長いこと活動休止してたクラリネットについて久しぶりに書いてみます。


何かの拍子で他人と趣味の話題になった際に、こちらがクラリネット(今んとこ過去形)の話題を出して、初手で『僕の大切な』とか『パパから貰った』とか歌い出す相手には、それがどんなにエライ人だろうと、(この人に音楽の話をするのは時間のムダだな)と判断して、テキトーに少し話を合わせた後で話題を切り替えるようにしている。
初手でこの曲を出してきた相手で『クラリネットの事をちゃんと知ろう』という意思を持っている人に出会ったことがないから。
それどころか、初手でこの曲を出す人でマトモに人の話に耳を傾ける人は殆ど居ないと言っていい。
考えようによっちゃあ、良いフィルター。
「ドとレとミの音が~出な〜い♪じゃねえよ、クラの音を出すのがどんだけ難しいか、俺の楽器を貸してやるからドでもレでも一音出てから歌ってみろやゴルァ!」ってイラッとした経験のあるクラ吹きは自分だけじゃないと思う。
『クラリネットこわしちゃった』ら、そのまま吹かないで速攻で信頼できるリペアマンのいる楽器屋に駆け込むわ。
だいたい、マトモなクラ吹きは『ぼくのたいせつなクラリネット』を壊すような手荒な扱いしねーよ。
それにな、父ちゃんからタダで貰ったモンだろうが何だろうが、大事なMy楽器がブッ壊れる設定の歌をクラリネット吹きが好むかどうかくらい、ちょっと考えりゃわかりそうなもんだろうに。
あと、クラリネットを吹く時の擬音、パッキャマラドって何だよ、フィリピンの元ボクサーか。それはパッキャオだよ。
少なくとも俺は、あの歌が大嫌い。

たとえ相手の話題を広げようとしての事だとしても、クラリネット吹きに対して、初対面でこの歌を出すのは最大の悪手ですよ。
例えるなら、マトモなバイク乗りに対して尾崎豊の『十五の夜』の話題で斬り込んでいく以上の悪手。
大抵のクラ吹きは"ライフワークを茶化された"と判断して心の扉を狭めます。
何cmかは人によるけれども。
そもそもこの歌、西洋の原曲の歌詞はクラリネットの事を歌った曲じゃない(ググれ)。

そりゃあ、トランペットやサックスに比べたら、見た目は地味で華が無いように見える楽器かもしれない、下手すりゃ「リコーダーに毛の生えたようなもんだろ?」くらいに思ってる人もいるけど、通常音域は3オクターブ以上と広いし、主旋律から伴奏まで何でもござれ。
吹奏楽はもちろん、オーケストラからジャズまで主役にも脇役にもなれる。
使いようによっちゃポップスもアリ。
文京シビック級の大ホールでも自分のソロが客席最後列まで綺麗に響いてくれるし、音量を多少セーブするだけで八畳間くらいの小さな会合でもギターやピアノと合わせられる。
自分にとっちゃ、くっそ難しいながらも、こんなに楽しくて便利で小回りの利く魅力的な楽器はなかったわけで。 

マーチングバンドをやりたくて中学一年生で創価学会音楽隊に入隊して始めた音楽だけど、人数の都合でシンフォニックバンドに回されて、花形のサックスやトランペットではなく、クラリネットという楽器を選んだこと、今では「これが正解だったんだ」と思っている。
マーチングブラスやサックス、トランペットは八畳間じゃ演奏できないしね。
クラリネットを選んだことで吹奏楽もオーケストラもジャズも経験できたし、音楽のスタートがクラリネットだったことで、近鉄応援団でのトランペットも、前の職場の軽音楽部でのサックスも、クラリネットの応用により短期間でそこそこ使い物になる程度にマスターできたし。
・・・あ、結果的に花形楽器もやれてるじゃん。
ぶっちゃけ、クラリネットを真面目に取り組んだ経験があれば、サックスはある程度のレベルまではクラの応用でなんとかなる(あくまで"ある程度"ね)。
何より、"一生に一度でいいから"と願っていた『人生の師匠の前での演奏』も、そのバンドを退くまでに、その回数は三桁に上った。
これもマーチングバンドに行っていたら、そうはいかなかった。

それに、クラリネットを好きになってから「一度は演ってみたい」って思っていたいろんなジャンルの有名なソロの殆どを経験できたのは有り難かったし、一緒に音楽活動をしてくれた人達や、所属していた各団体の演奏を聴きに来てくださった方々には感謝しかない。

なんでこんな事を書いたかっていうと、ここ最近、知り合いの中学生の息子さん(彼が赤ん坊の頃から知ってる)が学園祭でシング・シング・シングのドラムソロを頑張って演り切ったのを見たり、中学の卒アルを見返して、音楽と関係ないクラスメイトの一部にも『クラリネットのなつき』ってイメージが付いてたのを再発見したりってな事があったから。

ある時、ふと音楽の楽しさを見失ってしまって(本当に何処で何を吹いても楽しくなくなった)音楽から離れたけど、前の職場の管弦楽団が縁で"勿体なくも"自分のファンになってくれた方も、自分のクラリネット再開を待ってくれていることがわかったので、本気でクラリネット再開の準備を進める肚が決まった今日この頃。

そもそも、「朗読劇に出ます、終演後にクラリネット演奏します」ってお知らせすれば、俺ごときの演奏を聴きに、下北沢まで花束持って駆け付けてくれるようなファンがいるのに、何年も音楽から離れているなんて、罰当たり以外の何物でもない。

オケ、吹奏楽を問わず、アマチュア楽団の一奏者の音色を見つけてくれて「もっと貴方のクラリネットを聴きたい」って言ってくださるファンが現れるなんて、普通有り得ないし、こんなに有り難いことは無いのに。

俺ごときの演奏を聴きたいって言ってくれる人、演奏を聴いて喜んでくれる人が一人でも居るなら、"クラリネット吹き・川村夏樹"に戻って、"クラリネット吹き・川村夏樹"であり続けるべきなんだろうな、と。
このハンドルネーム、"くらのなつき"の原点は"クラの夏樹"なわけで。

ブランク長すぎたから、腕は錆びついて指は回らないし、アンブシュアもぶっ壊れてるんで、どこかに書いて意志表明をしとかないと途中で挫けそうなんで書いてみました。

自分はしがないアマチュアクラ吹きだけど、練習漬けだったピークの頃の自分の技術力を知ってるから、それを取り戻せないことを想像するのも、取り戻せなかった時に、その現実を受け入れるのも怖いんですよ。
『音色に絶対の自信を持っていた自分』『本番に滅法強かった自分』に戻れないことが。
前回、クラリネット再開しかけた時は、その点において覚悟も準備も足りなかった。
そのせいで、結果的に本番ドタキャンの形になってしまい、ファンの方をガッカリさせてしまった。

そういえば、他人からの評価は、「上手い」よりも「温かい音色」とか「優しい音色」っていう言葉を貰った時の方が嬉しかったな。
またそういう音色を出せるかな・・・
少なくとも、人を陥れるような事は決してするまい。
そのような事をする人の音色がどんな評価をされていたかは、自分の目と耳で知ってる。
音楽は楽しくも怖いもので、その時その時の自分本来の生命がダイレクトに出てしまうもの・・・
一奏者として、それ以前に人としてどうあるべきか?
普段から自分を磨き、クラリネット再開したら、再び一音一音に真心を込めるのみ。
「良い心でなければ良い音楽はできないんだよ、良い心でなければ良い指導者にはなれないんだよ」
これが人生の師匠から直接いただいた、音楽をやっていく上での永遠の指針。

まあ、地道に再開の計画を進めていこうと思ってますので、過去に音楽で関わっていた皆様、その時はよろしくお願いします。

僕のファンのM.Fさま
必ず「クラリネット吹き・川村夏樹」に戻ります。
もう少しだけ待っていてくださいね。
必ず、自分の音や音楽、発する思いをすべて魅せて聴かせます。






※クラリネット吹きに対する話題の広げ方、この文章の中にヒントが幾つも込められています。