるんだろうが、権藤は逃走のために村上を撃って自由に動き回れる身ではなくなった」
「……そうね」
「しかし、身を潜める権藤を警察に先んじて捉えるのはなかなか骨が折れる。そこで我々は奴に盗難車を手配する男を押さえることにした。幸い、立花がその手の連中と接触があったのでね。車がスカイラインなのも、次の車の受け渡し場所が須崎埠頭のラブホテルなのもすぐに分かった。しかし、一つだけ問題があった。何だと思うね?」
 少しだけ考えた。答えは一つしかなかった。
「権藤さんを殺す口実がない」
「ご名答。いくら我々でも、捜査一課が躍起になって追いかけている男を正当な理由なく射殺したとなれば面倒なことになる。特に今は御大の不始末の後片付けの真っ最中なのでね。余計な摩擦は起こしたくなかった」
 そこまで言って馬渡はアタシの顔を覗き込んだ。言いたいことは何となく分かった。
「まさに”飛んで火に入る夏の虫”だったってことなのね」
「君と権藤のやり取りはずっと耳を澄ませて聞いていた。話の流れが権藤に銃を構えさせる方向に進まないかと手に汗を握ったよ」
「あんた、本物の人間の屑ね。断っとくけど褒め言葉じゃないから」
 馬渡は小さく笑みを浮かべた。
「話を元に戻そう。君が村上警部補への人質だというところまでは正解だ。渡利純也のDVDの始末が終わり、明日――遅くとも明後日までには千原和津実が残した写真も手に入る。御大を追い落とす材料がすべてこっちの手に落ちた以上、村上警部補にはもう何も出来はしない」
 悔しいがそういうことになるだろう。
「だったら、もう放っといてもいいんじゃない?」
「そうはいかないよ。何事にも落とし前というものは必要だ」
「キャリア官僚に牙を剥いたことに対して?」
「御大ならそう答えるかな。俺にとってはそんなことはどうだっていいが、まあ、大事なスポンサーなのでね。後顧の憂いを絶っておきたいというオーダーに答えなくてはならない。が、しかし、あれで村上恭吾という男は歳に似合わず周到でね。何処にどんな保険をかけているか分かったものじゃないんだ」
「ずいぶんと高く買ってるのね」
「勿論だ。もう少し話が分かる男ならこっち側に引き込みたいくらいだよ。同じジェイムズ・ボンドのファンでもあることだしね」
「なるほど。つまり、村上さんの保険とやらとアタシが引き換えなのね?」
「残念ながら少し違う。無論、彼にはそういう取引を持ちかけるんだが、御大のご注文は”村上とかいうクソ生意気な警部補の息の根を止めろ”なのでね。君は警部補を呼び出すためのエサだ」
「冗談よして。それが分かってて、アタシが大人しく従うとでも思ってるの?」
「彼の重荷になるくらいなら舌を噛むとでも? 意外と古風なところがあるんだな。しかし、そういう訳にはいかない。ここで最初の質問の後段への答えだ。君のお友だちは君の暴走を抑える為の安全弁だよ。君は自分のことはまったく顧みないが、大事な人物を犠牲にはできない性分らしい」
 腹立たしいが馬渡の言う通りだった。村上の足枷になるくらいなら、たとえ無駄だとしても精いっぱい抵抗してみせるだろう。こいつらの思い通りになどなってやるものか。その結果がどうなろうと後悔しない。
 しかし、由真の命がかかっているとなれば話は別だった。
「じゃあ、あんたたちが村上さんを殺したら、アタシと由真はどうなるの?」
「君たちは用無しだ。当然、彼の後を追ってもらうことになる」
「……でしょうね。道理でペラペラしゃべると思った」
 改めてはっきり聞かされると気が滅入った。逆転ホームランを打つための秘策はアタシの下腹で沈黙したままだ。
「しかし、だからと言って簡単に始末する訳にもいかない。何せ、この事件では人が死に過ぎているのでね」
「自分たちがやっといてよく言うわね」
「返す言葉もないな」
 馬渡が口元をシニカルに歪めた。
「これ以上、死体を積み上げるとさすがに隠蔽しきれない可能性がある。ウチの御大も殺人許可証までは用意してくれないんでね。そこで我々は君たちに事故死して貰うことにした」
「事故死?」
「そうだ。具体的には飲酒運転で埠頭の岸壁あたりから転落して貰うことになりそうだ。盗難車はすでに用意してあるし、立花がその手の工作の経験があるらしいんで車はちゃんと海にダイブしてくれる。君たちの手を煩わせるようなことは何もない。心行くまでアルコールを楽しんでから、運転席と助手席に座ってくれればそれでいい」
「アタシたちに傷をつけないのは?」
「いくら酒酔い運転の事故でも君たちは未成年だ。いろいろと嗅ぎ回っていたのを知っている人間も多い。となると、司法解剖が行われないとは言い切れないんだ。明らかに暴行の痕があれば不審に思う人間も出てくるし、下手に薬物なんか使うといよいよ墓穴を掘りかねない。まして、体内からDNA鑑定のサンプルが出てきたりしたと厄介だ。コンドームをつければいいだろうと大森あたりは思ってるかもしれないが、まあ、あいつらがそんな言いつけを守る筈がないのでね」
「……まあ、そうでしょうね」
「とりあえず、君たちには村上警部補を始末するまでの間、あの貨物船で大人しくしていてもらうことになる。まあ、君の仕組んだ小細工のこともあるし、ちょうど良かったと言えなくもない。今日の午前中に投函したのなら、東京に届くのは早くて明日の午後、遅くても明後日。それまでは生きていて貰わないと困る」
「どうして? 梅野さんを逮捕させて、そこに居座るんでしょ?」
「そこだよ。君がやけに素直なのが気になるんだ」
 一瞬、目論見を見破られたのかと思った。しかし、そうであっても馬渡に為す術はない。それこそがアタシがかけた保険なのだった。
 不意に馬渡の顔から表情が消えた。ぞっとするような空虚な眼差しがアタシの目の色を探るように近づいてくる。アタシは背筋を這い上ってくる恐怖に懸命に耐えた。
「無駄な期待はしないことだ。君と言う存在がある以上、村上警部補は我々の呼び出しを断れないし、彼がジェイムズ・ボンド並みの強運に恵まれていない限り、その場から生きて帰ることは出来ない。そして、彼がこの世を去ってしまえば、君を助けることができる人物はこの世にいないことになるんだ」
 アタシは何も答えなかった。答えることができなかった。その代わり、そのときに浮かんだ一つの疑問を口にした。
「呼び出しって――村上さんの身柄を監察官に押さえさせたのはあんたのボスじゃないの?」
「そうだったらどれだけ楽か。まったく片岡の奴、昔から空気が読めない男ではあったが、このタイミングでつまらん容疑を持ち出しやがって――」
 その後の馬渡の繰り言は耳に入ってこなかった。
 だとしたら、片岡は何の為にあのタイミングで村上を拘束したのだろう。本当に地方公務員法と不正アクセス禁止法の捜査をしていたのだろうか。馬渡の言うことを信じるならそういうことになるのだが。
 さっぱり意味が分からなかった。